2007年03月03日 ロマンを求めて”脱藩の道

梼原〜九十九曲峠〜城川

梼原、雲の上温泉〜宮野々番所跡〜九十九曲峠〜城川、宝泉坊温泉
                                  (7時間30分)

志士たちの旅立ちの地、和田城址には、

明日の日本を夢見て雄飛した、志士たちの群像が建つ

 

「脱藩」の道も、韮が峠越え、九十九曲峠越えがある

坂本龍馬がどっちの道を通ったか?

従来、伝えられていた説が、新たな文書の発見で・・・アララ!

今日は九十九曲峠を越えて城川まで歩いてみよう

でも、帰りはどうしようかな?

帰りの事は考えなくてもいいの!

脱藩なんだから

7時、雲の上温泉から出発

車道を真っ直ぐ進めば、梼原の町だけど、脱藩の道は左

車道に出たり、脇道に入ったりしながら

標識に導かれて迷わず「脱藩」?

ここらでチョット一休み〜

梼原には13棟の茶堂が残っている

暑い夏には、今も、茶の接待がされている所もあるそうで

お大師さん、お薬師さん、お地蔵さんを祀り信仰と社交の場になっている

幕末に建てられた旧掛橋和泉邸

多くの同士が立ち寄り、時局を話し合ったといわれる

危機の時に使う隠し部屋もある

梼原川に架かる神幸橋を渡って、三嶋神社に大願成就のお参り

境内にある樹齢400年のハリモミが天を突く

神社脇から立派な杉木立の中を行く

高台から梼原の町を見下ろす

<土佐に梼原と呼ばれる山深い町がある。・・・

ユスハラは土佐のチベットやきに。などといわれた。

まことに気になる土地・・・>

と、司馬遼太郎は「街道をゆく」に書いている

和田城址にある、維新の渦中に身を投じた8人の群像

掛橋和泉、坂本龍馬、吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾

沢村惣之丞、中村龍之介、前田繁馬

太郎川公園から九十九曲峠までは「維新の道」だから

トンネルもやっぱり維新トンネル

雲の上 清流育む樹木の里

梼原町森林価値創造工場

初めて見た、間伐材のガードレール 風流〜

9時50分 宮野々番所跡

予土県境を越える要衝の番所で、宝暦年間から160年に亘って番役人が置かれた

今日は、関所役人も居なくてすんなり通れたわ

アララ、龍馬さんは右の道を韮が峠へ

虎太郎さんは橋を渡って九十九曲峠へ

どっちも「脱藩の道」。行き先は同じよね

龍馬さんと分かれて九十九曲峠を目指す

「維新の道」の標識の所で出会った元気のいいおばあさん

「昔は、こっちの方が脱藩の道として大勢の人が歩きよったけんど、少のなった

草は刈っちゅうきに、この時期は歩き易いよ。まだハメもおらんき」

「良かった〜」

いきなりの急登、気温も上がってきたのか汗が出る

展望が開けてきて北側に大野ヶ原、天狗高原方面が見え出す

植林された中に、立派な石垣が沢山残っている

昔は、随分賑やかだったんだろうな

急坂を頑張り、どんどん高度を上げていく

あら、こんな所にシイタケが・・・

木漏れ日が差し込んでくる快適な道。

「脱藩」しているのも忘れてしまいそう

林床に可愛い花が・・・あっちにも、こっちにも〜

「花なんか撮ってる暇ないぞー」

そうそう、只今脱藩中、でも一枚くらい・・・待ってくれてもいいじゃない

水の音が聞こえてくると思ったら、山稜近くに、かなりの水量の沢が現れ

今までの道と雰囲気が変わってきた

あれ、蝶々。もう春なんだ〜

二重山稜の窪地に出来た湿地帯

所々、木を置いてくれているが、雨季には通れないわ

生け花で使うフトイが群生していたけど

この高層湿原には、どんな花が咲くんだろう?

水芭蕉でもあればどっと人が押し寄せて大変だわ

湿地帯を抜けると、伐採地がカヤの草原になっている

振り返ると、梼原方面に形の良い山が見える

11時15分 やっと着いた県境、九十九曲峠(830m)

標柱には、「勤皇志士脱藩遺蹟九十九曲峠」と記されている

これから進む伊予の山並みが重畳と続いている

龍馬の小便杉

「人ならば昔の事も問いたきに 勤皇の士を偲ふ老杉(さん)」

の歌碑が建っている

名前どおり本当に九十九折の急坂が続く

数えてみればよかったわ

途中で、何度か林道に突き当たる

林道沿いに、「日本の夜明けを夢見た志士が行く」と書かれている

「再びと帰り来ぬべき故郷を 捨てしこころはいかにありけん」
                            寺石正路 

志士たちの悲壮な決意を詠った詩が、峠にあったが

我が身をかえりみず、日本の未来を想っての脱藩

時が流れようと、哀愁とロマンを感じる

 

川津南まで下りてきた。良く手入れされた段畑の石垣が見事

菜の花が風に揺れ、春らしさを演出してくれる

此処も茶堂がある長閑な風景

郵便配達ご苦労様〜!

川津南地区にある福松邸跡

険しい道を越えてきた脱藩の志士たちは、此処で足を止め心身を休めた

 

春の小川から、越えてきた峠を振り返る

真ん中の低い所が九十九曲峠

大門峠に「勤皇志士坂本龍馬脱藩通過地」の標石がある

韮が峠説が有力となり、寂しそうに建っている

城川町で出会ったお年寄りは、龍馬さんはこっちの道を

通った筈だと、真剣に話していた

 

2時30分 宝泉坊温泉

脱藩したから帰れないんだけど、車を置いてきているので・・・

城川タクシーで雲の上温泉まで30分

 

龍馬さんに逢ったら、聞いてみたい

本当はどっちの道を通ったの?

「わしも那須親子や惣之丞に連れられて、山の中ばっかり

脇目も振らず走っただけで、よう分からんがやき

そんな些細な事、どっちでもええがや

それより、日本の将来 大丈夫か?

心配ぜよ」

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