2007年01月27日  ”平家敗走の道” 

三嶽古道 (横倉宮参拝道)

仁淀村大渡バス停〜谷山〜住吉神社〜横倉山〜兜嶽〜文徳〜越知バス停

(8時間)

四国山地の奥深くへ平家の落人が隠れ住んだという伝説が

各所に残っている。土阿国境を越え高知に入った安徳帝も

仁淀村、森集落から三嶽越を進み「横倉山」へ入ったと言われている

ロマンを求めて、平家の悲哀が残る三嶽古道を辿ってみました

 

8時、仁淀川町大渡バス停より出発

国道沿いのバス停から、仁淀川高校へ下り

暫く川沿いに進んでから対岸へ渡る

森集落で、古道への取り付きを年配の方に教わったが、少し分かり難い

いい雰囲気の谷山集落

林道を通らずに山道に入ったら、ひどい藪漕ぎの所もあり

登山口に着くまでに、もう疲れてしまった

10時、やっと三嶽古道谷山登山口

大きい筆が要りそうな「すずり石」

山の神様の標識が有ったので、道を外して駆け上がってみた

駆け上がっていった所に立派なブナ

こんな所でブナに会えるなんて想定外だわ、山の神様の御蔭かな

でも、神様まではチョット遠そうなので引き返す

古道に戻り、冬枯れの水平道を快適に歩く

11時 横倉宮遥拝所

横倉宮まで行けない人は「遥拝所」まで行って引き返すんよと

「森集落」で道を教えてくれた人が言っていたが、「あれが横倉山かな?」

少し霞んでいてよく分からない

青ザレ

11時50分

杉木立の趣のある道を進んでいくと、古道のほぼ中間点「一本木」に着く

エボシ岩1,7k(アケボノツツジ)と書かれた標識がある

1,7kmもあるので今日はパスだけど

アケボノツツジの頃は沢山、見に行くのかしら

「南廻り住吉へ」の標識に導かれ尾根へ出て、暫く進むと

「右 大平別より住吉」  「直進 尾根伝い住吉」に分かれる

近道をと、迷わず直進したが、笹薮でおまけにアップダウンがきつかった〜

急がば回れだったかも

尾根道から50m位下った所にある石灰岩の窪地「カラ池」

とってもいい雰囲気〜

カラ池から少し進むと住吉神社に着き、

少し霞んでボーッとしているが横倉山が見え出す

横倉山までもうすこしだわ  

名物「馬鹿試し」の絶壁をズーム

住吉神社は、チョット不便。鎖を下りてお参り

宮内庁指定の「安徳天皇御稜墓参考地」

八十余人の従臣を従えた帝は、頂上付近に造られた”行在所”に入り

武術や乗馬さらには”けまり”などを楽しんだと伝えられる

正冶二年八月八日、二十三歳で崩御され”鞠ヶ奈路”に奏葬

快適な参道

直ぐ近くに、小銭や土器、鉄剣が出土した「平家の穴」がある

横倉山最高地点馬鹿だめし(800m)

お馬鹿さんでした〜

も少し先へ行けって言われても、風が強くて吹き飛ばされそうなんよ

近くに、牧野富太郎博士発見命名の「ヨコグラノキ」

があるそうだけど、分からなかった

1時40分 横倉宮へお参り

横倉山三角点(774,3m)

兜嶽には、石鎚神社が祀られている

ここから暫くは足場が悪い

疲れてきているので、転ばないように気をつけて歩く

眼下に蛇行した仁淀川、やっと越知町が見えた〜♪

が、まだまだあるわ

 

振り返れば、ホント兜だわ。兜嶽って言われるのも納得

ちゃんと鎖場もある

織田公園登山口からは、車道を何度かショートカットして

3時50分 文徳登山口

越知バス停まで、車道歩き10分。何とかバスの時刻に間に合った〜

         (参考文献 山崎清憲著 「土佐の道 その歴史を歩く)

 

越知町に聳え、登攀意欲をそそる急峻な横倉山

名水、巨杉群、稀少植物、地質、化石等、見所は沢山あるけれど

なんといっても、神秘に包まれた落人伝説のロマンが心に残る

悲哀の山でした

 

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