2010年03月27日  ”沓掛山〜黒森山”

古の笹ヶ峰参拝道の難所を歩き、堂ヶ平の権現さんを訪ねる

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) 
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号)

 

登山口〜宿〜西山越〜沓掛山〜黒森山〜堂ヶ平    往復(8時間50分)

山行に先立つ3月22日、東側の河又から沓掛山〜黒森山の核心部を見上げる

T峰、U峰(本峰)、V峰の呼称は、勝手に命名、堂ヶ平はV峰の右後ろで写真には写っていません

憧れていた沓掛山とT峰との標高差100mのキレット、充分楽しんで来ました

 

石鎚山系の東端に位置し、古くから信仰の山として栄えた笹ヶ峰

昭和初期には、朝暗いうちに大生院を出発し、大野山、傾山(かたぶきやま)

堂ヶ平(どうがなる)、黒森山、沓掛山を経て夕方宿(しゅく)に着き、翌日笹ヶ峰山頂に参拝していたそうだ

今日は下津池から西山越に出て、古の参拝道を下り、逸話の残る堂ヶ平の権現さんに会って来よう

7時40分 下津池の登山口発  今日は久しぶりに仙ちゃんと3人での山歩き

「笹ヶ峰登山口、頂上3.1km、丸山荘2.3km」の案内板が立つ

登山口から宿までは笹ヶ峰登山道、水量の多い連瀑を見ながら右岸を上がって行く

沢には冷たそうな飛沫氷    季節はずれの寒気が流れ込み、まもなく4月だというのに寒い日が続いている

右前方に笹ヶ峰が見えて来た、霧氷をいっぱい付けて登山者を待っているが、今日はご近所へお邪魔しま〜す 

歩き出して暫くすると、登山道に雪が現れる

8時30分、宿に着く、この一帯はかつて別子銅山へ運ぶ木炭の集積地として栄えた所だ

笹ヶ峰参拝者や木炭、生活物資を運ぶ人々が泊まる宿(やど)があったのだろう

木に括りつけられている小さなプレート 「沓掛山登山道→」に従い、左へ

馬車も通れる程広い道を歩いて、8時55分 西山越着

西山越は交差点、左が沓掛山、右が丸山荘経由笹ヶ峰、まっすぐ行けば(道は荒廃しているらしいが)

 チチ山直下をトラバースして別子銅山へと「炭の道」が続いている 

丸山荘の方へ少し足を延ばし、カラマツ林の霧氷を見てから引き返す

西山越からはカラマツやブナに囲まれた快適な尾根道、ほどよく積もった新雪がサクサクと音をたてる

自然林を抜けると、目の前に雪化粧した沓掛山がどーんと現れた

10年ほど前に笹斜面を直登、雪まみれになって喘いだ懐かしい所だ

標高差160m程の急坂を前に呼吸を整える

東を見れば赤石山系、左奥に頭一つ抜き出ている山が盟主東赤石山(1706.6m)

アケボノツツジで稜線がピンクに染まるのも、後、一ヶ月余りかな

さあ行こうか 青空に向かって雪の乗った笹斜面を上って行く

振り返れば雄大な笹ヶ峰が背中を押してくれ、立ち止まる度に大展望が広がる

左は石鎚山系の主稜線 一番奥が石鎚山(1982m)

四国の山の重鎮らしく、どっしりと構えている

9時50分 沓掛山(1691m)着

正面に母なる山・笹ガ峰、左にチチ山(1855m) ここは石鎚山系の大展望台

剣山系から石鎚山系を遠望した時、山座同定は、先ずピラミッドピークの沓掛山探しから始まる

笹ヶ峰と吊尾根で繋がった沓掛山は石鎚山系のランドマーク的な存在だ

沓掛山頂上から僅かに黒森山が見える  さあ、いよいよ沓掛山からの大下り

頂上標識真後ろの急斜面を最短距離で下りて行く、縦走路はまずまずしっかりしている

沓掛山の南面は明るい笹原の大斜面、北面は鬱蒼とした自然林、表裏でこれ程植生・山相が異なる山も珍しい

黒森山T峰、左に頭を出しているのがU峰(黒森山本峰)

東面は鋭く切れ落ち僅かにオーバーハング気味

まるで肩をいからせたゴリラのような姿は、人を寄せ付けない雰囲気が漂う

大岩やシャクナゲの林を縫う様に登山道が続いている

右側(東)は急崖だけど、木が沢山あるので安心

木の間から覗けば、北東に「シャクナゲの尾」と呼ばれている長い尾根が山根方面に流れ落ちている

辿って行けば、あららエントツ山さん家に着いちゃった

見上げれば青空を背負った大ブナに霧氷の華が咲く

11時 黒森山(1678.4m)着、狭い山頂に僅かに雪が残る

頂上から歩いて来た稜線を眺める

手前がT峰、その向こうが沓掛山、奥の大きくたおやかな山が笹ヶ峰(1859.7m)

ゆっくり大展望を楽しみたいが、今日の目的地はもう少し先

ポーズしてるって? いいえ固まっているんです

左(東)5m程先は大絶壁、滑ればどこまで落ちるか判りません で、微妙なスロープを慎重に移動

堂ヶ平を目指していきなりの急下降、木の枝を掴んで下りて行く

「ところで、堂ヶ平までどの位?」 「10分か15分位やろ」 いつものいい加減な返事

麓では桜が咲いているというのに、ごらんの通り枝垂霧氷の白い華

霧氷に見とれるのもいいけど、東側は急斜面 滑り落ちないように気をつけて

樹間に西条の造船工場が見える

V峰を越え、未だか未だかとドンドン下りて行く、このまま吉居の林道まで下りそうな気配

「10分か15分っていい加減な、こんな急坂30分も下ったら登り返しが大変」と思っていると

「オ〜イ」 先行していたグランパの声が聞こえて来た グランパもやっぱり焦っていたみたい

 

11時40分  やっと堂ヶ平(1490m位)の権現さんに会えました〜♪

その昔、笹ヶ峰が東の石鉄山と呼ばれていた頃

大野山、傾山、堂ケ平、黒森山そして沓掛山と古の参拝道を通り頂上へ遷座する予定が

120kgの重さ、おまけに急峻な道、此処まで担ぎ上げて断念したそうだ

ところで、正法寺HPに拠ると、お不動様とも権現さんとも書かれていたけれど

修験者のお寺なのだから、やっぱり権現さんの様な気がする

薄くなった文字もそう思って見れば、沓掛権現、黒森権現と読めなくも無い

それにどう見ても、このシェーのポーズは権現さんの姿だわ

ちなみに、役小角が吉野金峯山で修業中に示現した姿が、蔵王権現だとか

それにしてもお腹が空いたなぁ  あっ、お弁当を入れたザック黒森山にデポして来てるんだ

仙ちゃん、ゴメン 食事もうちょっと待って

教訓、僅かの距離だと思ってもザックは肩から外すな

11時55分 さぁ、黒森山まで帰ろうか

天気は好いけど気温は余り高くは無い ブナ林はまだまだ沢山の霧氷の華

折角咲いたマンサクも凍り付き氷花になっている、寒そう〜

滑りながら、シャクナゲ林を登り返す

今年の花芽は? お腹が空いてて周りを見ていません

12時45分 やっと黒森山まで帰って来た

日陰は冷たいが日差しは柔らかい 日当たりの良い所の雪は融け出している

三角点傍の木に掛かっている温度計は0度を指している、寒い筈だわ

ここで30分ほど、ランチタイム、温かいお味噌汁を飲んで人心地がついた

と言っても、ちょっと転んだら河又谷へ転げ落ちそうな狭い頂上、何となく落ち着かない

1時15分 急坂を下って行く

霧氷がぱらぱら落ちだしていたが、日陰の雪は朝とあまり変わっていないようだ

この辺りから林道に下りる道は無いのかしらん

最後の登り返し、急斜面を飛び出ると母なる山・笹ヶ峰が待っていると思うと、ピッチが上がります

2時10分 沓掛山着 温かい日差しを受け、春の淡雪は殆ど融けていた

3人占めの山頂で贅沢な展望を楽しみながら、甘〜いお汁粉タイム

雄大な山々に囲まれて、疲れもいっぺんに吹き飛ぶわ

ところで、この沓掛山の山名の由来は?

九重連山にもあったけど、難所を控え、修験者が草鞋を木に掛けて休んだ山らしいが

此処もやっぱり、そうなのかな?

修行とは言え、険しい参拝道を此処まで辿りつき、休むには絶好のロケーションだ

2時30分 登山口まで、後1時間半くらいだろう 4時には着けるかなと下り始める

取り付きから見上げると、すっかり春の様相になった沓掛山

45分ほどで宿、此処からは谷沿いをのんびり花散策しながら下る

ヤマシャクヤクはまだまだこれから、やっと蕾が出来たばかり     小さな小さなマルバコンロンソウ

ユキワリイチゲ                    アワコバイモ

可愛い花々に呼び止められて、なかなか足が進まない

4時の予定が30分も遅れて、4時30分やっと登山口に帰ってきた

新雪が乗ったアップダウンの激しい9時間弱の痩尾根歩き、

気持ちも体も春山モードに切り替わっていたので、久しぶりにハードな山行となりました

 

気にかかっていた権現さんは、春の淡雪で薄化粧され綺麗な姿で立っていた

あんなに大きな権現さんを担いで登ったなんて、信仰の力は凄い!

でも、ちょっと油断したら谷底に転げ落ちそうなあの尾根道が本当に参拝道だったんだろうか?

東側は無理だけど、西側に黒森山を巻くトラバース道があったんじゃないのかなぁ

今日は参拝道の難所を歩いたが、今度は正法寺から堂ヶ平まで繋ぎたい

帰途、新居浜市大生院の石鉄山・往生院正法寺を訪ねる

風格ある寺院が田園風景の広がる山裾に建っていた

正法寺の歴史に拠れば、平安初期、豪族秦氏の氏寺として上仙法師が開基

七堂伽藍を有した大寺で、現在の地名・大生院は寺名・往生院に由来する

開基当時は、上仙法師が修行を積んだ笹ケ峯に多くの修験者が参集し

山岳宗教の根本道場となるが、次第に、瓶ケ森、石鎚山信仰へと移って行く

また、秀吉が長曾我部元親を攻めた天正の陣において寺院は消失、その後幾度か渦井川の氾濫もあり

平安年間から連綿として続いた大寺も歴史の変遷に従って衰微、現在の地に移したそうだ

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