2009年09月05日 ガソリン道

ガソリン道って?

香川郡仏生山町(現高松市仏生山町)から塩江村(現塩江町安原上東)を結ぶ塩江温泉鉄道で

昭和4年11月から昭和16年5月まで、ガソリンカーが走り、その姿形から「マッチ箱」と呼ばれ親しまれたとか

今は道路となっている軌道跡約16kmを「ガソリン道」と呼んでいるそうだ

前半のログ

後半のログ                 GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)                   
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号)

 

琴電仏生山バス停〜琴電仏生山駅〜(お成り街道)〜法然寺〜龍満池

〜最明寺〜岩部八幡神社〜塩江温泉郷            (6時間)

 

厳しい残暑の中、仏生山駅から「お成り街道」を歩き法然寺へ

法然寺から塩江まで「ガソリン道」を歩いて来ました

塩江6時45分発のバスに乗り、ことでんバス停仏生山で下車

7時25分、琴電仏生山駅に向って歩き始める

稲穂の向こうに仲良く並んでいるのは「クレーター5座」

あの辺りの地下に約20億トン(早明浦ダム約7杯分)の水源があると謂われている

大正15年 高松琴平電気鉄道琴平線開通に伴ない開業された仏生山駅

昭和4年には、琴平電鉄塩江線が開通し、昭和16年の塩江線廃止まで始発駅として賑わった

多くの湯治客を運ぶ車内は 湯の匂いが溢れていたんだろうなぁ

駅の側に建つ「説明板」

塩江温泉への交通手段としてガソリンを燃料とした小型電車が運行され、16.1kmの行程を40分で走った

始発駅仏生山から終点塩江まで12駅あり、一区間15銭の料金であった

第二次世界大戦が始まると燃料の入手が困難になり車両の運行は廃止、レールは台湾へ

そのレール跡は、地域住民の生活道路となり「ガソリン道」と呼ばれるようになったそうだ

仏生山駅東側に当時のレール跡が残る

ガソリン道はここから南に延びているが

江戸時代高松藩・松平家の菩提寺・法然寺の門前町として栄えた仏生山町には

かつて歴代高松藩主が墓参りに訪れたため、「お成り街道」や「殿様街道」などとも呼ばれ

今でも、いい雰囲気の町並みが残っているらしい

ガソリン道を歩く前にちょっと遠回りになるが、「お成り街道」を訪ねてみようと、商店街を東へ向う

どこか懐かしい昭和の風景

むかし仏生山町には芝居小屋が二つもあり、高松一賑わっていたそうだ

お成り街道は、県道交差点から南へ法然寺まで

入口には立派な案内板が立つ

毎年、「高松秋祭り・仏生山大名行列」が開催され

絢爛豪華な大名行列がお成り街道を練り歩く

(今年は1017日〜18日)

街道(本町通り)沿いの約130軒の民家や商店の中には、

江戸時代から明治時代ごろに建てられた古い家屋が点在しており、

高松市から仏生山歴史街道都市景観形成地区に指定されている

「池の屋」 虫籠窓(むしこまど)のある町屋

「上酒屋」 懸魚(げぎょ)のある町屋

本町通りの突き当たりにある、、勝(ちきり)神社

およそ800年前に、平池改修工事の人柱となった娘の霊を祀る

「ちきり」って何だろう?と思って調べてみると

機織の道具で、人柱となった娘が手にしていたそうだ

勝(ちきり)神社前を右に折れ、前山坂道を上れば法然寺

総門を潜り、万燈籠の立ち並ぶ参道をゆく(写真は途中から総門を振り返る)

先ず本堂にお参りし、仁王門を潜り二尊堂、鐘楼門、来迎堂へと続く石段を上って行く

境内に、五重塔を建立中

石段を上りきると、高松藩歴代藩主の墓碑が並ぶ般若台

荘厳な雰囲気が漂う

仏生山公園を前池越しにみて、土手を上がって来ると

仏生山町と香川町の境に平池があり、堰堤に「いわざらこざら」伝説の碑が建つ

平池の堤が大雨の度に崩れて田畑が流され、その改修工事が上手くいかないので困っていたところ

「明朝、チキリを持った娘が通りかかるので、その娘を人柱にすれば工事はうまくいく」

と、村人の夢に現れた白髪の神様のお告げがあった

翌朝、お告げの通りちきりを持った白衣の娘が通りかかったので人柱にし、堤は完成

その後は、大雨にも崩れる事は無かったが、娘を埋めた所から柚の大木が生え

また、水の流れる音が、「いわざらん、こざらん」

「いわなければよかった、こなければよかった」と、聞えて来たそうだ

平池の水中には供養塔も建っているそうだが、怖ろしく哀しい話である

平池に姿を落とす実相寺山(250m 右) 、日妻山(235.8m 左)

8時50分 土手を進むと、仏生山駅から真っ直ぐ南に延びるガソリン道に出合う

さあ、ここから塩江に向ってだらだらと長い歩きが始まる

かなり気温も上がってきたし、直線の舗装路歩きはきついなぁ

緩やかな上り坂を進んで行くと、右カーブの正面にトンネル口が見えて来る

道路としては使われなかった「伽羅土(からと)トンネル」だ

内部は水が溜まり歩けそうに無い、南側は家が建ち込みトンネル口まで行けなかった

旧国道193号を下り気味に歩いて行くと「桜の名所・龍満池」沿いの道となる

日差しが強く暑くなって来たので、龍満池バス停に腰掛けて水分補給

まだ10時前なのに、うどんと書かれた看板目指して次々と車が停まる

「朝から、うどん?」 そりゃそうよ、此処は讃岐

郷に入れば郷に従えって・・・「ごちそうさまでした」

何も書かれていないので良く分からないけど

どこか、駅舎の様な雰囲気を醸す建物

右は国道193を走って塩江へ、ガソリン道は東谷と表示された左側の県道165を進む

ここから香東川沿いに上って行く

香東川自転車道をどんどん進んで行くと、高松空港の誘導灯が見えて来た

真下から見上げると、誘導灯に沿って飛行機雲が一本線を引いている

次の飛行機が飛んで来ないかなと10分程待ったんだけど、そうそう上手くはいかないわ

香東川に架かる関橋を渡り対岸へ

この辺りが関駅跡かな?

稲刈りの済んだ田圃にはヒガンバナが咲き始め

まだまだ日差しは強いけど、一足一足近付く秋が感じられる

11時30分 大宝元年(701)、行基が建立したと伝えられる福寿山最明寺(萩寺)

萩寺の名に違わず、境内一面に紅白の萩の花が咲き乱れ、綺麗〜

境内のベンチで休憩していると、「歩こう会」の幟を持ったツアーの方々が次々にやって来る

一宮から塩江を目指してガソリン道を歩いているそうだ

こんなに暑い日に、ガソリン道を歩く物好きな人たちが他にも居て安心!

心休まる長閑な田園風景が続く、日本の原風景かな

この風景の中をマッチ箱の様な1両の貨車がカタコト走る・・・想像するだけでもロマンがいっぱい

現実はというと、とにかく今日は暑い! もう発火寸前!

2つ目のトンネル 中村トンネル

香東川に残る、第三香東川橋梁の橋脚

廃線といえば、駅舎とか軌道跡とかなにがしかの遺構が残っていてもいいのだけど

此処まで、それらしきものはトンネルくらいだったかな?

この橋脚は塩江線の数少ない遺構の一つ

3つ目のトンネル

赤茶けたトンネル内部は、ヒンヤリとした風が流れ、涼しい〜

少し低い所にある、第4香東川橋梁跡の橋脚

河原で子どもたちが水遊びしているのが見える

気持良さそう〜

今春尋ねた時、枯れて切り株だけになっているのを見てガッカリしたけれど

当時は、ウバヒガンの側をガソリンカーが走り、見事な花姿で湯治客を喜ばせたのだろう

12時50分 塩江町安原上、岩部八幡神社

神社鳥居前に聳える雌雄2本の大イチョウは樹齢600年以上といわれる老樹で

県指定の天然記念物に指定されている

此処まで来れば後2km程、目的地は近い

見事な大イチョウの下で暫し休憩

あれ、4つ目のトンネル 岩部トンネルを見過ごしたみたい

引き返すのもしんどいし、まぁ、いいか

国道193号に出てすこし進み、潜水橋を渡って対岸の町道へ出る

「ホタルと文化の里公園」手前から眺めた橋脚

岩部トンネルを抜け廃線跡を進めば、国道193号を横切ってこの橋脚に繋がる筈だったんだ

公園には町立塩江美術館や野外ステージがあり

それを囲むようにホタルの水路が流れている

ホタルが飛ぶ頃に来て見たいと思っていたら

何処からかトンボが飛んで来て優雅にとまる

カワトンボの仲間、ハグロトンボだわ

広々とした駐車場は、塩江駅跡地なのか、それとも操車場跡だろうか?

ガソリンカーから下り立った人々は、塩江橋を渡り温泉街へと急いだのだろう

1時25分 高松の奥座敷・塩江温泉郷に到着

塩江は古くは”潮江”とも書き、温泉水が”しおはゆい”ので潮または塩の字を用い

また、”江”は温泉をさす井のあて字だろうと謂われている

江戸時代中期頃に書かれた「安原古跡物語」に、天平年間、行基がこの地に来た時、

湿疹にかかり困っていると、聖が現れ岩部の奥の川辺にある不思議の霊水に浴せよと教えてくれ

行基がその江(井の意味)の水に浸ったところ、全快したという伝説が記されているそうだ

折角だから、“行基の湯”に浸かって帰ろう〜♪

 

殿様行列の様子を想像しながら「お成り街道」を歩き、江戸時代にタイムスリップ

車窓から田園風景を眺めているような気分で歩いた「ガソリン道」

テクテク廃線歩きも楽しいけれど、舗装路歩きには少し時期が早過ぎた様だ

今日の暑さは格別、いまにも発火しそうでした

 

当日の朝、NHK「視点・論点」再放送で

タイミングよく、足尾で復元されたガソリンカーを採り上げていた

大正末期から昭和初期にかけて、旧足尾町(現日光市)の赤倉−小滝間の約20kmを

時速10〜15kmで1日5往復、定刻通りに運行したことから「定時」とも呼ばれ

足尾の風物詩として親しまれていたそうだ

そのガソリンカーが、当時の設計図を基に再現されたと紹介していた

フォード社製3285t、40馬力エンジンの機関車だなんて

ハイブリッドの時代に、何ともロマン〜

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