2006年08月04日 木曽路

木曽路はすべて山の中である

あるところは岨づたいに行く崖の道であり

あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり

あるところは山の尾をめぐる谷の入口である

一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた

〜島崎藤村 「夜明け前」より抜粋〜

ロマン溢れる文章を、ちょっと退屈しながら読んだけど

「木曽路はすべて山の中」の、出だしは強烈な印象だった

何時か木曽路を歩いてみたいと思ったのも、遠い昔

中山道69宿のうち、木曾谷には11の宿場が有り

その11宿の最南端、江戸から数えて43番目の此処は

「夜明け前」の舞台にもなった「馬籠の宿」、栗おこわが名物らしい

山の尾根に沿った急斜面を通っている街道沿いに作られた馬籠の宿は

石垣を積み上げて家々を造ったので「坂のある宿場」になっている

全長600mの石畳の坂道に沿って建つ、軒の低い格子造りの家並みが

江戸時代の宿場町の面影を残している

いい雰囲気なんだけど〜

暑い!!

「清水屋資料館」

清水屋は島崎藤村の「嵐」に出てくる「森さん」の家

藤村の書簡、掛軸、写真等をはじめ、馬籠の生活文化ともいえる遺品が展示されている

「機械文明の流れの中にある今日、遠い昔の私達の先祖が遺してくれた素朴な

故郷の心に深い郷愁を感じます。馬籠を訪れた思い出にお立ち寄り下さい」

と書かれた看板が立っていた

少し先にある藤村生家跡、馬籠本陣跡には「藤村記念館」が建ち

立派な冠木門が復元されている

木曽路は、和漢胃腸薬 「御嶽 百草丸」の幟がよく目に付く

街道沿いには「サワラ」「アスヒ」「ネズコ」「コウヤマキ」「ヒノキ」が植えられていた

「木一本首一つ、枝を落とせば腕を切る」と言われていたそうだが

尾張藩では、この木曾5木の伐採を禁止し、掟を破った者は死罪となったそうだ

昔のままの風情の「峠の茶店」

名物は、醤油の風味が香ばしいごへいだんご

馬籠峠、標高801m

馬を引いて越える事が出来ないほど険しい道から付いた名前だそうだが

今日は車なので、馬籠からは一走り

白雲や 青葉若葉の 三十里 子規の句碑が建つ

此処から妻籠宿までは5,5km

南木曽町を南北に貫く「中山道」は国の史跡に指定されている

往時の様子が色濃く残っている道は、ひょっこり旅人が現れそうな雰囲気

整備された「中山道」の横に、県道7号線の舗装道路が走る

そりゃ、平成の御世だもの、仕方が無いわ

豪快に流れ落ちる男滝

滝壺に金の鶏が舞い込んだという伝説が残る

中山道の憩いの場「男滝女滝」は

吉川英治著「宮本武蔵」の舞台にもなっており

小説では、武蔵とお通が出会う男垂滝として登場している

男滝の右手の方には女滝もあり、緑に包まれた谷間は涼しいわ〜

猛暑の中、ほっとしたひと時でした

南木曽町妻籠宿保存地区

街道時代の妻籠宿は下町から寺下までに80余軒の旅籠や店が並んでいる

格子に引っ掛けた背負子に素朴な野の花が飾られて、とってもいい雰囲気〜

江戸時代の佇まいがそのまま残る街道筋

木曽ひのきの木製品や、地元の伝統工芸品・ロクロ細工等、木の香のするお店

出梁(だしばり)造りや竪繁格子(たてしげごうし)が昔のままに残る

妻籠郵便局は郵便資料館にもなっている

郵便制度の歴史資料を展示

往時の旅人気分に浸れる、旅籠「阪本屋」

江戸時代の宿場は城塞の役割も持っていたらしく敵が侵入しにくいように

宿場の出入り口の街道を2度直角に曲げる桝形が設けられていたそうである

桝形跡地に、創業は寛政年間という老舗旅館・松代屋旅館が建つ

折角、雰囲気ある場所にタイムスリップして江戸情緒に浸っていたのに

観光案内所前にある長野県知事選挙のポスターで現実に引き戻される

あら、明後日が投票日なんだ

此方も熱い戦いね〜

妻籠宿を後にして、木曽川と平行に走るJR中央本線に沿って、中山道を北へ

巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれて出来た、景勝地「寝覚の床」

此処は「木曽八景」の一つ、入口に「史跡名勝天然記念物寝覚の床」の標柱が立つ

その昔、国鉄中央線の車窓から見て気になっていた場所だ

巨大な花崗岩の白と、川面のエメラルドグリーンが逆光に輝き

絶妙な色彩を醸し出している

其々の岩には「屏風岩」、「畳岩」、「烏帽子岩」等と名前があるそうだが?

この地が「寝覚の床」といわれる由来は、浦島伝説によるらしい

中央の大きな花崗岩の上には、浦島太郎が弁財天像を祀ったといわれる浦島堂が建つ

龍宮城から戻った太郎が、故郷を探して辿り着いたこの場所で、玉手箱を開いたそうだ

それは大変! 煙に巻かれて、おばあさんにならない内に退散しよう

それにしても、暑い木曽路だった

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