09’サクラ  ”伝説の大桜”

「さくら」の「さ」は田圃の神様、「くら」は神様の拠りつくところの意味

里山で人々と共に生きて来た神宿る桜木も、深い山中で静かに聳え立つ母なる桜樹も

  地に還り、あるいは子孫にその座を譲り、役目を終えようとしている

そんな大桜を巡ってみた

 

世の中桜 (3月28日)

徳島県美馬市穴吹町古宮内田

県天然記念物指定、樹齢500年から600年のヤマザクラ

樹高約30m 幹回り6,3m

国道492号から古宮で別れ県道259号に入る 

交差点に 内田のヤマザクラ(俗称天神ザクラ) 4.1km

内田のエドヒガンザくラ(俗称世の中ザクラ)  6.2km の標識が有る

2.4kmで上左の標識、先ずは直進して世の中桜を目指す

登り口に、エドヒガンザクラ600m 獣類注意の貼紙

植林の中、急登20分程で大杉に着く。 大杉に梯子が架かっているけど? 登れって事なのかな?

ここから100m程下って行くと 斜度40度の急斜面に大きな根を張りやや傾きながら立っている

側に立って見上げると、老桜の吐息がさざなみのように伝わってくる

こんな急斜面によく立っていられるものだ、大地を抱く根っこがとてつもなく大きくて力強い

「こんな谷間だけど 昔は展望がきき下の集落が良く見えたもんだよ

今は周りの杉の背が高くなって風通しが悪くなった それよりクシャミの出る花粉には困ったものよ」

数百年間窮屈な姿勢で谷を守り 下流の集落を洪水から守ってきた老桜に思わず感謝

枝先がピンク色に綻び始めた老桜を、足下のヤマシャクヤクが嬉しそうに見上げている

この桜はめったに満開しないため 満開になると景気が良くなるなど 

世の中にいいことがあると言われることから「世の中桜」と名付けられたとか

見上げてみるが樹高30mと背が高く、その上薄暗い林間の谷間、まして今日は曇り空

うっすらピンク色に染まってきているようだけど 開花時期にはまだ早いのか花びらは見えない

最近、世の中暗い話ばかり、今年は沢山咲かせてね〜

 

 

天神桜 (3月28日)

徳島県美馬市穴吹町古宮

県天然記念物指定、樹齢600年から700年のヤマザクラ

樹高15、5m  幹周り6,9m

世の中ザクラから2km程引き返し 分岐を左折し葛生集落へ上がっていく

途中 八面山方向を見れば 植林の中に先程の世の中ザクラがかすかに見える

集落を抜けた所が天神桜登り口 桜までは500m ほぼ水平道なので10分程

谷を渡り、廃屋を越えると小高く開けた小尾根に出る

柵の中に立つ老桜は、枯れ枝が伐られ残った一枝は添木で支えられていた

このあたりは天神の森と呼ばれていたそうだ

「お大師さん」の祠の側に立つ御神木

「この間まで、この辺りも賑やかな子供の声が聞こえよったけど、今聞こえて来るのは猪撃ちの鉄砲の音だけ

人が出て行って、段々村が寂しくなるのと共に、ワシもこんな姿になってしもうた」

側までに行ってみると、蕾が少し膨らんで来ているようだ

昔は、桜の周りに老いも若きも車座になって春を楽しんだんだろうな

 

半田のオオザクラ (3月28日)

徳島県半田坂根

昭和57年県指定天然記念物 推定樹齢400〜500年のヤマザクラ

根回り9,6m、樹冠が東西25m南北22.5mと傘状に広がる老巨樹と、紹介されていたが・・・ 

半田の町を抜け、登り口の坂根集落最奥民家へ 

登り口手前で出会ったおじさんが言うには 

「桜は枯れてしもとるし イノシシがようけ居るで・・・」

歩き始めてすぐに大桜1.42kmの標識(GPSログで標高差400mでした)

植林の中の急坂、のんびり花見と言うより完全に山登り

気温は高くはないけど汗がでる

ほぼ50mおきに「大桜」の標識があるが、それでも上のほうは道が分かり難い所もある

急坂1時間を頑張ると傾斜が緩くなり、西側が開けた平地に

まさか?という姿で立っていました

やっと逢えました「半田のオオザクラ」

「きつい山道、1時間もかけて見に来てくれてありがとう、イノシシや熊に会わなかったかい?

今は、たまに役場の人くらいしか来ないけど、元気な頃は四国中から大勢見に来てくれたものだよ

花のもてなしは出来ないけど、ゆっくりしておいき」

側にある説明板に 

「四周へ八本の太い枝を傘状に張り巨樹・老樹として貴重である」 と書かれている

今はこんな姿になっているけど、つい最近まで手足をおもいっきり伸ばし

谷を隔てた坂根や日谷尾集落を見下ろし 鼻高々に咲いていたんだろうな

側に、枯れて伐られた枝が積み上げられ土に還ろうとしている

良く見ると、幼木が育っている 

「頑張って!周りの杉に負けないで! またいつか花をつけている時期に来るからね」

とおもわず声をかけ、誰にも会わない登山道を駆け下りた

今年の桜巡りの中で、記憶に残る1本になりました

 

 

「東地のウバヒガン」の切り株 (3月28日)

香川県香川郡塩江町東地

「香川の保存木」、「県の天然記念物」に指定されていた県内最古(樹齢400年)の老桜

塩江町東地に入り、岩部八幡神社を過ぎ、もう見えてもと思いながら走るが

何処にもそれらしき姿が見当たらない

四季花めぐり「桜U西の名木」によれば、近年樹勢衰え気味と書かれていたが・・・不安は的中

残された切り株の側で、愛らしい花をつけた孫桜が風に揺れている

地元紙の記事に拠れば

「戦後直ぐの頃も、観光バスが立ち寄る等、それは見事だった

観光客のピークは平成に入った頃」と、ずっと管理してきた近くの主婦が語っている

大勢の観光客の前で誇らしげに披露する花姿を想像しながら、もの言わぬ伝説の大桜を見つめた

 

 

長谷のヤマザクラ (3月28日)

香川県琴南町

昭和49年琴南町指定天然記念物、平成6年香川県指定保存木

樹齢200年〜300年、樹高13m、根元周り4,5m 枝張り東西21,5m南北16,5m (平成6年の頃?)

国道438号から分かれ、町道「長谷吹佐古線」を5分程上って行くと

小高い丘の上に、それと直ぐ判る古木が立っていた

鍬を振る老人も、時々腰を伸ばしながら心待ちげに老桜を見上げている

「今年もそろそろジャガイモの準備じゃなぁ、ところで大阪へ行っとる孫もええ年じゃが、もう嫁貰ろうたんかな」

「それが、仕事が忙しいちゅうて、おまけにたまの休みとゆうたら山ばっかり登って、帰っても来ん」

「そりゃ、困ったの。小さい頃はワシの肩まで上って、よう下りんと泣いとったのに・・・」

この地域のことは何もかも知り尽くしている老桜と、老人の会話が聞こえて来るようだった

別名、極楽桜と呼ばれているそうだが、往時は華やかに咲き誇っていたのだろう

老いてなお、凛とした姿に心動かされる一本桜でした

 

 

用の山の桜 (4月15日)

愛媛県大洲市河辺町北平(用の山地区)

昭和54年9月愛媛県指定 天然記念物

樹齢350年 樹高10m 根回り6.3m 目通り5.3mのエドヒガン

枝張り東西南北7m (指定時)

老桜は県道の山側石垣の上に道路を見下ろすように立っている

側に小さなお堂があり、この地は昔から祈りの場所として大切に守られて来たのだろう

小田町から県道55号線を山越えし用の山地区に入った所で、老婦人に場所を尋ねると

 「桜かえ? 直ぐ先じゃ あの桜は芋桜言うてのう 桜がさいたら

芋をふせるんじゃ・・・ NHKが来てのぉ きょう放送があるんじゃ・・・」

生活の中にある1本の老桜、地域の人が桜を守り、桜が人々を守る

いつまでも、いつまでも、老婦人と共に元気でいて欲しい

そんな気持で眺めていた

 

 

世善桜(北地) (4月15日)

愛媛県喜多郡内子町上川に 世善桜と呼ばれている2本のエドヒガンがある

1483年(文明15年)この地を治めていた大野朝直が吉野の金峰山より持ち帰り

1株は北地に もう1本は3kmほど離れた御岳に植えたものと謂われ

村人たちは よい世の中でありますようにと願いをこめ この桜を世善桜となずけ代々親しんできた

またの名を世直し桜ともいい神木とあおいできたそうだ

樹の下方に花付きの多い年は稲作が、又上方に花付きの多い年は畑作が豊作と伝えられている

 

旧小田地区から県道211号へ入っていく 

この道は天然記念物通りと言ってよいほど巨樹がある

廣瀬神社 けやき2株  (県指定)  、 いちいがし  (県指定)

三嶋神社 乳出のイチョウ (県指定) 、薬師堂のイチョウ(町指定)

それから、最奥に世善桜 (県指定)

芽吹き始めた大イチョウを見ながら進んで行くと、可愛い案山子が桜まで案内してくれる

北地の分岐で、先ずは北地の世善桜へ

桜は鳩岡山龍蔵寺跡地にあるらしい

分岐を左へ300mで道路右側に案山子と石碑、道路から見上げても大桜らしきは見えない

坂の上の民家で尋ねると 「この裏ですよ」と、案内してくれた 

そこには横になった一世が苔むしている、傍らにスタイルのよい二世が育っていた

側にある石碑・説明板に在りし日の大桜が書かれている

「推定樹齢500年 根廻り9m 目通り5m 樹高18m 

2003年2月5日の午後から翌日の朝にかけて大雪が降り

30センチにも及ぶ積雪、それに耐え切れなくなり倒木した

約520年間、上川地区の発展と歴史を見守り続けて来た老木(世善桜)に感謝 合掌」

大桜と共に生きて来た地域の人々の 祖先を敬う心にも似た大桜への畏敬が感じられる

 

 

世善桜(御岳) (4月15日)

続いてもう一本の御岳の世善桜

分岐まで引き返し御岳地区へ 分岐から(2.9km)10分程で大森神社跡地 ここに

根元周5.2m 幹周3.99mの老桜が立っている

主幹の衰退は著しいが、根元で成長した二世が一世を凌ぐ高さまでに成長している

いまでは人気の無い植林の中に立つ老木

側に在る世善桜顕彰碑が語っている

「昭和5年頃には11戸の人家があり 桜の周囲は立派な田畑で 昭和32年には電灯も灯り

ここを安住の地と定め農作業に打ち込んできた 昭和38年の豪雪により全戸が転住 

見切りをつけた農地は植林が進みその成長と共に桜の枯死が心配されていた」

植林の中に埋もれ行く御岳地区、その歴史を見続けてきた世善桜 

 この山里で生きて来た人々の喜びや悲しみ、困難とそれから勇気

やむなく山を下りた人々の事を、これからもずーと後世に伝えて貰いたい

葉桜となった一本の老桜を見つめながら、林の中でそんな事を考えた

 

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