2008年 中国地方の桜巡り
日本の文化とともに歩んできた桜
数年前に「桜 西の名木」の本を買った時から
「田植桜」として親しまれている中国地方の一本桜を見たいなと思っていた
天気がちょっと心配だけど
気高く咲く古木たちに、会いに行ってこよう
真庭郡落合町 「醍 醐 桜」 (04月19日)
岡山県のほぼ中央、のどかな山里・吉念寺集落を見渡す小高い丘の上に
県下一の巨木、樹齢1000年超のアズマヒガン(ヒガンザクラの一種)が聳え立つ
目通り7.1m、根本周囲9.2m、枝張り東西南北20m、樹高18m
昭和47年12月岡山県の天然記念物指定
元弘2年(1332)、後醍醐天皇が隠岐配流の折に立ち寄った際
咲き誇るこの桜を見て賞賛されたことから醍醐桜と呼ばれているそうだ
2003年、NHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」にも登場
天気が好ければ、そろそろ日の出なんだけど・・・
地元の方の話では、先週の土、日は、車が一日中混雑し
何時もは10分で来られる麓から、なんと2時間30分もかかったとか!
以前に何度か来たが、蕾だったり、葉桜だったりだから
見頃は少し過ぎたとは言え、今まで見た中では、一番綺麗!!
裾周りを彩る三椏も満開〜
お母さんは頑張っているのに、二代目醍醐桜は既に葉桜
孫桜が岡山県庁裏に植えられているそうだ
今は、三分葉桜
ゴールデンウイークの中頃が葉桜の見頃?
真庭郡勝山町 「岩井畝の大桜」 (04月19日)
醍醐桜から数km離れた山間の北斜面に、満開の大桜が立っていた
平家の落ち武者・辻権守正信が京都より苗を持ち帰り植えたと伝えられ
樹齢800年、目通り周囲5.5m 樹高14m 枝張(東西)20.5m (南北)23m
アズマヒガンでは県下二番目の大きさだそうだが
醍醐桜の賑わいに比べて、此方はひっそりとしていた
庄原市総領町 「下領家の江戸彼岸」 (04月19日)
樹齢500年のエドヒガンの老木は樹高20m、根回り7,81m
全国第五位、広島県第一位の巨樹で学術上貴重な存在だそうだ
「苗代桜」と呼ばれ、籾播きの指標樹とされて来た
( 田植え時期に開花するので「田植桜」とも呼ばれる )
総領町の道の駅で 「期待せんとってね」 と言われたけど
年代を感じさせる幹を、桜花で精一杯装い
小高い丘に凛として立つ姿を見た時は、神様が現れたのかと思った
それにしても、車輪いっぱいいっぱいの狭い道には緊張したわ
ニリンソウ 呑気者のフクジュソウ
庄原市東城町 「千鳥別尺の山桜」 (04月19日)
少しくらいは咲き出しているかなと、淡い期待を抱いて訪れた
が、今回の本命桜は、開花情報通り、まだ蕾 (泣)
標高700mの山里で、空に向かって孤高に聳え立つ姿からは
ご神木として守られてきた風格が漂っていた
四方に広げた枝いっぱいに花が開いたら、さぞやと思わせる見事な姿に大感動
(開花情報によると、21日にやっと咲き始め、24日には八分咲きだそうだ)
根元には、竈(かまど)の神である荒神様が祀られていた
原風景の中に溶け込んでいるご神木
樹齢400年、樹高27m、根回り6,7m
山桜では県天然記念物指定第一号
ラッキー ! ミズバショウ ショウジョウバカマ
庄原市東城町 「小奴可の要害桜」 (04月19日)
小高い亀山城跡に聳えるエドヒガン
樹齢500年、樹高18m、根回り6,55m
地域の農家では「苗代桜」と呼び、苗代づくりの目安にして来たそうだ
西の丸跡に、城を守るように聳える
亀山城二の丸跡では、ソメイヨシノが満開
二の丸跡から見下ろす姿が、品が好くて見事!
さすが、樹齢500年の風格が感じられる
山あいの城下町を見おろすエドヒガン
庄原市東城町 「森湯谷の江戸彼岸」 (04月19日)
飯山の麓に広がる田圃の側で、木立を背に堂々と立つ樹齢300年のエドヒガン
樹高25m、根回り5m、四方に張り出した枝一杯に豪華な花を咲かせていた
水が引かれた田圃に、艶やかな姿を写す
鮮やかなピンクが陽に映えれば、ため息が出そうな美しさだろうな
桜花を「夢見草」とも呼ぶそうだが、納得〜
真庭市 出雲街道「新庄宿」の「がいせんざくら祭り」 (04月20日)
明治39年、日露戦勝を記念して植えられた桜
長さ約400mの通りの約137本の桜が満開〜
以前、「がいせんざくら祭り」に訪れた時は、全くの蕾にガッカリだったが
今回は、それを埋め合わせて余りある程の見事な咲きっぷり
桜のトンネル
がいせん桜通りの両側には、江戸時代に造られたという、石積みの水路が流れ
水路から取り込んだ小さな堀では、鯉が優雅に泳ぎ、可憐な山葵の花が咲いていた
四季折々にかなでるせせらぎの音は「日本の音風景百選」に選ばれているそうだ
愛宕神社が祀られている愛宕山から、新庄宿を見下ろす
青空が見え出した〜♪
真庭市 「出雲街道 美甘宿のさくら祭り」 (04月20日)
国道181沿いに建つ「出雲街道 美甘の宿」と書かれた石碑から
「さくらまつり」と書かれた旗に導かれて美甘宿に入って行くと
昭和天皇の生誕を記念して植えられたという50本の桜並木が満開〜♪
新庄川の土手が桜のトンネルになっていた
美甘(みかも)という名は、御鴨と書かれたこともあるそうだが
和銅6年(713年)、美作の国が備前から分国した時、この地を「美甘」としている
雪解け水が勢いよく流れる新庄川
春の川〜♪
奥大山 (04月20日)
中国地方の最高峰・大山の南壁を望む
江府町御机
奥大山スキー場の桜はまだ蕾
西日本最大級といわれるブナの原生林、林床にはまだ雪が残る
芽吹き〜 ミヤマカタバミ
蒜山大山スカイラインを走り、鬼女台展望所で休憩
芽吹きを楽しみながら蒜山へ
真庭市 蒜山高原 (04月20日)
岡山県の西北部・鳥取県境に連なる上蒜山、中蒜山、下蒜山を「蒜山三座」と呼ぶが
蒜山高原は、約60万年前に火山活動を停止した蒜山三座の中腹に位置している
恵まれた自然環境の中で、古くから人が居住していたらしく
古い習俗や文化財がそのままの形で数多く残り
四つ塚古墳をはじめ各所に古墳が見られる
昭和初期には軍用地ともなったが
風光明媚な高原は、オートキャンプ場等も整備され休暇村として賑わっている
蒜山三座の南麓に雄大な蒜山高原が広がる
真庭市東茅部 「黒岩の山桜」 (04月20日)
本当に桜?と見紛う節くれ立った幹、花の時期には少し早かったようだ
樹齢700年、 根廻り9,3m 目通り7,3m 樹高 16m
岡山県の山桜で、一番最初に天然記念物に指定された老木
昔、尼子氏家臣の佐子衛門が桜の下で剣術の稽古をしていた時
打ち込んだ木刀によって枝が裂けて、七枝になったとの伝説が残る
衛兵が老木を守るように、椿の大木が桜の両脇に立っていた
二代目「黒岩の山桜」
真庭市蒜山 「茅部神社の参道桜」 (04月20日)
因幡と美作の国境にある那岐山は、伊邪那岐命が天降られた地と伝えられ
それに続く蒜山川上村には「豊栄」「祝詞」「神退」「神集」「神代」・・・etc
古代に因んだ地名が数多く残っているので
古くから、「高天原」所在地は西茅部郷原と信じられて来たそうだ
天武年間、語部・稗田阿礼の語りを太安万侶が纏めた「古事記」の書き起こしは
「天地ノ初發ノ時、高天原ニ成リマセル神ノ名ハ天之御中主神・・・」と記され
神代七代を経て、高天原に伊邪那岐命と伊邪那美命が現れ国産みをし
後に、天照大御神が現れて高天原を治めたと記されている
文久3年(1863)、岩倉山の花崗岩で造った日本一の大鳥居が完成
(元の高さは13,8mあったそうだが、補修で下部を埋め立て、現在は10,55m)
桜並木の明るい参道
高天原伝説の残る、茅部神社
創立年代は詳でないが延宝5年(西暦1677年)、備州奥津高村仁左エ衛の建立か?
近世に入り岩倉十二社権現、文久元年に天磐座大神宮と称せられ
明治42年、茅部神社と称し今日に至っている
茅部神社の背後に、こんもりと茂る岩倉山
その中腹、神社から歩いて30分の所に「天の岩戸」と呼ばれる巨岩があり
天照大御神を祀る茅部神社が建てられ
また、その近くには手力男命の遺跡もあるそうだ
此処は「郷原漆器のふるさと」、美作・伯耆を結ぶ「大山みち」の宿場町「郷原の宿」
参道桜越しに、蒜山三座の長閑な風景が広がる
やっぱり高天原伝説は本当かしら? 興味が湧くわ〜♪