西讃七山巡り
空海ゆかりの地を尋ねて
GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) |
@ 海岸寺〜天霧山〜弥谷山〜鳥坂峠〜JRみの駅 (5時間20分) |
A 鳥坂峠〜火上山〜中山〜我拝師山〜筆ノ山〜香色山〜善通寺(5時間30分) |
四国といえば「おへんろさん」
弘法大師空海を生んだ地であり、精神文化、信仰心の厚い土地
古くから、お遍路さんだけでなく、文人、歌人が沢山訪れている
あきかぜや 空海法師 をさなくて 見たる讃岐の 碧瑠璃の空
(与謝野晶子)
大師が生まれた屏風ヶ浦は海岸寺と善通寺の二説あるが
碧瑠璃の空はどちらも同じ
母の玉依御前が住んでいた海岸寺より、七山を巡って
父の寺、善通寺まで歩いてみよう
2007年11月25日 海岸寺〜天霧山〜弥谷山〜鳥坂峠
7時10分 JR予讃線海岸寺駅に車を停め、出発
駅から北へ少し歩き、県道21号線に当たると
お大師さんが子供の頃に過ごした海岸寺の二王門(二力士門)が見え出す
四国霊場別格十八番・経納山 海岸寺にお参り
此処は、弘法大師の母、玉依御前が住んだ阿刀氏の地
江戸時代に、大師の生誕地争いをして善通寺に軍配が上がったけど・・・
大師堂がある奥之院二重塔の方を見ながら
ご詠歌に詠われている屏風ヶ浦は此処に間違いない
と、寺で会った方が力説されていた
「七ヶ寺参りかね、気をつけて行きなさいよ」と見送ってくれたけど
すみません、七山巡りなんです
天霧山、弥谷山が待っている〜
海岸寺の東、弘田川を渡り少し行ったところに佛母院がある
弘法大師が産湯を使った御産湯井戸
側に、御母公御住屋敷跡やお大師さんのへその緒を納めた胞衣塚がある
新四国曼荼羅霊場第十七番・屏風浦八幡山佛母院
寺は大師御母公玉依御前の屋敷で、往古は大善坊と称したが
寛永15年(1638)嵯峨御所より「佛母院」の院号を下賜されたそうだ
大師が誕生した774年頃は
妻が実家で子どもを産み育て、夫が通って来ていた「妻問い婚」の時代
此方が、お大師さんの生誕地かもしれないわ
稲刈りの終わった田圃の向こうに
朝日を浴びて輝く天霧山、弥谷山
右下に豊稔堰が見える
よく手入れされたブドウ畑
来年も美味しいブドウが沢山なるといいなぁ〜
目指す弥谷越は、あの一番低い所かな?
八王子池の側を通り、
弘法大師が虚空蔵求聞持の法を修行したとされる八王山虚空蔵寺を過ぎると
砂防ダムの横に、白方遍路道がある
「八十八ヶ所霊場」と書かれた紅い幟が目印
番外霊場 天霧八王山奥之院
「弘法大師ご修行之御遺跡、涅槃岩屋霊場
愛染明王、弘法大師之御尊像安置奉る」と書かれていたが
同じ八王山の山号からすると、虚空蔵寺の奥之院なのかしら?
沢沿いの道は傷んでいて、所々は沢の中を歩く
雨の多い時は歩き難いだろうな
道筋には、一番から八十八番の札所を刻んだ石仏が並び
歩く人々を見守っている
8時35分 二体のお地蔵さんが立つ、弥谷越の峠
暫く休んでから、東の尾根を進み天霧山を目指す
隠砦跡の標識があるので行ってみたが、何も無ったわ
「犬返しの険」の急坂、本丸跡物見台、二の丸跡、三の丸跡を過ぎると
天霧城跡の標石が立つ広場に着く
頂上は、其処からもう少し東へ進んだ所らしい
9時5分 北東端の方形郭の標識が立つ、天霧山頂上(360m)
西讃五岳が見えるが、舫っていて展望はいまいち
高速道路から見ると、南面は殆んど採石され可哀想な姿だが
此処に聳える天霧城は、峻険な自然を利用した難攻不落の名山城だったそうだ
天正6年(1578),讃岐へ侵攻して来た長宗我部元親軍が水攻めで城を落とそうと
包囲したが、郭下の崖には水が滝のように流れ落ちキラキラ輝いているのが見えたので
包囲攻略を諦め,陣を引き揚げようとしていた時,里人に水を所望している尼を捕らえる
「米や砂を流して水のように見せかけているが、城内の水は既に一滴もない」
との尼の言葉に、今まで以上に厳しく包囲を続け、ついに落城
この事を聞き及んだ家老が、尼を捜し出し首を刎ねたことから「尼斬城」とも言われていた
9時55分 弥谷山(382m)
玉藻集によれば、死霊の集まる山として信仰され
俗称・仏山(ぶつさん)と言われていたそうだ
木立に囲まれ展望も無いので、早々に退散
県指定史跡 魔崖佛
本堂近くの岩壁に刻まれた阿弥陀三尊
唐から帰国した空海が、本尊の千手観世音を刻んで安置したと伝えられる
四国霊場71番札所 「剣五山 弥谷寺」境内は紅葉真っ盛り
並んだお地蔵さんの前に沢山小石が積まれ、昼でも薄暗い
「賽の河原」と呼ばれている参道を下って来ると、古刹の雰囲気が漂う仁王門が建つ
弥谷寺から曼荼羅寺への遍路道はよく手入れされ歩き易い
高速道路下を潜り、遍路道と別れて鳥坂峠へ向かう
11時 鳥坂峠
その昔、参勤交代の殿様も好んだという峠名物の「鳥坂まんじゅう」
一口サイズで、甘酒風味の素朴な味わい
お店で、熱々のおまんじゅうを戴きながら、休憩
さぁ、火上山に向けて意気揚々と出発するが・・・
どうも取り付いた道は間違っているみたい、藪と猪の罠に撤退
国道まで引き返し、後日、出直す事にする
一番近いJRの駅は何処かと地図で確認して三野駅へ向かう
途中、左手のみかん畑に入って行く坂がある
これだ!と思ったが、もう登る気力が失せていた
トボトボ歩いて、JR三野駅 12時30分 着
12月23日 火上山〜中山〜我拝師山〜筆ノ山〜香色山〜善通寺
9時40分 国道11号線沿いの空きスペースに車を停め出発
一ヶ月ぶりの前回の続き 「始まり〜」
みかん地につけられた坂道を歩いて行く
見上げると、「こっちだよ」と火上山が呼んでいる
雨に濡れた夏みかん?が綺麗!
火上山への指標を見て、冬枯れした森の中に入って行く
心地好い落ち葉を踏みしめながら歩いていると
時折、風に揺られた木々から雨粒が落ち
パラパラと枯葉にあたる音が響く
霧で霞んだ坂道の途中に、石積が現れた
標識は見当たらないが、これが八大龍王社だろうか?
10時25分 火上山頂上(406m)
「ひあげやま」の意味って?
山麓に軍事・交通の要衝、鳥坂峠を控え
仁尾や雨霧へ軍事情報を伝える狼煙をあげたのだろう
烽火台跡も残っている
又、干ばつ時には龍王に火を捧げて雨乞い祈祷をしたそうだ
転びそうになりながら急坂を下って来て
四国電力の鉄塔が立つ広場に出る
広場の東隅から、岩がゴロゴロする道に入り進んで行くと
登山道より一段低くなっている所に鉄塔の保安路が見える
11時05分 中山 (439m)
以前、香色山、筆ノ山、我拝師山と縦走して来て、此処から引き返したので
ずっと忘れ物をした気分だったけど、やっと五岳山達成!
中山北麓はみかん畑が広がり、水茎(みずくき)の丘と呼ばれ
西行法師の山里庵跡があるが、西行さんも、いろんな所でお会いするわ〜
中山から下って来ると、我拝師山との鞍部に
四国霊場73番札所 「我拝師山 出釈迦寺」奥之院が建つ
肝心の「捨身ヶ嶽禅定」は霧に包まれ、何も見えない
少し風が出て来だしたので霧が晴れないかなと暫く待つが
一向にその気配は無し
捨身ヶ嶽禅定にかかるお鎖
弘法大師空海が、まだ真魚(まお)と幼名で呼ばれていた頃
倭斬濃山(わしのさん 今の我拝師山)に登り
「仏門に入って人々を救いたい。この願いが叶うなら釈迦如来よ現れ給え」と言って
断崖絶壁から身を投じると釈迦如来と天女が現れ空中で真魚を抱きとめたそうだ
私なら、「そんな危ないことしたらダメ!」と、絶対、真魚ちゃんを引き止めるわ
今日の捨身ヶ嶽の断崖絶壁は濃い霧の中
ひょっと天女が現れそうな気配だけど・・・(笑)
11時40分 我拝師山 (481m)
暫く休んでいたら、2人登って来られた
後続の13人を待って、これから鳥坂峠へ向かうそうだ
「ガスが晴れるといいですね〜」と挨拶をし
気合を入れて急坂に向かって行くと
賑やかな声が聞こえ出した
「頂上は、まだですか〜?」 「もう直ぐですよ〜」
「滑りますよ〜 気をつけて〜」 「ハ〜イ}
雨の後の「四国三大急坂」の下りは大変!
ずるずる滑るので、ロープが有っても気が抜けないわ
何度も転びそうになり、やっとの思いで大坂峠に下り立つ
靴が泥んこ〜 (泣)
1時 筆ノ山山頂(296m)
大坂峠で大休止の後、筆ノ山を目指していたら
頂上手前で、日が差し出した〜♪
我拝師山の頂上が現れるかなと暫く待ったけど、此処まででした(ガックリ)
高射砲陣地跡と思われる石積の凹んだ所はロープが張られていたが
ここは太平洋戦争のとき、米軍機に対する攻撃基地として作られたものだそうだ
北の方は青空が出始め、天霧山、弥谷山も見え出した
頂上に立つ「筆ノ山絆の森」の看板に、古くから親しまれて来たこの山の
賑わいを取り戻そうと活動している事や、登山道を記した地図が書かれていた
よく見ると、西山登山口へ下る道は行場もある「修験者の道」だって
迷わず行場を目指して下山 好きね〜(笑)
他にも、来た道を途中まで引き返し、平谷登山口へ下る道や
龍神様(祠)のある朝比奈登山口へ下る道がある
いずれも所要時間は30分〜35分ほど
10分ほど下りた所に、朝比奈登山口と西山登山口の分岐
西山分岐点を右に取る
石鎚教会奥行場の斜面には鎖が取り付けられ
点々と、石仏が並んでいる
一番上に祀られているのは阿弥陀様みたい
でも、何故石鎚なんだろう?
「修験者の道」と書かれていたにしては歩き易くて拍子抜け
民家が見え出したと思ったら
あら、善通寺駐車場側まで下りて来たわ
此処で帰ったら、またまた西讃四岳、やっぱり香色山も登らなくちゃ
筆ノ山の裾を巻いて平谷登山口から香色山へ
ミニ八十八ヶ所遊歩道を横切り、松林の中を直登すると、後一息
1時55分 やっと五岳目の香色山頂上(157m)
歩いて来た西の方を振り返ると、段々霧も晴れて来ている
東麓に見える善通寺へは、ゆっくり舗装された道や石段を下りて行く
赤い鳥居を潜ると、目の前はもう駐車場だ
大きい「香色山登山道入り口」の標識が立つ
駐車場を横切り、済世橋を渡ると善通寺境内に入る
広大な境内に、香色山を見上げるように御影堂(大師堂)が建つ
大師の父は、讃岐国造の佐伯田君(さえきのたきみ)で法名が善通
此処は、父の名前が寺号となった
四国霊場75番札所 「屏風ヶ浦五岳山誕生院 善通寺」
やっと到着 長かった〜
境内に森をつくる「大楠」は県指定の天然記念物
こぶこぶした太い幹が、千数百年余の歴史を物語っている
大師が誕生した時、既に大樹だったそうだが
真魚ちゃんは、この木に登って遊んだり・・・? してないだろうな
南大門の側に聳える高さ45メートル、総欅造りの五重塔
此処は、真言宗善通寺派総本山
敬慕と親しみを込めて「お大師さん」と呼ばれているが
善通寺はまるごと「お大師さん」の町
毎年11月3日には「空海ふるさとまつり」が開かれている
お参りを済ませ、南大門より「お大師さん」を後にする
3時10分 善通寺病院前タクシーで鳥坂峠へ
泥んこの靴を嫌がりもせず、気持よく応対して下さった
運転手さん、有り難うございました
さすが「お大師さん」の生まれた町でした