2008年  一 本 桜

願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃

西行の桜を愛でる和歌は、あまりにも有名だが

風雪に耐えた古木が、幽玄に咲き誇る姿は愛おしく

心の琴線に触れてくる

 

西条市丹原  「実報寺の一樹桜」

「聖帝山 実報寺」とは帝勅願の「真実報いのある寺」という意味だそうだ

紀元640年、道後温泉に湯治に来られていた舒明天皇の勅願により建立

近隣に、桜坊、仁王堂、古堂等の地名が残っているのをみれば、元は大伽藍だったのだろう

樹齢300余年の古木が、境内の真ん中にデーンと構える

寛政7年(1795年)、当寺を訪れた一茶の句が残る

遠山と 見しは是也 花一木

一茶の句が名前の由来となり「一木桜(ひときさくら)」と呼ばれているそうだ

3月30日 生まれたばかりの桜花は、清らかで美しい

4月06日 満開〜

 

 

今治市朝倉  「無量寺の枝垂桜」 (3月30日)

百年ほど前に、京都伏見の醍醐寺から移植されたそうで

今は、幹周1,72m、樹高10,5m、南北に15m程枝をはっているが

まだこれからドンドン成長して風格が出てくるのだろう

豪華に見える花も一つ一つ良く見れば、半開きで淡いピンク色〜

 

 

西条市丹原町 「古田(こた)の枝垂桜」

紅葉で有名な西山興隆寺の参道入口に立つ

乙女が日傘をさしているような樹形からは高貴な雰囲気が漂ってくる

石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰を借景に、なんとも四国一贅沢な一本桜だわ

 

3月30日 五分咲き 訪れる人も無く、静かに雨に佇む乙女

4月02日 満開〜 雪の残る石鎚が、薄っすらと遠望出来る

 4月06日  一分葉桜

葉が出始めた桜の下では、地元の方たちが賑やかに宴会〜

 

 

久万高原町中津 「天神宮の枝垂桜」 (4月05日)

西村大師堂を目指して狭い道を走っていると、三分咲きの枝垂桜が目に入った

「中津さくらまつり」の準備で、朝から餅つきをしていたと言う地元の方が

「名前は天神宮の桜かな。こっちの桜の方が、よう開いとるよ」と教えてくれた

道を駆け下りていくと、桜越しに、中津明神山〜♪

 

 

久万高原町中津 「大師堂の枝垂桜」 (4月05日)

高知県境の中津西村大師堂では明日の「中津さくらまつり」の準備が

着々と行われていたが、肝心の主役は出遅れ気味

大師堂に着くと、賑やかに手作りのお土産が売られている中で

樹齢220年の枝垂桜が申し訳無さそうに立っていた

満開になれば、妖艶な姿だろうな〜

 

 

仁淀川町別枝本村 「中越家の枝垂桜」 (4月05日)

土佐三大祭りの一つ「秋葉祭礼練り」で有名な秋葉神社がある山里

仁淀川町別枝の旧庄屋・中越家の庭から枝垂桜が豪快にせり出している

樹齢200年、高さ10m、枝張り直径14mという巨木から桜花が降り注ぐ

人気者の桜の周りは、花見客やカメラを持った観光客で賑わっていた

 

 

仁淀川町桜 「桜のひょうたん桜」 (4月05日)

樹高30m、根元周囲8mの巨大桜が標高400mの山里に聳える

樹齢500年のウバヒガンザクラの古木からは生命の躍動感が伝わってくる

この木を植えたのは織田信長との戦いに敗れてこの地へ

落ち延びて来た武田勝頼だと言われているが・・・?

背後に、端正な姿の雨ヶ森を従えて威風堂々と立つ姿は、王者の雰囲気

斜面一面のシバザクラが彩をそえる

公園の一番奥に立つ、枝垂桜の古木

二代目「ひょうたん桜」の立ち姿も、堂々としている

 

 

つるぎ町(貞光町太田字柴内) 「桜堂のひょうたん桜」 (4月08日)

標高400mの高台から、山里を見下ろしている桜

その昔、綻び始めた桜の下に、村人がご馳走を持って集い

「春は花〜♪ 秋は稲穂を待ちゃかねたる〜♪」

などと唄いながら花見をしたのだろう

村人にとって、花見は豊作の祈りだったのかもしれない

 

 

つるぎ町 (貞光町太田) 「柴内小学校校庭の桜」 (4月08日)

ひょうたん桜と道を隔てた反対側に建つ、こじんまりとした小学校

人気の無い校庭では、満開の桜が静かに立っている

そういえば今日は、入学式の日

子供達の歓声が聞かれなくなって、もう何年経ったのだろう

 

 

つるぎ町 (貞光町吉良) (4月08日)

吉良は海抜350m、その台地全体は五所平(御所平)と呼ばれている

ゆるやかな傾斜地には、満開の枝垂桜が垂れ下がり

路面に届きそうになった枝垂れは、幼子のうない髪のように切り揃えられていた

 

 

つるぎ町 (貞光町端山) 「吉良のエドヒガン」 (4月08日)

忌部神社側に聳える樹齢430年のご神木が、優美に咲き誇る

神宿る姿ともいえる壮麗な美しさに、思わず息を呑む

「昨日までお接待をしよったんじゃけど」と言われる神社の方の話では

見頃は2、3日前だけど、下の枝に葉が出始めた今日が満開だそうだ

あまりの大きさに、下から咲き始めて天辺までいくのに時間がかかるとか

いにしへの 人の心のなさけをば 老木の花の こずゑにぞ知る 

 

 

つるぎ町 (一宇村久藪) 「天日神社のエドヒガン」 (4月08日)

 樹齢推定300年以上のエドヒガンが津志嶽登山口の阿弥陀堂側に静かに佇む

昨年シャクナゲが咲く頃来た時は

こんなに可愛い淡紅色の乙女が居るなんて全然気づかなかった

短い花の時期のために、一年間黙って頑張っているんだ

 

 

美馬市木屋平(旧役場上) 「川井の大桜」 (4月08日)

木屋平の中心「大桜の湯」の側に聳え、「川井のエドヒガンザクラ」とも呼ばれている

穴吹、神山、剣山を結ぶ交通の要衝に立つ、街道の大桜

昔から多くの人を楽しませてきたんだろうなぁ

 

 

美馬市穴吹町古宮内田  「世の中桜」 「天神桜」 (4月08日)

この二本の桜は、来年再チャレンジ

開花状況で景気を占ったと言う「世の中桜」まで、600mの案内板

あんまり時間も無いし、行こうか止めようかと躊躇しながら読むと

エッー! クマやイノシシの目撃情報があるので注意!・・・パス

  天神ノ森のお大師さんを守るご神木「天神桜」までは、500m

道は良さそうだけど人気も無いし、もしクマに出会ったら・・・パス

花見に来て、「クマ注意」は想定外だったわ〜

 

 

東温市川内 「源太桜」 (4月11日)

桜三里のほぼ中間地点、千原集落の国道沿いにある原太桜の指標に導かれ

降りて行くと、中山川ダムがある

この堰堤からダム湖に沿って、旧中山道(旧金毘羅街道)を10分位歩くと

2本の桜が聳え立つ。手前が原太桜その1で、奥がその2

平家の残党樫原源太が、平家再興を願って植えたという伝説が残るが

松山藩の矢野五郎右衛門源太が、植えたという説もある

遠くから、千羽ヶ岳ものんびりとお花見〜

 

 

西条市加茂 「中之池小学校跡地の枝垂桜」 (4月11日 )

「中之池」は三つの淵に囲まれた集落と言う意味だそうだ

昭和47年廃校となった小学校跡には、今この桜だけが残り

毎年入学式の頃になると、精一杯花を咲かせている

 

 

琴南町 「長谷(はぜ)のヤマザクラ」 (4月12日)

別名、極楽桜と呼ばれているそうだが、往時は華やかに咲き誇っていたのだろう

国道438号から分かれ、町道「長谷吹佐古線」を5分程上って行くと

小高い丘の上に、それと直ぐ判る古木が立っていた

老いてなお、凛とした姿に心動かされる一本桜でした

曾孫と思われる幼木が、可愛い花を咲かせ古木にまとわりついている

ふと、八木重吉の詩が浮かぶ

綺麗な桜の花をみていると そのひとすじの気持ちにうたれる 

 

 

飯野山 「おじょも桜」 (4月12日)

標高421,9m、飯野山頂上の薬師堂側に

樹齢200年の山桜が立つ

この山に棲むと言うおじょも伝説から命名されたのかしら?

4月10日で、満20年を迎えた瀬戸大橋

今日、12日は与島で記念式典。成人式かな

明日は、橋上でマラソン・ジョギング・ウォーク等のイベントが催される

 

 

四国霊場六十五番札所 「三角寺のヤマザクラ」 (4月13日)

天平年間、聖武天皇の勅願寺として開創され

その後、弘法大師が本尊の十一面観世音菩薩を刻み

四国六十五番札所、由霊山・三角寺と定めた

境内に残る「三角の池」が、寺号の由来となった三角の護摩壇跡だそうだ

三角寺は、「菩提の道場」伊予路最後の札所

平石山の中腹(標高430m)にあり「伊予の関所」と呼ばれていた

70数段の急な石段を上り仁王門を潜ると、春遍路をもてなす桜が満開〜

寛政7年、この寺を訪れた一茶の句碑が建つ

これでこそ 登り甲斐ある 山櫻

 

 

四国中央市新宮町上市仲 「馬場の桜」 (4月13日)

樹齢200年、愛媛県最古のエドヒガン

植林を抜け、目の前に孤高の主が現れた時は、大感動!

樹下に、三角寺と奥之院・仙龍寺を結ぶ道標がある

お遍路さんには、この桜が目印、癒しのスポットだったのだろう

風情を削ぐ鉄塔なんか、気にも留めていないかのように堂々としていた

福島県大玉村に同名の「馬場桜(樹齢1000年)」がある

源義家が馬をつなぐために土に挿した桜の枝が成長したと云われているが

この木にも、昔は馬が繋がれていたんだろうか?

花は半開きで、これ以上は開かないそうだ

 

 

四国中央市金生町切山 「真鍋家の表桜 (おもざくら) (4月14日)

香川県境に近い切山地区は「平家落人の里」の伝説が残る

江戸時代中期に建てられたとされる国指定重要文化財「真鍋家住宅」の裏庭に

樹齢300年といわれるヤマザクラの巨木が、家屋を守るかのように立っている

風雪に耐えた雄々しい姿の木も、花で装うこの季節ばかりは優しそう

 

 

大豊町大滝 「氏堂の江戸彼岸」 (4月14日)

1780年頃、小松家初代当主が五台山から苗木を持ち帰り

氏堂の境内に植えたと伝えられる、樹齢230年のエドヒガンザクラ

毎年春になると大滝部落を始め、対岸の立野、八畝、怒田の集落では

この桜の咲き具合を見て、田植え準備の目安にしていたそうだ

そういえば、「種まき桜」と呼ばれる桜の古木が日本中にある

「種まき桜」の役目は終え、台風被害で枝が折れても

なお、青空に向かって悠然と立つその姿にロマンを感じる

 

 

年輪を重ねたエドヒガンやヤマザクラの風格に圧倒され

枝垂桜の艶やかさに酔いしれた一本桜巡り

古から人々の生活に深く関わり続けて来た崇高な姿に

自然と畏敬の念が湧いて来る

来年も再来年も、出来ればずっーと

山里に立つ孤高の桜が春を謳歌する姿から、元気を貰いたい

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