2009年03月01日  塩の道

物部、塩峯公士方神社〜赤岡、塩市跡へ

 

人類の誕生から今日に至るまで、私たちの生活に欠くことの出来ない生命源・「塩」

古事記に、「その矛先より垂り落つる塩、累なり積りて島と成りき」と、記されている

昔、シオには「潮」や「白穂」の字が使われ、「海」を意味する言葉だったそうだ

その塩を運ぶために切り拓かれたのが「塩の道」

塩と共に、生活物資、文化、信仰等も運ばれた道に、様々な歴史が残っている

日本列島のど真ん中を貫く最長最古の塩の道は、日本海と太平洋を繋ぐ350キロ

(糸魚川市から塩尻までの北塩120キロ、塩尻から相良町までの南塩230キロ)

謙信vs信玄、雌雄を決する戦いが川中島で繰り広げられていた16世紀

南塩の道を絶たれた甲州・信州の民百姓が塩不足で困っているのを知った謙信は

「争うべきは弓箭(ゆみや)にあり、米・塩にあらず」と北塩の道を開いた話が語り継がれている

所変わって、舞台は四国”土佐の国”

天正から慶長の時代、香南市香我美町岸本から吉川町にかけての海浜では製塩が盛んで

赤岡町で開かれていた塩市で、大栃や笹からの木炭、椎茸、雁皮等と物々交換された

この、塩の生産地と奥地とを結ぶ重要な産業道を「塩の道」と呼び

塩に限らず生活必需物資等も運搬される相互往来の往還道で

今も「塩」「シオタキ」「塩ガ峰」等の塩と関係する地名が残っている

現在、香南市赤岡町から香美市物部町大栃の約30kmの区間が

「塩の道」として、保存会の方々のご尽力で整備されている

塩の道は、このあと物部から奥に入り、別府の四ツ足峠、 久保の韮生越え 

笹アリラン峠の祖谷越えと、3往還道に分れ四国山地を越え徳島へと繋がって行く

前半のログ   山崎塩登り口から文代峠迄 16.6km 6時間

適度のアップダウンがあり、雰囲気のよい古道歩き

 

後半のログ  文代峠から赤岡塩市跡迄 14.5km 4時間

峠を下りると、古道と車道が合わさり長い舗装路が続く

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第582号)」

 
山崎塩登り口〜中谷川登り口〜庄谷相〜黒見休憩所〜文代峠〜あぐりのさと〜赤岡塩市跡

(10時間)

平成16年12月、日本ウォーキング協会選定の『美しい日本の歩きたくなる道500選』に選ばれている「塩の道」

塩の道保存会発行の「塩の道 案内帖」を片手に、遠い昔に思いを馳せながら

いざなぎの里・物部から絵金の町・赤岡まで、「塩の道」を辿ってみた

「塩の道」の要所に設置されている指標  スタンプ帳(ポイント10箇所)、完歩の記念品

可愛いマスコットキャラクター「さくら丸」に曳かれて、いざ出発

7時30分 国道沿いの空きスペースに車を停め、「山崎塩登り口」の標識を見ながら歩き始める

昔、別府の神主・惣之市が、山川村石船神庄谷相社(現在の香南市香我美町)から

一方の籠に塩を、もう一方の籠に御神体を入れてやって来たところ

突然、オオク(担ぎ棒かな)が折れ、籠の中の塩が転がり落ちていったそうだ

それで、この地を「塩の村」と呼ぶようになったと伝えられている

以前、地図に「塩」とだけ書かれた地名を見て、気になっていた所だ

大栃の背後、塩ガ峯に鎮座する塩峯公士方神社(しおがみねくじかた)

この場所で、もう一方の籠の御神体・鏡金像が動かなくなり祀られたそうだ

朝霧に包まれた神社は荘厳な雰囲気が漂う

懐かしい雰囲気の大栃商店街を歩いて行く

タクシーで塩まで走り、国道沿いに停めておいた車を奥物部ふれあいプラザ駐車場まで回送

8時05分 物部川に架かる大栃橋を渡る

青空が広がり、好い天気〜♪

こんな日は雪の白い道も気にかかるけど、今日は塩の白い道

「塩の道」スタンプラリー帖に、最初のチェックポイント・大栃馬頭観音のスタンプを押す

人々の暮らしに深く関わり、荷を運ぶ等、重要な役割を果たしていた馬

その馬や人々の無病・息災を願った馬頭観音が、塩の道の要所に祀られている

さくら丸に導かれ、国道から離れて山際の道に入って行く

途中出会った年配の方が、「塩の道を歩くんかね、頑張って」と見送ってくれた

まだ足取りも軽やかに、「は〜い、頑張ります」

大栃大比馬頭観音から、塩ガ峯、塩峯公士方神社方面を振り返る

山道を進んで行くと、小さな沢沿いに錆び付いた和紙加工用の大釜が残っていた

さぞや、沢山の楮・三椏を煮込んできたんだろうな

一旦国道に下り立ち、中谷川登り口からまた山道を登って行く

竹林の奥に民家が見え出した、2個目のスタンプがある臼杵店屋跡だ

小広い平地には道を挟んで両方に建物があり、表札も残っている

道を行き交う人の休憩所として賑わっていたそうだ

塩の道は、その土地の特徴的な名前がついていたそうで

この辺りは、同じ様な谷やうねが七つ続くので七浦往還と呼ばれていた

他に日浦往還、徳善往還、赤岡往還、等がある

急傾斜のこの区間は、山がずれ復旧に時間がかかったそうだが

整備して下さっているお陰で、安全に気持よく歩かせて頂いた

インド神話が起源とも言われる馬頭観音  可憐なショウジョウバカマが呼び止める

拓(つぶせ)林道に下り立ち、歩いて来た道を振り返る

斜面にはショウジョウバカマがいっぱい! 可愛い〜

保存会会長さんのお話だと、咲き始めが例年より2週間ほど早いそうだ

拓林道を進んで行くと、展望が開けて来た所に、拓小学校跡50mの標識

暫くして大栃4,8km 赤岡25,4kmの標識の所で、右折して再び山道へ入る

まだまだ先は長いね、奥物部の山々を振り返りながら小休止

3月に入ったばかりだというのに、雪が見えないなんて!

「拓(つぶせ)」は塩の道を切り拓いて出来た集落、という意味なのだろうか?

拓馬頭観音が祀られた側に、拓金比羅の立派な鳥居が立つ

日当たりの好い金比羅坂辺りは、日浦往還と呼ばれている

途中「つればりせられん」の立て札が立つ

再現された樋ノ下橋を渡り、庄谷相の舗装道路に出る

10時05分 庄谷相(第2桜公園)で3個目のスタンプ

これから大栃まで歩かれるという方が準備中、案内される方のお話を伺っていると

なんと!塩の道保存会の会長さん! 法被の「塩」の字が取り持つ嬉しい出会いでした  

赤岡での再会を約して、歩き始める

道を少し逸れ、庄谷相の氏神・白髪神社にお参りしてくる

 

風格ある庄谷相地蔵堂、旧十林寺の本堂と伝えられ古い五輪塔や線刻地蔵があるそうだ

もう桜が満開〜 何桜なのかしら? 暖かい筈だわ

庄谷相屋敷丁石

南海大地震で倒れていた丁石を、平成14年3月に会長さん始め有志の方々8人で立て直す

その時、丁石に刻まれている文字を読み、道なき道を苦労して赤岡まで歩いた事が

「塩の道」再整備のきっかけとなったそうだ

日が差し込み明るい「源太坂」

昔語りに、唄が上手な源太という若者の哀しい物語が伝えられている

昔々、恋仲となった於雪に綺麗な着物を着せてやりたいばかりに

罪を犯し捕縛され、庄谷相の馬頭観音まで護送されて来た時

故郷・槙山もこれで見納め、せめて歌を唄わせて下さいと捕吏に願い出、許される

源太は得意中の得意”心中道行”の二上り新内を最愛の於雪に届けとばかりに

一声高くはりあげて唄い、その哀調をおび澄み切った声が山にこだましたそうだ

やっと、行程の3分の1、赤岡まで後21,4km、遠いなぁ

人里遠く離れ、追い剥ぎが出没したと言われる「追剥峠」を無事通過して、ほっと一安心

山の上にしては大きな井戸もあったという馬宿跡

文久4年建立の立派な西川黒見丁石を過ぎ、ぬかるんだ広い林道を行く

11時20分 黒見休憩所(塩の道桜公園)で4個目のスタンプを押し、昼食

この地はかつて天水田(雨水だけで稲作を行なう田)で、檜の植林地となっていたが

自然林のヤマザクラやオンツツジを植え、休憩所やトイレを設置する等

保存会の方々によって整備されている

暫く休んでいると、二人連れの方がやって来た

 昨日、「赤岡塩市跡」から「あぐりのさと」まで歩き、今日は「大栃」まで行くそうだ

11時35分、休憩所を出発して暫く行くと、左側に寺跡の井戸がある

昔から水が涸れない井戸だと説明にあったので覗いてみたが、薄暗くて水は見えなかった

久保川の見渡し地蔵のスタンプを押して、やっと半分の5個

多少疲れ気味だったけれど、長閑な風景に足取りも軽くなる

ウワッー! ツクシがいっぱい!

土手を下り川を渡る

川沿いに「泡ヶ瀬見渡し地蔵」が祀られていた

またまた瀬を渡る

水量が多い時は飛び石が水没するので、セメントで嵩上げされていた

頂上に、平家の岩屋と呼ばれる石灰岩の穴がある、平家ヶ森(436m)

麓の鎧谷では、平家の落人が源氏の追手と激しく戦ったそうだ

蛇淵だなんて、あんまり好きじゃない名前だなと思いながら歩いていると

茶色い木切れが動いたような・・・ま、まさか、3月になったばかりよとよく見ると、キャー

話が出来過ぎだわ、蛇淵だからってそんな演出してくれなくても・・・啓蟄には、まだ4日あるよ

蛇淵に残る昔語り

千萱(ちがや)の武家の門前には、広さが一反ほどもある底が知れない大きな淵があり

いつも不気味な渦をまき、「蛇神が住んでいる」と言われていた

不思議な事に、この淵は年々田を取り込んでその広さが増し、それにつれて武家は段々豊かになり

朝日の昇るような勢いで富み栄え「浜のまさごは尽きても、武家の銭は尽きまい」とさえ言われたが

田が淵になるのを惜しんで土や石で埋め立てると、翌朝には全部淵の外に出される事が繰り返された

これは蛇神の仕業に違いないと、家に伝わる銘刀「関の孫六」を、淵の真ん中めがけて投げ込む

それで、蛇神は大豊町豊永の下の土居の淵に逃げ込んだそうだ

修行中のお大師様が歩いていると、突然岩が転んで来たので両手で受け止め

その時に出来た手形があると語り継がれている「お大師岩」

苔むしていて、手形の跡はよく分からなかった

西川集落の田畑を過ぎると、あと一登りで行程の中間地点・文代峠

昭和中頃まで民家や宿屋があり、塩の道の拠点として賑わったとか

人も馬も疲れた身体を休め、のんびり寛ぎながらどんな会話を楽しんだんだろう

手入れの行き届いた畦道を歩き、小川に架けられた木橋を渡り

緩やかに峠に近付いて行くと、草地に「文代宿場跡」の看板が立つ

1時20分 文代峠(290m)で6個目のスタンプを押し、大休止

文代峠店屋跡から輝く土佐湾が見え、大感動!

「文代」なんて、なんだか人の名前みたいだなと思っていたら、やっぱり!

この地区を切り拓いたと伝えられる人の名前が、西川文四郎吉康

又白池の語源、前穂高岳のマタシロウさんと同じだわ

峠からは道が二手に分かれる

どちらも急坂だけど、コース一の急坂・安(休)場坂の取り付きは少し茂っていて

おまけに日当たりが好い、となれば当然もう一方の道よ(笑)

下り切った所から、文代峠を見上げる

県道から逸れ、桜・桃公園へ向い中西川馬頭観音堂で7個目のスタンプ

火伏せの神様・秋葉神社が祀られている秋葉山(489.5m)  君子方神社(くしがた)を見る

県道沿いに塞の神塔(さいのしんとう)・秋葉山入口の標識と

「秋葉山参道・秋葉の桜、20分 見頃20日」と書かれた標識が並んでいる

(塞の神塔とは峠や村境に置かれた道祖神で、妖怪悪神や流行病など入らない様に塞ぐ)

3時 文代峠から1時間20分ほどで、「西川ふれあい広場・あぐりのさと」に到着

香ばしい温かいお茶が美味しくて、何杯もおかわりする

うどんを頂きながら、ゆっくり休憩

3時20分 あぐりのさとを出発

此処から赤岡までは後11km、道に迷わなければ2時間余りで着くだろう

指標を目当てに、県道を歩いたり、逸れたりしながら進んで行くと

あらら、この道大丈夫かなぁ

風が強くてネットに押され、川に落ちそうだわ

山北に入り、さくら丸が居ないかなとウロウロ、地図によれば、県道から少し入り込んだ所に

幕末の志士・安岡覚之助、嘉助、兄弟を顕彰する「山北両烈士の碑」がある筈なんだけど

県道沿いに立つ山北観光案内を見ると、Iの場所がそうでした

やっと8個目のスタンプも済み、いよいよ大詰め

日が傾きかけると、山北川沿いの風も冷たくなって来た

龍河洞スカイラインが走る三宝山に、西洋の古城を思わせるシャトー三宝が見える

県道を真っ直ぐ行っても良かったんだけど、指標通りに回り道

風に揺れる菜の花の道も素敵〜

4時35分 宗我神社で、やっと9個目のスタンプ

香宗川沿いのウォークルートを歩いて、終点赤岡を目指す

赤岡大橋船着場跡で、会長さんがにこやかに迎えて下さっていた

「ありがとうございます お陰様で無事に着きました〜」

商店街に残る漆喰壁には、雨の多い高知ならではの、水切り瓦など珍しい技法が見られ

長い年月風雨に耐えてきた歴史が感じられる

沖合いから見ると一帯が赤く盛り上り丘の様だったので「赤岡」と呼ばれたとか

海と川に囲まれ、総面積1、64平方kmと狭い町だけれど

塩市には、各地から塩を求め集まって来た人々で賑わったそうだ

風情有る町並みから、商都・赤岡の繁栄ぶりを伺い知る事が出来る

その頃から、歌い継がれているわらべ歌 「塩市

とんぼ  とんぼ  おとまり♪   塩買うて ねぶらしょ♪

あかおかの市の むかし ばなしの 夕焼けじゃ まっこと あかい♪

「どろめまつり」、「絵金まつり」、「冬の夏まつり」等、楽しいイベントも盛沢山

「どろめまつり」は4月の最終日曜日だそうだ、一度参加してみようかしらん

5時30分 赤岡塩市跡着 バンザ〜イ

塩の道保存会から完歩の記念品を頂き、会長さんと記念撮影

大栃までタクシーで帰る予定が、会長さんの車で送って頂く

温かいお茶や香り豊かなゆずかりんとうまでお心遣い下さり、本当にありがとうございました

心温まる出会いが、「塩の道」を歩いた一番の感動でした

 

平成14年、僅かに8人で始まった「塩の道」再整備の取り組みは、延べ1000人以上の参加を得

『美しい日本の歩きたくなる道500選』にも選ばれ、益々関心が高まっている

公文会長さんが、穏やかに語る

先祖が創り守ってきた歴史ある文化が消えかけている今

それを再現して次の世代に渡す事が我々の役目だと思う

今頃の子供は地域の人々と触れ合う機会が少ないと言われるけれど、それは大人の責任

塩の道整備にも、毎回沢山の子供たちが参加している

故郷の文化を守るという喜びを、共に分かち合って行きたい

今、平成21年4月19日(日)開催予定の「塩の道」イベントに奔走されている

ご成功をお祈り致します

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