歴史街道を歩く

2007年03月17日 柳生街道

GPSトラックログを誤って消してしまったので(泣)概念図です カシミール3D使用

 
奈良公園〜滝坂の道〜円成寺〜大柳生〜柳生の里

(7時間45分)

柳生道場を目指した多くの武芸者達が往来した柳生街道

現在は東海自然歩道としてよく整備されている

奈良から柳生の里まで約22キロ 剣豪ロマンを求めて柳生ゆかりの

歴史街道を のんびりと でもちょっとわくわくしながら歩いてきました

7時50分 奈良公園駐車場を出発

奈良とくれば、猿沢の池から興福寺五重の塔を見なくては

武者修行の前に回り道して観光 修学旅行みたい

世界遺産、広〜い春日大社を抜け 細い渓流沿いの

ゆるやかな坂道を登り、最終民家を過ぎた所が街道入り口

柳生街道は、此処から円成寺までが 滝坂の道コース 

円成寺から柳生までが 剣豪の里コース と呼ばれている

さぁー、観光気分はお終い。 此処からは気持を若武者?

に切り替えて、柳生道場の門を叩きに行くか

天然記念物春日山原始林の中をゆっくりと高度を上げてゆく 

 古都のすぐ側に、こんな原始林があるなんて 感動

 

春日山と高円山の谷合いを流れる能登川沿いの道は

鬱蒼とした木立に囲まれている

沢の音に混じって、時折鳥の囀りが聞こえるが、静か〜

江戸時代に作られ、昭和初期まで人々が往来したこの滝坂の道は

腕に自信のある多くの武芸者が、柳生道場を目指したことだろう

剣豪たちが踏んで行った石畳は、つるつるしていて雨の時は滑りそう

道端に、大きい石が転がっていると思ったら寝仏だそうだ

説明が無かったら、見過ごしてしまいそう

寝仏の、山際を少し駆け上がると

優しく見下ろす夕日観音が彫られた岩がある

暫く進むと、今度は対岸の岩に彫られた朝日観音

説明によると、高円山の頂からの朝日が最初にあたるらしい

じゃ、さっきの夕日観音は夕日が最初にあたるのかしら?

この二つの観音様は鎌倉時代の同じ作者に彫られたらしい

大杉が立ち並ぶ広場に出ると、東屋があるので、少し休憩

此処は、直接石切峠へ行く道と、地獄谷を通って石切峠へ行く道の分岐

広場の隅には 「首切地蔵」がある

槍の名手 鎌宝蔵院 と決闘する約束をした剣豪荒木又右衛門が

待ちぼうけをくわされたその腹いせに両断したとか

又右衛門さんって、きっと短気なのよね

八つ当たりされたら困るから、早よ、行こ

地獄なんて、気乗りはしないけど

地獄谷には 聖人窟があり窟内には、線彫磨崖仏があるそうな

やっぱり見ておこうかな

薬師如来、虞舎那仏、十一面観音

奈良時代後期に作られたとされる地獄谷石窟仏

石窟仏を過ぎると

「この先、歩道滑落のため、通行不可能です」

と書かれて、ロープが張られている

此処まで来て、引き返すわけにも行かないわ

構わず、どんどん進むと、「立ち入り禁止」!

エッーと、言いながらもまだ進む

谷を越えた所が、崩壊していたけど

鎖も付けられていたので、歩けない事は無かったわ

良かった

でも、地獄谷の名前通り、暗く陰気な所も有ったので、急ぎ足で通り過ぎた

地獄谷へと切れ落ちた痩せ尾根を

ゆるいアップダウンを繰り返しながら進むと石切峠に出る

此処から、車道を少し歩るくと趣のある峠の茶屋に着いた

縁台で日向ぼっこしている犬は、

「また柳生へ向かっている物好きが居る」

と思ったのか、チラッと見て、また寝ている

茶屋の鴨居には、古めかしい鉄砲や槍が掛けられていた

急いで坂道を歩いたので、結構疲れていたが

名物の草餅と生姜湯で元気回復

創建は天平時代、孝謙天皇の勅願寺、円成寺(えんじょうじ)

境内には重要文化財が立ち並び、運慶作の大日如来は国宝

柳生街道、第一の名刹で沢山の人で賑わっていた

畦道に腰掛けて休憩しながら、歩いてきた道を振り返る

気持のよい挨拶を交わした若者が、あっという間に走り抜けて行った

これぞ若武者だわ

山際に入っていくと、竹薮の荒れた道になる

大柳生の氏神様、夜支布山口神社(やぎうやまぐちじんじゃ)

を過ぎると、長閑な田園風景が広がる

車道を真っ直ぐ進めば近道だったのに

指標に従って進んでいたら、随分遠回りして来たわ

鎌倉時代創建の南明寺

安置されている釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の

坐像三体はいずれも平安時代の作

おふじの井戸

柳生宗矩が、この井戸で洗濯していたおふじに

「波の数は幾つあるか」と尋ねると

「21です。殿様、柳生から此処までの馬の足跡は幾つですか」

と、機知に富んだ返答に窮した宗矩が、おふじの才を認めて

側室に迎え入れた、という話が残るロマン井戸

徳川将軍家兵法指南役も女性には弱かったのね

あの山を越えれば目指す柳生の里。心が逸る

途中で、バスツアーの人たちとすれ違ったが

やっぱり、人気コースなのかしら

最後の阪原峠(かえりばさとうげ)、結構きついわ

元応元年(1319)疱瘡よけに作られた疱瘡地蔵

借金棒引きをうたった徳政一揆の銘文が側に建つ

昔から、自己破産?って有ったんだ

柳生の里へ行く前に、「一刀石」を見に寄り道

うららかな春の坂道〜

不思議な形の大岩が点在している、天乃石立神社の鳥居を潜り

薄暗い森へ入って行く

石舟斎が一刀のもとに切ったと伝えられる「一刀石」

柳生新陰流の極意、見つけたわ

剣は人を斬るに非ず、石を斬るものなり

でも、綺麗に真ん中から二つに割れている。 信じられんわ

柳生家の菩提寺、芳徳禅寺

寺の山門脇に、二蓋笠の紋標がある

宗矩の友人、沢庵和尚が開山

この奥の林の中に柳生一族の墓所がある

芳徳禅寺境内からは、箱庭のような柳生の里が一望出来る

小高い所に陣屋跡があり、その後ろの摩利支天山や八坂神社の森が

山深い里のたたずまいを一層引き立てる

「たのもうー!」

拙者、伊予の国からはるばる海を越えやって来たグランマーと申します

身の丈は貧弱だけど、腕と口には自信有り

十兵衛殿 一本、お手合わせ願いたい

と、正木坂禅道場の前で言ったけど

誰も出て来ない

どうも、お留守のようだわ

じゃ、ちょっと柳生の里を観光しようか

柳生茶屋で一休みしてから、柳生陣屋跡へ

急な石段を登ると、其処は史跡公園になっていて

往時の建物の位置を示す石積みが有るだけだった

高く石垣を築いた武家屋敷は家老、小山田主鈴の旧邸

この屋敷は、作家、山岡壮八が所有していた時期もあり

此処で、小説「春の坂道」の構想を練ったといわれている

柳生の里のシンボル「十兵衛杉」

十兵衛が植えた杉は落雷で枯れ、今は二代目

柳生新陰流随一の使い手、十兵衛は兵法の奥義を極め

「剣は人を斬るに非ず、人を活かすにあり」の境地に至った

十兵衛さん, 奈良から22キロも歩いて来たから、免許皆伝?

「山歩きの極意は、歩く時間や距離ではなく

自然に対峙した時、いかに己が無知で無力かを悟る事じゃよ」

そうなんだ。 納得

 

3時35分 今川橋(柳生橋)

さて、此処から笠置までは後5キロ位かなと

グランパが地図を広げて見ていたら

丁度、奈良行きのバスが・・・

親切な運転手さんが、バス停で待ってくれている

剣豪ゆかりのロマンの里も満喫出来たし

もう、バスに乗るよ〜

 

03月18日  山の辺の道

GPSトラックデータ (カシミール3D使用)

 
三輪〜海石榴市跡〜大神神社〜崇神天皇陵〜柳本

(3時間40分)

日本書紀にも記されている、日本最古の道 「山の辺の道」

桜井市三輪から奈良旧市街まで約35キロあるが

三輪、海石榴市から 卑弥呼の里、柳本迄、伝説や古社寺が点々と残る道

10キロ余りを古代ロマンに想いを馳せながら巡ってきました

JR三輪駅から「山の辺の道」の南の起点、海石榴市(つばいち)迄行き

観音堂へお参りしてから、平等寺迄は歩いてきた道を引き返す

でも、「つばいち」なんて絶対に読めんわ

 

 

三輪神社の門前町で昔は大賑わいしていた所

 

聖徳太子創建と伝えられる平等寺

門を潜った側に聖徳太子像が建つ

背後の三輪山を御神体とする風格のある、大神神社(おおみわじんじゃ)

日本で最古の神社の一つと書かれていたが・・・

お酒の神様でもあるそうな

大神神社の門前

まだ開店前で、本場の三輪そうめんを食べ損ねてしまったわ

久延彦神社の高台に作られた展望所より大和一望

懐かしい畝傍山(左)と耳成山(右)

遠くは左から金剛山、葛城山

三輪山の麓にある狭井神社

祭神には大国主命が祀られている

拝殿奥の湧き水、「狭井の御神水」は病気平癒に効く霊泉

拝殿右手に、三輪山の登山口があり、社務所に申し出れば入山出来る

高台で会った方が、下の桜が満開ですよと教えてくれたので

ワクワクしながら下りていってみると

江戸彼岸桜が満開〜♪

遥かに大和盆地を見下ろせば、まさしく山の辺の道だな〜

どこまでも、長閑な春の風景が広がっている

檜原神社前の茶店「檜原御休所」で休憩

西へ少し下ると、川端康成揮毫の万葉歌碑がある

大和は     國のまほろば

 たたなづく     青がき

      山ごもれる    大和し美し

(日本武尊が詠んだ望郷歌)

何処にでもある風景だけど

「山の辺の道」だからいいのよね

道沿いに置かれた良心市

元気のいいおばあちゃんが「ネーブル甘くて美味しいよ」

と、グループで歩いている人に声を掛けていた

みかん発祥の地の看板(愛媛県人としては?)

みかんの木はオーナー制になっていて、名札が掛けられていた

古社寺もいいけど、三輪山を眺めながら

田園風景の続く道を、くねくねと歩くのが

やっぱり落ち着くわ

標識に導かれて、畦道に入り込んでいくと

「神話の里、神籬(ひもろぎ)」の碑が建っている

神祭りの時に、神霊が降臨する依代(よりしろ)だそうだ

夜を明かして踊り、この地に神様をお迎えしたのだろう

山そのものが御神体の、美しい三輪山は

道端に、額田王が近江遷都の時に詠んだ、歌碑が建つ

味酒  三輪の山 

あおによし  奈良の山の 山の際に

い隠るまで  道の隈

い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを

しばしばも 見さけむ山を 情(こころ)なく

雲の 隠さふべしや

反歌

三輪山を しかも隠すか 雲だにも

情(こころ)あらなも 隠さふべしや

 

今日の三輪山は、雲も無く

その綺麗な姿を惜しげもなく見せてくれている

日本武尊の父帝、景行天皇陵

全長300mの前方後円墳で、正式名は”山辺道上陵”

道の側で、しゃがみこんで賑やかに話している年配の人たち

何しているんだろうかと、覗いたら

みんな、楽しそうに土筆採り

春は、子供に返る季節なのね

全長242mの巨大前方後円墳は第十代の崇神天皇陵

正しくは、”山辺道勾岡上陵”

広大な森の周囲は水を湛えた堀が張り巡らされ堂々としている

幕末には柳本藩が灌漑利用し、当初の姿とは異なっているらしいが

それにしても、広い!

側を通って、卑弥呼の里、柳本へと下って行く

JR柳本駅着 11時50分

「山の辺の道」はまだまだ奈良まで続いているが・・・

今日は此処までにして、一路大坂へ

 

誰にも会わない、四国の街道歩きは寂しいけど

日本最古の道は、賑やか過ぎてロマンに浸ってばかりも居られない

やっぱり、古都奈良は、観光地

 

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