2009年01月25日 グルッと一周浦戸湾(その2)

桂浜から大平山・大畑山・五台山を越えて、はりまや橋へ

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第582号)」

 
桂浜〜御畳瀬〜種崎〜大平山〜大畑山〜五台山〜はりまや橋

                                 (8時間)

 

平成17年12月に日本ウォーキング協会で発表された「日本の歩きたくなる道500選」

そのうちの一つ「高知城・五台山から桂浜」も、様々な歴史が残る面白そうな道だ

じゃ、ついでに里山を越えながら「グルッと一周浦戸湾」って事で

1月10日に続き、今回は浦戸湾東側を歩いて来ました

 

土、日は此の冬一番の冷え込み

土曜日は雪のため、殆んどの高速道路は通行止め

日曜の朝も、辺り一面真っ白!

いつもの様に、「雪国〜♪」と、呑気に喜んではいられない

これじゃ、今日も高速道路は動いてないだろうとネット検索すると

松山道や徳島道が通行止めの中、高知道はOK

雪降る中を急いで走り、何とか桂浜到着

8時 桂浜駐車場を出発

キ〜ンと冷え切った中を歩いて行くと、水溜りが凍っている!

(高知の最低気温が−2,1℃だったそうだ)

青空が嬉しい! 「龍馬さん、おはよう〜」

来年の大河ドラマ頑張って! 薩摩おごじょに負けたらいかんぜよ

此処、龍頭岬に立つ龍馬像は、室戸岬の中岡慎太郎像と向き合っているらしい

毎日、どんな会話をしているんだろうか?

ザザ〜ン、ザザ〜ン潮騒が聞こえ出した

太平洋の音だわ〜♪

何処までも何処までも、海原が続き

月の名所は桂浜〜♪と唄われる雄大な景色が目の前に広がる

真っ青な海に太陽がキラキラ輝いて、眩しい

龍王岬の龍王宮と早高神にお参りしてから遊歩道を登って行く

鬱蒼と茂る木々の間で遊んでいた鳥たちが、早朝の訪問に驚いたのか賑やかに囀る

8時40分 浦戸城天守跡(59,5m)

この場所に五間四方の三層の天守があったそうだが、今は大山祇神社と城八幡の祠が祀られている

小高い天守跡から下りた所が駐車場で、側には坂本龍馬記念館、国民宿舎「桂浜荘」が建つ

浦戸湾入口 浦戸の港には沢山の漁船が繋留されている

長宗我部遺臣が戦って戦死者273人を出した浦戸一揆の場所は此の辺りだろうか

御畳瀬の干物、新鮮で美味しかった〜

また、買いに行こ

10時発の県営渡船で種崎に渡る

この船の道は、県道弘岡下種崎線  なんと無料!

1867年9月、龍馬は芸州藩の震天丸にライフル銃1,000挺を積み土佐湾に入る

種崎に上陸し、藩の御船手方をつとめていたここ中城家に隠れていたそうだ

乙女姉さんにも会い、積もる話をしたのであろうか

再び上洛し、11月15日京都近江屋で暗殺された

相撲の神社、仁井田神社

社殿の中から、龍馬が船中八策を起草した時の船・夕顔丸の絵馬が見つかったそうだ

(※夕顔丸の模型は坂本龍馬記念館に常設展示されている)

龍馬と乙女が鏡川から舟を漕ぎ、仁井田の川島家(継母の実家)によく遊びに来ていたらしいが

子供の頃の龍馬が、此の神社で相撲をとったかもしれないなぁ

仁井田神社から大平山登山口まで引き返し、生え放題の竹林の間を登って行く

竹が詰み日が差し込まなくなったら、筍も生え出てこれないんじゃないかな

数箇所の分岐には立派な指標が立ち、迷う事は無い

11時25分 大平山(155m)

142,3mの三角点は、東へ100m程行った所にある

山頂から仁井田神社分岐まで引き返し、西へ延びる愛宕山への稜線を進む

大平山西端にある愛宕山観音堂より眺める、桂浜、太平洋、浦戸湾

浦戸湾十景の石柱が立つ広場には、テーブルとベンチがあり、のんびり眺望が楽しめる

階段状に整備された遊歩道をドンドン下って行き、太鼓橋を渡ると

側に公園があり、十津登山口と書かれていた

マリンヒルズ仁井田団地への車道を登り詰めると東側に広場がある

広場の奥に大畑山登山口、いきなり四国三大急登にも匹敵する急坂を登って行く

ガイドには階段があると書かれているけれど・・・

手摺りらしき錆びたパイプの残骸や、壊れた階段が残っていたが

今、この道はあまり歩かれてないのだろうか?

鉄塔に当たった所から、尾根を東に進むとまた鉄塔が立つ

あれ、三角点を見過ごして通り過ぎたみたいだ

11時50分 竹薮に隠れていた大畑山三角点(143,8m)

大畑山から下りて来た所が、高知市菖蒲谷の清掃工場敷地内

アララ、出口の門扉が閉ざされている

何とか門の隙間から出られたけれど、乗り越えないといけないかなと心配したわ

竹林寺の五重塔が段々大きく見え出した

五台山橋を渡り右へ行けば、間も無く上り口の五台山小学校

五台山小学校横の道から、遍路道を上って行く

苔むした石畳が荘厳な雰囲気を醸しだす

遍路道を上りきった所に牧野植物園南口があるが

今日は時間がないので、また今度、春の花が咲き出した頃ゆっくり訪れてみよう

2時 四国霊場31番札所 竹林寺

竹林寺は724年、行基が開創した土佐屈指の古刹

唐の五台山で文殊菩薩から知恵を授かる夢を見た聖武天皇より

国内のよく似た山を見つけるようにと命じられた行基が、各地を渡り歩いた末

ついに土佐にあるこの山を見つけたと伝えられている

高さ31,2m、鎌倉時代初期の様式をもつ総檜造りの五重塔

2時15分 五台山山頂

昭和4年内閣総理大臣に就任し、翌5年東京駅で凶弾に倒れた浜口雄幸像が立つ

三角点(139,2m)は銅像の左にある

五台山展望所より、鏡川が流れる高知市街地を眺める

高知県中央部を流れる鏡川は、旧土佐山村の細藪山530.7m)から30km余り離れた浦戸湾に注ぐ

もともとは「潮江川」と呼ばれていたが、五代藩主山内豊房が「我が影を映すこと鏡の如し」と詠み

周りの景色を映し出す川面の美しさから「鏡川」と名付けたそうだ

目指すはりまや橋は、真下に架かる青柳橋を渡り、のっぽビルの向こう

もう、後1時間ぐらいで着けるかな?

展望レストランでのんびり休んで、3時に遍路道を下りて行く

遍路道を下る途中に、仙台藩主伊達政宗の実子・伊達兵部宗勝の墓がある

何故高知にと不思議に思ったが、説明板を読んで納得

一ノ関三万石の城主であった宗勝は、三代藩主伊達綱宗の子・亀千代の後見人となり

藩政を補佐していたが、側近の原田甲斐がおこした刃傷事件の責任をとって

寛文11年(1671)山内家預けとなり、延宝7年(1679)58歳で病死したそうだ

何と、山本周五郎著「樅の木は残った」に登場する殿様だった!

鏡川の河口付近に浮かぶ中州、丸山台

明治14年に温泉付き料亭「此君亭」が作られ、当時は賑わっていたそうだが

昭和21年の南海道大地震で半分以下の大きさに陥没し、今は公園になっている

板垣退助が岐阜で暴漢に襲われた傷の快気祝いを「此君亭」で行ったことは有名

橋も無いようだし、この小島に渡るのにはどうすればいいのかしら?

沢山のプレジャーボートが泊められている高知港堀川浮き桟橋

ボードウォークが快適〜

「土佐電気鉄道」のチンチン電車がひっきりなしに行き交うはりまや交差点

此処は電車の博物館、見ていて退屈しない

先程走って行った赤いカブトムシみたいな電車は何処の国のだろうか?

ポルトガルのリスボン、ドイツのシュツッツガルト、ノールウェーのオスローで

走っていた電車も通るそうだ、乗ってみたいわ〜

4時 やっと、はりまや橋

歩いている時はそんなに思わなかったけど、日も傾いて来たし結構寒い!

バスを待っている間、風が冷たかった〜

南はりまや橋バス停発、4時24分のバスで桂浜へ

 

雄大な展望が広がる浦戸湾は、みんなのオアシス

味良し、人良し、天気良し、勿論歴史もいっぱい

まさに歩いて良かった道500選でした

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