2008年6月28日 本 島
塩飽本島 歴史巡り
周囲僅かに16kmの本島は、塩飽水軍の本拠地として栄え
今も、その歴史や文化が色濃く残っている
丸亀港から本島港まで、フェリー(ほんじま丸)で35分
本島へ渡るのは、およそ40年ぶりかな
水島から船に乗って、友人達と泊海水浴場へ泳ぎに来たけど
その時は、もう少し時間がかかったような気がするわ
ゼニアオイ 笠島・甲生地区の「埋め墓」
集落から離れた場所に遺体を埋葬し土饅頭や自然石を置いて「埋め墓」を祀り
寺や集落に近い場所に石塔を建て「詣り墓」とする両墓制は
古くは近畿地方を中心に広く分布していたが、火葬が普及し段々見られなくなったそうだ
笠島の海岸部には、今も「埋め墓」が沢山残りセンゾと呼ばれている
新在家海岸に建つ常夜燈
大黒様とおかめの鏝絵(こてえ) 寛永4年(1627)建立、国指定史跡・年寄吉田彦右衛門の墓
源光山・専称寺(せんしょうじ)
建永2年(1207)浄土宗開祖・法然上人が都から此の地に配流となった時
塩飽の地頭、駿河権守高階保遠が上人を温かく向え庵を建てて
念仏弘通の道場としたのが、この寺の始まりと謂われている
上人は此の後、讃岐小松荘へ移る
東山に沿って南北に走る「東小路(とうしょうじ)」通り
タイムスリップしたような通りには
風情有る本瓦葺き、漆喰塗りの白壁で独特の雰囲気を醸し出す
現在笠島には、江戸後期の建物が13棟、明治時代のものが20棟残り
「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている
城下町の様相を呈する「マッチョ通り」(町通りが転訛)
東小路やマッチョ通りの他にも、田中小路、神社通りなどが有り
いずれも、道がS字型に湾曲したり、L字型やT字型に曲がるなど
見通しが利かない工夫がされているのが特徴
笠島まち並み保存センター、真木邸(さなぎてい)
町並み保存を行なっているNPO法人の方が
昔のままの竈や中2階の納戸が残る邸内を案内してくれた
外からは分からなかったが、通りに沿って部屋の中が曲がっているのには驚いたわ!
「金田一幸耕肋・悪魔が来たりて笛を吹く」等、テレビのロケにも何度か使われたそうだ
城山付近から、江戸時代の雰囲気を残す家並みを見下ろす
本島の北東端に位置する笠島は、北は海に面し東は海に張り出した城山(40m)
南は光厳寺山(38,9m)、西は西山(37m)に囲まれた自然の要塞地になっている
虫籠窓、格子窓、腰格子、出格子等を組み合わせた町屋が立ち並ぶ
狭い路地の向こうには港が見え、郷愁をそそる
天然の良港・笠島港
猫が珍しそうに物陰からジッと此方を見ているが、何故か人をあまり見かけないわ
日本武尊を祀る笠島の氏神様・尾上神社
塩飽大工の養成所・組合立塩飽補修工業学校の生徒たちによって
大正5年に建てられた拝殿は、見事な出来栄え
説明版によると、今も拝殿を修理をするといえば、当時の人々が大勢集まるそうだ
境内入口には、芝居小屋の跡を留める地形石が置かれていたが
「尾上座」は回り舞台を持つ本格的な芝居小屋で、当時の賑わいが偲ばれる
遠見山展望台(107m)より望む備讃瀬戸
少し雨がぱらついているが
白鳥が羽根を広げたような斜張橋が間近に見える
右が岩黒島橋、左が櫃石島橋で共に792mと双子の橋だ
遠見山の「てんぐの足あと」と、説明板が建っている
これが、その足跡なのかしら?
本当にあれが天狗の足跡かしらねぇと、首を傾げながら下りていたら
登山の格好をした方に「てんぐの足あとはどの辺りでしょうか」って聞かれた
他にも物好きな人が居て安心?したわ
少し下り、大岩の後ろ側に回り込むと、岩の下に「おやみ堂」の祠が祀られている
本島霊場第一番札所、宝樹山・長徳寺
ご本尊は阿弥陀如来坐像で、平安時代の名僧恵心僧都作と謂われている
香川の保存木に指定されている「長徳寺のモッコク」は
樹齢およそ400年、幹周り3,4mの「ふるさとの名木」
こんなに大きいモッコクの木を見たのは初めて!
寛政10年(1798)に建てられた海の政所
重厚な塩飽勤番所の長屋門から当時の権勢が偲ばれる
史跡 塩飽勤番所
武士の大名に対して「人名(にんみょう)」と呼ばれていた船方衆
その中から選ばれた年寄たちが、自治領を統治し、此処で執務を司っていた
お邪魔しま〜す
天正5年3月26日に出された「織田信長の朱印状」
館内には織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀次、徳川家康、徳川秀忠等の朱印状が展示されていた
関ヶ原の功績に対して与えられた徳川家康の朱印状は次の様に記されている
「合千二百五拾石、右領知当島中船方六百五拾人に先判の如く下され候之条配分せしめ全く領知すべき者也」
これにより、塩飽は1250石の人名領となった
万延元年(1860)、日本人にとって最初の太平洋横断を成し遂げた咸臨丸に
乗船していた水夫50人の内、実に35人が塩飽出身者だったそうだ
大国主命を祀る泊地区の産土神・木烏神社(こがらすじんじゃ)
神代の昔、日本武尊が瀬戸内海を巡行中に濃霧で迷っていると、一羽の烏が現れ水先案内した後
泊へ飛び帰ったので、此処に祠を建て祀ったのが始まりとも謂われている
社殿横には、文久2年(1862)に建立の芝居小屋「千歳座」が建つ
幕府の禁制を免れるため、名目は神社の道具納屋とされているが、本格的な芝居常小屋だそうだ
また、寛永4年(1627)に奉納された立派な石鳥居からは、建立当時の繁栄が偲ばれる
オミナエシの蜜を吸うベニシジミ ハマヒルガオ
昔と変わらず、穏やかな波が打ち寄せる水際
綺麗な砂浜が続く泊海水浴場なのに、最近はあまり海水浴客も来ないそうだ
夏祭りに大勢の山伏が集まり、荒行火渡りをする山寺(正覚院)へ行けなかったのが
心残りだけど、フェリーの時間が迫っているので今日は此処まで
それにしても、小さな島に歴史満載! 4時間余たっぷり楽しめました