2006年03月11日 ”千年街道を歩く”

「しこくの道」 野根山街道

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第582号)

 
米ガ岡登山口〜宿屋杉〜岩佐関所〜野根山〜花折峠〜四郎ヶ野峠

( 8時間30分 )

黒潮踊る太平洋に 鋭く突き出た室戸岬

その根元の1000メートル級のなだらかな山々が東西に連なる山稜に

1300年の歴史が残る街道がある

奈半利町横町と東洋町野根を結ぶ野根山街道約35kmの内

野根山連山の尾根 20km、奈半利町米ガ岡から東洋町四郎ヶ根峠

くろもじさん達と往時を偲びながら楽しく歩いて来ました

野根山街道は、宿屋杉のみち(奈半利町横町〜岩佐関所 18.8km)

と岩佐関所のみち(岩佐関所〜東洋町野根 16.8km)の

2コースが「四国のみち」 として整備されている(案内板は44kmになってるけど?)  

養老2年(718年)、土佐で一番早く開けた野根山街道は

遠くは紀貫之や土御門 上皇が歩き、また参勤交代の行列が通り

幕末の志士たちが志を持って駆けて行っ

随所に、地名の由来や民話が書かれた案内板が置かれている

街道の起点、奈半利町の高札場 

飛脚が詰めていた送り番所

車道沿いにある一里塚

宿泊も出来る生活体験学校  

米ガ岡では野根山連山を望みながら春耕の準備中

長閑〜  

米ガ岡開拓者が祀られている白石神社

参勤交代の要路として栄えた米ガ岡は

およそ300年前、北川村野友の庄屋 白石伝左衛門により

百姓の二、三男対策として水田開墾された

二男、三男という言葉は辞書から無くなりそうな現在

伝左衛門さん、どう思います?

7時50分 米ガ岡登山口出発

杉木立の中に笑い声が響く

あら、もう2里塚だわ  

歩き易い杉木立の道が続く

六部遍路が祀られている

殿様が休まれたお茶屋場

この大杉、何歳かしら?

二人で囲んで、 半分にも届かない大杉からは、古木の精気が伝わってくる

よく整備された広い道の両側にはスギやヒノキが並らんでいる

樹上で奇怪な笑い声が・・・

江戸末期に植えられた旧藩林

グランパが車の回送に引き返し四郎ヶ野峠から登り返す

さて、どの辺りで会うのかな?

野川林道への分岐 

三里塚

三里塚の、道を挟んで東には周囲を石で築いた「里程塚」の原形が残り

埋土の 中央に杉の大きな古株がある

10時25分 宿屋杉  

宿屋杉は、周囲16,6m、高さ32mにも達し、樹齢は1000年以上に及び

根幹の中 が広さ四畳半ほどの空洞になっていてゆっくり泊まれたという

残念ながら、昭和9年の室 戸台風により倒壊し、今は杉の根幹が残る

中から覗くと、青天井。雨漏りするわ

地図には無いのに林道が・・・

左に行けば野川林道にあたる羽根林道が、こんな所まで延びて来ている

林道を横切り 電波塔へ600mの標識を越えれば熊笹峠に出る

唯一、奈半利の海が見えた熊笹峠  

初めて展望が開けた〜♪

心地良い春風に吹かれながら展望を楽しんでいて

写真を撮り損ねちゃった(残念)

11時25分 街道中の最高地点・装束山(1082m)

街道から少し右へ上がると、一等三角点がある装束山に着く

山名にしては変わっているが、名前の由来は

街道の中間地点である此処で、参勤交代の旅装束を替えたり

花嫁が山装束から花嫁衣裳に替えたかららしい 

    

オオカミに襲われた妊婦が樹上で無事出産したというお産杉

四里塚

12時20分 岩佐の関所跡

  藩政時代の岩佐村は街道の要衝として関所が置かれていた

勤皇二十三士が武市瑞山 の助命嘆願に結集したり

中岡慎太郎が「三条実美ら七卿都落ち」の京都政変を知るや

野川谷を上り野根街道を駆けて行った

藩人が居れば、江戸時代にタイムスリップした ような雰囲気の関所跡でした

岩佐の清水を囲む藩人屋敷跡 

野根山登山道

1時10分 野根山頂上

街道から北へ外れると、スズタケが茂る野根山登山道

ブッシュの中に隠れたくろもじさんに 「チョット待って〜」と

言いながらスズタケを掻き分け、倒木を乗り越えて頂上

(往復30分)

携帯が通じた、地蔵峠

「私たちは、地蔵峠に着いたよ。グランパ、今何処にいるの〜?」

「野根まんじゅう食べながら、太平洋見ているよ。」

無残な姿の大木  

急坂の途中に5里塚

左喜浜桑ノ木への分岐点、一の門を過ぎると

目の前に花折峠らしい尾根が聳える

「峠なのにあの頂上を越えるのかしら?」と話していると

前方から「オ〜イ」とグランパの声が聞こえる

あの頂上が花折峠だと聞いて、3人はガックリ

3時35分 花折峠

急坂のため、殿様が駕籠の中から花を手折ったことに由来しているそうだが

駕籠から 下りて家来と一緒に歩けばいいのにねぇ

ともあれ黙々と歩いた4人は、花折峠の急坂 を登りきってやっと笑顔が戻ってきた

ヤレヤレ

後はノンビリ下ります 

4時20分 四郎ヶ野峠到着バンザイ〜!  

”功名が辻”ブームで賑わっていると思ってたのに

街道中は誰にも会わずとても静かだったわ

それにしても、ヘッドランプも懐中電灯も出番なく明るい内に着いて良かった〜

終点野根までは、まだ8kmほど残っているけど、昔の人は大変だったのね

急用の時は、35kmを3時間で走り抜けた飛脚が居たそうだけど

信じられない  

 

野根側の街道は、車の回送中に撮りました

左手ヶ坂・一本杉・芝御茶屋の段の跡

R493より見た四郎ヶ野峠  

野根側の一里塚の目印、二本松 

名物「野根まんじゅう」   

明治維新創業、現在5代目が伝来の素朴な味と心を受け継いでいる

「野根まんじゅう」さっぱりしているけど奥深い甘さが大好き

おまけに一口サイズで食べやすいわ

参勤交代は、この後、野根を北上し甲浦の港から大阪に向けて出航した

早い時で江戸まで 20日かかり、悪天候で船出が遅れると50日もかかっている

そこで、波静かな瀬戸内海を中国 路に渡る道

笹ヶ峰越えの土佐北街道が参勤交代道として開かれたそうです  

 

折角のいいお天気、地図を見ると尾根歩きなのに、うっそうとしたスギやヒノキが立ち並び

木漏れ日が射すものの薄暗く、景色は殆んど見えない

気がつくと案内板ばかり撮っていたわ

それでも 1000年余の歴史のある街道の中にいると

それぞれの想いを抱えて歩いた、多くの人々の足音 が聞こえてくるようでした

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