2007年12月01日 金毘羅街道

石松さんも歩いた丸亀街道

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第582号)」

 
JR丸亀駅〜太助灯籠〜山下の道標〜高灯籠〜(裏参道)〜金刀比羅宮奥社〜
〜(表参道)〜JR琴平前駐車場                   (7時間50分)

 

四国といえば「こんぴらさん」

江戸中期以降、庶民の間にも金毘羅参詣が広がり

四国各地から金毘羅へと道が続いている

丸亀、多度津、高松、阿波、伊予・土佐街道の金毘羅五街道のうち

最も賑わったのが、江戸、大坂方面から来た人々が歩いた丸亀街道で

今も、街道沿いには丁石や道標が残り、昔の風情が感じられる

一茶、蕪村、丸山応挙、冷泉為恭、谷文晁、頼山陽、緒方洪庵など

多くの文人や学者も丸亀街道を通って参詣しています

ちょっと ちょっと!

誰か忘れちゃあー いませんか? 

 あっ そう そう あの義理人情に厚い粋な人

よっ! おばさん うどん食いねえ 伊予の生まれだってねえ

坊ちゃんだんご 食いねえ  (ちょっと語呂が悪いね)

 

JR琴平駅近くに駐車して、JR土讃線で丸亀へ

7時30分 JR丸亀駅前から、丸亀港へ向かう

丸亀港は「こんぴら参り」の人たちの上陸地で、門前湊として栄えたそうだ

今は金毘羅船に代わって、高速船やフェリーが行き交う

7時40分 丸亀港に建つ金毘羅街道一の灯籠

天保9年(1838)、海上の安全を祈願する常夜灯千人講によって建立された

最高額80両を寄進した、江戸本所相生町の塩原太助の名前を取り

「太助灯籠」とも呼ばれている

此処からこんぴらさんに建つ高灯籠までは、およそ百五十丁

丸亀市商工観光課から送って貰った「こんぴらさんへの道しるべ」

を片手に、こんぴらさんにお参りしてから象頭山を目指そう

みなと公園に停泊中の金毘羅丸

向こうには中府三軒家から移された、一対の石灯籠が見える

「こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ 

回れば四国は讃州那珂の郡 象頭山 こんぴら大権現一度回れば・・・・ 」

丸亀へ向かう船中では、賑やかに讃岐民謡が唄われたのだろう

「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「食いねえ 食いねえ すし食いねえ」

お馴染み、「石松代参三十石船」の名調子は

無事代参を済ませた石松が、三十石船に乗って

大坂天満橋から淀川を遡り、京都伏見へ向かう船中の話

元丸亀藩主山崎家の菩提寺・寿覚院

「左金毘羅道」「本宮百五拾八丁」と刻まれた灯籠や

明治13年(1880)、南条町有志建立の道標がある

街道の雰囲気が残る中府町(なかぶ)の通り

江戸時代には、此処に城下の出入り口があったそうだ

中府の地名は、讃岐国司となった菅原道真が那珂郡の府丁を設けた事による

昔、駕籠かきの詰所があった場所に

「奉獻道案内立石」「従是金毘羅町口江 百五拾丁」と

刻まれた丁石が立つ (丁石は丸亀港から移転?)

前方に、立派な鳥居が見えて来た

8時25分 中府の大鳥居

高さ22尺(約6,7m)もある花崗岩製のこの鳥居は

「金刀比羅宮の一の鳥居」で、明治4年(1871)に

大阪府堺、山口県、青森県、地元丸亀の人々によって建立された

真新しい、平成の丁石が建つ

写真を撮っていたら、お店の方が丁石の案内ガイドを下さった

ありがとうございました

県道33号線に出て振り返れば、標高66mの亀山に

丸亀町のシンボル・丸亀城が聳え立つ

築城四百年の丸亀城の石垣は、日本一の高さを誇り

”扇の勾配”といわれる美しい石の芸術品

天守閣、大手門、御殿表門は国の重要文化財に指定されている

白亜の天守閣が見下ろす街は、しっとりと落ち着いた雰囲気がする

野鳥の楽園・田村池で一休みしてから

少し歩くと、正面寺の自然石灯籠がある

万延元年(1860)に、村人の安全を祈願して建てられたそうだ

高速道路を潜り、交通量の多くて狭い県道4号線に出てからは冷や汗

10時05分 角下組石灯籠(善通寺市与北町)

寛政7年9月と刻まれた常夜燈の側には、七十丁石が建つ

南西を見れば、霞む象頭山の麓は紅葉真っ盛り〜♪

街道のほぼ中間、与北茶堂跡に建つ石灯籠

旅人の憩いの場だった茶堂は、丸亀市宝光寺に移転されているそうだが

丁石、石橋、駒乗石、石の手水鉢、沓脱ぎ石、金印の巴瓦など

往時を偲ばせるものが残っている

丁石には丸亀入口まで従是七十五丁と刻まれている

善通寺市に入ると、軒先に掛けられている道しるべが目を引く

「こんぴらさんへの道しるべ協議会」と書かれた道しるべには

「毎月代参土曜日はこんぴら街道の日」と石松風代参犬が描かれたものもある

山下の道標と平成の九十丁石が並ぶ

「左 大川剣山道  右 金毘羅街道」の分岐点

「明治拾一歳」と刻まれていたが・・・?

10時50分 丸亀街道の案内板がある満濃町のうどん屋

雨足が強くなったので、雨宿りを兼ねてうどん休憩

生姜がよく効いて、美味しかった〜

うどんを食べている間に、雨が止んでいた

あんまりイチョウが綺麗だったので如意山星明院吉祥寺に寄り道

振り返って見れば、讃岐富士も随分遠くなったわ

祭神、吉備武彦が祀られた富隈神社にもお参り

境内に木食善壱住上人の入定塔がある

平成の丁石 「百十丁」 高灯籠まで、後四十丁だわ

あらら、金毘羅さんが近付いてきたと思ったら

又、雨が・・・ 象頭山に雲がかかり出したわ

金刀比羅宮北神苑に建つ、高灯籠

その昔は、中府の大鳥居からも灯りが見えたという

日本一のっぽの灯籠で、高さは 27.58mもあるそうだ

近くに、「従是丸亀江百五拾丁」と刻まれた起点石が立つ

また、藤棚の側には街道修復のさいに犠牲になった虫を供養する石碑「蟲塚」がある

大鳥居のある大宮橋を渡ると、昼だというのに明かりが灯る

又、雨足が強くなって来た

バケツをひっくり返したような雨が、霙からアラレに!

小降りになるまで、神明町の土産屋さんの軒先で雨宿り

少し小降りになったので門前町を通り、裏参道へ入って行く

「国の名勝・天然記念物象頭山」 照葉樹林の杜は鳥の鳴き声が響く

奥社への石段は、先程の雨に打たれもみじが沢山散っている

表参道入口から本宮までの石段は、785段

奥社までだと、1368段ある

巖魁神社(奥社)左の岩壁に天狗さん

曲亭馬琴の『金毘羅利生記』の中に、幼い田宮坊太郎が

瀬戸の海を渡るのを助けた象頭山の天狗が出てくるけど・・・?

「威徳巖 奥社の御祭神また崇徳上皇ここに御参籠の旧跡と伝えあり」

と表示板が立てられているから、上皇を護る天狗かも?

1時35分 金刀比羅宮奥社より中讃平野を見下ろす

香川県には大小合わせて18600余の溜め池があるそうだけど

飯野山周辺にも沢山有るわ

暫く待っていたら、少し明るくなって来た

1時55分 奥社から直登ルートで琴平山を目指すが

濡れた落ち葉でずるずる滑り、足もとは泥んこ

ウオーキングシューズではちょっと無理だわ

琴平山と象頭山、どこがピークだか良くわからないけど

取り敢えず標高524mに琴平山、521,2mの三角点に象頭山のうちわを立て

横がけ道を帰ってくる予定だったけど・・・

金毘羅参りのみやげ物といえば、天狗の葉うちわから思いついた金印の渋うちわ

「伊予竹に 土佐紙貼りて あわ(阿波)ぐれば 讃岐うちわで 至極(四国)涼しい」

と歌い継がれ、現在は国の伝統的工芸品に指定されている

「こんぴらさん」の名で親しまれている「金刀比羅宮本宮」

海の神様、大物主神が祀られている

宝暦10年(1760)「日本一社の勅願所」の綸旨を受け

後には幕府祈願所となり、庶民に広まってからは各地で金毘羅講が結成される

神社参拝の旅以外は、藩内から出るのを禁止されていた当時は

お伊勢参りとともに金毘羅参りは庶民の夢、楽しみだったのだろうな

天保8年(1837)に建立された銅瓦葺の旭社は

本宮と見紛いそうな荘厳な入母屋造

「石松さん 本宮はもっと上よ〜」

万延元年(1860)、首尾よく長兵衛の仇討ちを果たした次郎長の代参で

お礼参りにやって来た石松さん

旭社を本宮と勘違いして代参を終えてしまったそうです

その時、奉納したという備前国忠良の一刀が、宝物館に納められている

東京から合格祈願にやって来た、こんぴら狗(いぬ)

首からこんぴら参りと記した札を下げ、道中の費用や初穂料を首に巻いて

参拝に来られない主人に代わり、旅人に託されてやって来た代参犬

無事代参を済ませ、家族の元へ帰ったそうです

長旅はしんどかった ワン

山形酒田を始め多くの人の奉献になる、青銅大灯籠  これも、大きいわ〜

同型のものが、山形県山寺、宮城県金華山の黄金山神社にも奉献されている

参道脇の、目にも鮮やかな深紅のもみじは息を呑む美しさ

 雨上がりで、綺麗〜

「食いねえ、食いねえ まんじゅう食いねえ 金毘羅名物、石松まんじゅうよ」

あら、石松さん、まだこんな所で呑気にお饅頭食べてるの?

気をつけて清水まで帰ってね 

あっ くれぐれもお寿司食べ過ぎないように!

金倉川に銅葺屋根つきのアーチ式木造橋が架かる

刀の鞘の様な形から鞘橋と呼ばれ、登録有形文化財に指定されている

3時20分 富士見町の並び燈籠に見送られて、駐車場着

そうそう、石松さんも無事に清水へ帰ったかしら?

(預かった姐さんへの香典25両を狙われ、帰路、遠州浜松で無念の死)

エッー! まさか!

 

丸亀街道は中讃平野のど真ん中

昔はのどかな田園風景の広がるこの道を多くの参詣客が

お国自慢に花を咲かせ、賑やかに歩いた事だろう

今日は、雨、アラレの天気にもかかわらず

相変わらず賑わっていたこんぴらさん

「しんど〜」と言いながらも、石段を登ってくる顔は、何故か綻んでいた

そう、今も昔も みんな「こんぴらさん」が好きなんだ!

四国の道は全て「こんぴらさん」に通じる

何はともあれ 「うどん食いねえ〜 すし食いねえ〜」

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