2005年11月12日

吉野山

大峰山系北端の8km余り続く尾根

此処は「義経千本桜」にもうたわれる、山桜の名所

金峯山寺の開祖、役行者が、修行中に金峯山上湧出岳で桜の木に蔵王権現を感得し

ご神木としたという伝承から、吉野山周辺には、衆徒たちがたくさんの桜を植樹

春には、下千本、中千本、上千本、奥千本と山裾から山頂にかけて

6万本以上の桜が、時期をずらして咲き、全山ピンクに染まる

今回、訪れたのは、残念ながら桜の季節ではありませんが

紅葉を楽しみながら、修験道の聖地(吉野道)を歩いて来ました

下千本から、雨上がりの吉野を眺める

そういえば、此処は世界遺産

紀伊山地の脊梁である大峰山脈には

数多くの行場や拠点となる社寺を結ぶ「大峯奥駈道」が走る

そのうち青根ヶ峯までを「吉野」、以南を「大峯」と呼ぶ

霊場「吉野・大峯」は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年に世界文化遺産に登録されている

銅鳥居(かねのとりい)

吉野山から山上ヶ岳まで4つある門のうちの最初の門で

「発心門」と書かれた扁額が掲げられている

修験者は「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき

と唱えながら入山するそうだ

暫くすると、威風堂々とした立派な金峯山寺・仁王門が迎えてくれる

仁王門を潜り、掃き清められた境内に入って行くと

風格ある金峯山寺・蔵王堂に圧倒される

(仁王門、蔵王堂は共に、室町時代に再建された)

此処は、吉野山の要・修験道の総本山

大峯奥駈道の始まりだ

義経、後醍醐天皇、秀吉ゆかりの吉水神社(よしみずじんじゃ)

風情ある檜皮葺の書院には、後醍醐天皇の玉座や義経潜伏の間もある

静御前ゆかりの勝手神社(かってじんじゃ)

静御前が法楽の舞を舞ったといわれ、境内には舞塚の碑が建てられている

上千本から見ると、吉野山のシンボル・蔵王堂が一際高く聳える

道の随所に、立派な「大峯奥駈道」の標識が立つ

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)

古くは青根ヶ峯に祀られ、古代の分水嶺に対する信仰を祭祀の起源とする神社であったが

豊臣秀頼により、此処に桃山様式の美しい社殿が再建された

一室に、西行法師坐像が祀られていた

吉野山の地主神・金山毘古命を祀る、金峯神社(きんぷじんじゃ)

奥千本に立つ修験道の勤行場

社前には「銅鳥居」に続いて、2つ目の門「修行門」の鳥居が建っている

金峯神社から少し下った所にある、「義経隠れ塔」

追っ手に囲まれ、屋根を蹴破って逃げた事から「蹴抜けの塔」とも言われる

窮屈そうな、こじんまりとした堂が、樹間にポツンと立っていた

神社を後にして、今日の目的地「青根ヶ峰」を目指す

女人結界門らしいけど・・・失礼します

青根ヶ峰(858m)は「水分峰」である

山頂に降った雨は東に流れると音無川となり蜻蛉の滝を経て吉野川に入り

南へ落ちると黒滝村から丹生川になり遙か下流五条市で吉野川に注ぐ

西へ流れては下市町の秋野川となり吉野川へとつながり

北に流れると「象の小川」となって喜佐谷を流れ下り宮滝で吉野川に合流する

万葉集にも神さぶる 磐根こごしき み吉野の 水分山を 見れば愛しもと詠われている

多くの修験者が、此処から、山上ヶ岳へと駈けて行ったのだろう

周囲が霧に閉ざされ、行く手が霞んでいる

南へ駈けてゆくわけにも行かないので、引き返す

鬱蒼とした杉木立が霧に包まれ神秘的〜

「苔清水」と云う石清水が湧き出している場所に西行の歌が残る

とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでも なきすみかかな

傍らには、西行を偲んで此処を訪れた芭蕉の句碑が建つ

露とくとくと 試みに浮世すすがばや (野ざらし紀行所収)

あたり一面の艶やかな紅葉とは対照的に

「苔清水」より200mばかり奥に、ひっそりと小さな西行庵が佇む

吉野の花の見事さを世に伝えた西行が、三年間隠棲していたとされる西行庵には

長さ二尺一寸(63cm)ばかりの西行上人の像が安置されていた

金峯山とは吉野山から山上ケ岳(大峰山)をも含んだ山脈の総称で、

万葉集には「御金の岳(みかねのたけ)」の名で登場する古くからの霊山

金剛蔵王権現像を祀る金峯山寺のシンボルが、国宝の蔵王堂

高台に突き出た威風堂々の佇まいは

今なお、峯に入る修験者の心の拠り所だろう

 

2007年04月30日

み吉野の山辺に咲ける桜花 雪かとのみぞあやまたれる    紀友則

越えぬ間は吉野の山の桜花 人づてにのみ聞きわたるかな  紀貫之

多くの古人が詠っているように、吉野と云えば

やっぱり桜の時期に来なくちゃ、と思ったんだけど・・・

今年も、沢山の人たちが楽しんだんでしょうね

数本咲き残った桜が、「もう少し早くおいで」と言いたげだった

桜は終わっていたが、柔らかい新緑に包まれた吉野の里は

秋とはまた違った趣で迎えてくれた

吉野山の北西麓に鎮座する吉野神宮

明治22年、「建武中興の祖」といわれた後醍醐天皇をご祭神として創立

玉骨はたとひ南山の苔に埋まるとも、魂塊は常に北闕の天を望まんと思ふ」と

都に思いを寄せられた後醍醐天皇の御心を偲び

森厳な境内には、流れ造りの本殿、入母屋造りの拝殿が京都に向かって、建てられている

後年、この地を尋ねた會津八一の歌

ふるみやの まだしきはなの したくさの をばながうれに あめふりやまず 

(吉野の宮のあった址は花時にはまだ早く、桜の下の下草のススキの穂先(うれ)に雨がやむこともなく降っている)

 

春の桜は言うまでもなく、

新緑に包まれた吉野も、紅葉に彩られた吉野も

史跡を訪ねて歩いてみれば、心に触れる、日本人の故郷でした

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