2007年2月10日 土佐北街道
参勤交代道 ”国見越え”
上穴内〜国見山〜杖ヶ森〜吉延〜本山御殿(6時間50分) |
”国見”という名の山は多い。高くて展望の良い山なんだろう
土佐の殿様も参勤の途中、感慨深く眺めた土佐の国を見に行こうっと。
予定では、本山から繁藤までバス、其処からタクシーで上穴内登山口の積
りだったが、ネットで調べた時刻表は古く、本山に着いたら既に発車してい
た。仕方なくバスは帰りにして、頼んでおいた繁藤のタクシー会社まで走る
8時30分 上穴内登山口出発
ダム湖を見ながら、蟹越、繁藤線を走る。
乾季で水が干上がれば、このダム湖に沈んでしまった「穴内口送り番所」
国見山への登山口「堂の本地蔵」など旧穴内村跡が現れるそうです
登り始めて直ぐに「駕籠すり石」がある。
殿様の駕籠が、この岩をこすって通ったらしいわ
広大な伐採地に出るが、所々に標識があり、迷う事は無い
釣りをしているのか、ダム湖を走るモーターボートの音が聞こえる
急坂を登っていくと、目の前に「嫁ヶ石、姑ヶ石」の大岩が現れる
「国見越えの途中、嫁と姑が諍いをおこし、嫁が泣きながら大岩に上ると、
姑が追いかけて来たので、傘を広げて飛び下り、助かったが、後を追いか
けて飛び下りた姑は死んだ」という伝説が残っているそうだ
「上がれ」と言われたけど、遠慮したわ。一応、私も姑なんで
アララ、道が塞がっているわ。越えようか?潜ろうか?
木漏れ日の差す植林帯、いい雰囲気〜
藩政期時代から、植林されていたらしい
此処のスギはまだ若いけど何代目かしら
「おけいの岩」 あれっ、私の岩じゃん
逞しいアセビが岩に根を張っている
赤荒峠よりの道と合流すると、峠近くには「殿様道」の案内板が立つ
九代藩主 山内豊雍(とよちか)が国見峠より太平洋を見て
” 山幾重 越えつつ見れば 土佐の海や
千里の浪 も霞む長閑さ ”
と詠われているので、眺めはもっと良かったのだろう
国見峠(1030m) 10時45分 右が国見山頂上、左が吉延への道
峠から林道?を少し進むと、左手に国見山への登り口がある
11時 国見山(1089,1m)頂上
残念ながら、土佐の城下も、本山周辺も霞んでいる
ゆったりと流れる吉野川が見えるけど、 まだまだ遠いわ〜
見事なブナ、このブナも静かに行列を眺めていたんだろうか。
山頂まで延びた林道で、周辺が荒れているのが残念
途中、街道と分かれて杖ヶ森の分岐を進む
此処にも立派なブナが点在する
杖ヶ森頂上(1019m)
道が、飛んで無くなっている。
此処で旧街道は途切れ、後は車道歩きとなる
梅の花がもうすぐ満開。今年の梅は早そうだわ
吉延集落 この近くに「オリドの杉」が有る筈なんだけど
「アッー、あれが阿弥陀堂の”オリドの杉”〜」やっぱり街道筋の目印だわ
後方には、白髪山が霞んでいる
樹齢千年、樹高40m大木の前に立つと、何処に居るか分からないわ
花粉症に悩まされているこの時期は、何処まで花粉が飛ぶんだろうかと気になる〜
まぁ〜、ロマンの無い話
遠くに霞む、越えてきた山を振り返る
車道歩きは長かったけど、本山までは、あと少し
天照大神など十二柱の神様を祀る十二所神社に寄り道
鬱蒼たる老樹に囲まれた神社には樹齢千年の大杉がある
此処から少し離れた山上の本山城跡の杉も見に行きたかったけど
バスの時刻が迫っている〜
3時05分 殿様の宿泊所”本山御殿”となった野中兼山の役宅、土居城址
此処から、道を下り大原富江文学館の横を通り本山バス停へ
「領石から、一日で権若峠、国見峠を越えて、今日は疲れた〜
風呂へ入り、名物、吉野川の鮎の塩焼きでも食べて、早よ寝ろ」
と殿様が言ったかも?
吉野川を渡り立川番所に入ると、最大の難所”笹ヶ峰越”が
待っている。まだまだ、先は長い道のり
(参考文献 山崎清憲著 「土佐の道 その歴史を歩く」)