2010年04月10日 ”大麻山”

春たけなわ、金刀比羅宮「桜花祭」・平安絵巻に酔い 讃岐平野の最高峰周回

トラックログはイメージ図です
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号)

 

駐車場〜大門〜本宮〜奥社〜大麻山〜牛屋口〜金丸座〜駐車場(6時間25分)

 

おむすび山が並ぶ讃岐平野の里山の中で、一際高く重量感のある大麻山(おおさやま 616、3m)は

その中腹に金刀比羅宮がある南の琴平山(524m)とともに一つの山塊をなしており 

山容が象の形に似ているので山塊全体が「象頭山(ぞうずさん)」と呼ばれ親しまれている

象頭山の特定のピークを指す場合は琴平山のすぐ北の538mをいうらしいが

その近くに521.2mの三角点があるから余計にややこしい

今日は、桜花祭で賑わう桜の名所・こんぴらさんで雅の世界に浸り

「象頭山」北のピーク大麻山から讃岐平野を眺め、春を謳歌して来よう

9時 駐車場を出ると直ぐ、高さ約27mの高燈籠が目に飛び込んで来る

コトデン琴平駅横にある高さ日本一の燈籠の灯は、瀬戸内海を航海する指標として丸亀沖の船に届くように設計

6年の歳月を費やし、1860年に完成した高灯籠の内部は3階建てで、壁には江戸の人々の落書が残っているそうだ

金倉川を渡り土産物街を抜けると、1368段の長〜い石段の始まり

あら、石松さん 未だこんぴらさんに居たの? その節は友情出演(?)して頂いてお世話になりました

金毘羅表参道”一の坂”の土産屋は、純信・お馬ロマンの道で登場した旅籠があった所

ちょっと、余談でした

9時20分 金刀比羅宮境内の入口に威風堂々とした大門、 その左に時太鼓を備えた「鼓楼」が建つ

1650年、初代高松藩主松平頼重候が寄贈したそうで、有栖川宮熾仁親王の筆による「琴平山」の額が楼上に掲げられている

桜花祭まで少し時間があるので宝物殿辺りを一周り、高台から見下ろせば満開の桜越しに讃岐平野が霞む

9時40分 いよいよ桜花祭の行列が出発

桜花を抱えた巫女、舞人、冠に桜を挿した神職が伶人の奏でる横笛、笙の音色に合わせ静々と進んで行く

大門を潜り境内に入ると、参道の両脇に5軒の飴屋・五人百姓が並ぶ

大きな傘を広げた古風な姿で参拝客を迎える五人百姓は、境内での営業を唯一許された由緒あるお店

参道は春爛漫〜♪

讃岐路に本格的な春の到来を告げる「金刀比羅宮桜花祭」

桜花祭と言えば京都平野神社が有名だけど、なんでも

寛和元年(985年)、花山天皇によって数千本の桜が植えられ4月10日に祭礼を行った事に由来するそうだ

金刀比羅宮の桜花祭も、そうなのかな?

本宮と見紛う荘厳華麗な旭社

天保美術の粋を集めた彫刻がほどこされた二層入母屋造の社殿は、完成まで約40年の歳月を要したと伝わる

また、楼上に掲げられている「降神観」の3字の額は、清国第一級の書家とし知られる王文治の筆だそうだ

10時15分 最後の急石段を登り切ると、大楠が茂る荘厳な趣の本宮に着く

此処まで、石段の数は785段

拝殿では、雅楽にあわせ優雅に「大和舞」や「八少女舞」が奉納される

拝殿の中は雅の世界だけど、外ではお参りする人と写真を撮る人が押し合い圧し合い

ちょっと失礼して、一瞬だけ写真を撮らせて貰った

琴平山中腹、標高251mに建つ桧皮茸の社殿・本宮には大物主神と崇徳天皇が祀られている

北のピークが大麻山、南のピークが琴平山、はたまた象頭山と呼び名が幾つもあるこのテーブルマウンテェンは

神域として豊かな自然林が残り、瀬戸内海国立公園、国の名勝、天然記念物に指定されている

11時30分 この後書院で今様も行われるそうだが、桜花祭も充分楽しんだので奥社へ向かう

本宮からは参拝者もぐんと減り、鬱蒼とした楠の大木などに囲まれた静かな参道を進むと

まもなく、桧皮茸、朱塗流造の色鮮やかな白峰神社

約820年前に建てられた神社は、崇徳天皇とその母待賢門院を祀り古の荘厳な趣を醸し出している

こんぴらさん名物石段も、そろそろ先が見えて来た

11時55分 1368段の石段を登ったところに佇む奥社は金刀比羅本教教祖が祀られ、巖魂神社といわれる

奥社の西側、垂直に切り立った岩壁に、古の修験道の跡を留める荒々しい表情の天狗と烏天狗の面

高台に建つ社殿には、心地よい風が吹き上がって来て、春真っ盛りの琴平の街並みが一望のもと

奥社から少し戻り、(奥社に向かって)右の工兵道に入って行く

入り口には大麻山登山口凡そ30〜40分程と書かれた板が木に吊るされている 

ここから雰囲気はがらっと変わり、やっと登山の雰囲気になって来た   

5分程で分岐、「龍王社へ1、3`」の道を左に見て、トラバース道を真っ直ぐ進むと葵ノ滝に出る

何度かこの滝を見たが水が勢いよく流れ落ちる姿は見たことが無い、なんとも写真写りの悪い滝だ

葵ノ滝から5分程で工兵道中央、龍王社0,4km大麻山山頂1,1kmの標識が立つ

此処からは急坂のジグザグ道を登って行く、暑くて汗びっしょり

急坂を登り切ると龍王社、前の池は涸れている    右へ進み車道に出ると満開の桜並木〜♪

木々が芽吹き、明るく輝く春山の佇まいの中をルンルンで歩く 振り返れば阿讃山脈の後ろに祖谷の山々      

桜並木途中にある大麻山三角点(616、3m)を越え、テーブルの端っこの頂上園地へ

12時45分  頂上園地が近づくと賑やかな笑い声、20人くらいの団体さんが食事中

春霞の中、ヤマザクラ越しに讃岐平野のシンボル・飯野山、瀬戸大橋が見える

吹き抜ける風が心地よい

1時15分 頂上から引き返し車道(チェリーラインというらしい)をどんどん下る

20分程で分岐、直進すれば琴平山(524m)方面だが、右折し仲南町佐文へ下りる林道を歩く 

朝日山公園山頂がもんやりと朧に霞んでいる様は、まさに花朧 一番奥には七宝連山が横たわっている

山々も若草色に霞み、里山は間もなく緑立つ万緑の季節

春の花が笑いかけ、林道歩きもルンルンランラン

日本にはスミレの種類が多く、50〜60種はあるとか、詩にも詠まれ呼び名も様々

春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ   野をなつかしみ 一夜寝にける

   スミレは一日では萎まないけど、山部赤人の歌にちなみ、一夜草(ひとよぐさ)とも言われているそうだ

山路来て 何やらゆかし すみれ草      (芭蕉  のざらし紀行)

菫ほどな 小さき人に 生まれたし            (夏目漱石

あら、道端に虎杖や蕨、少し頂いて今夜の食卓に春の香りを添えようっと

広々とした林道が続くが、この先にゲートがあり車は入って来られない

それにしても象頭山の東面は鬱蒼とした常緑の原生林、西面は明るい落葉の自然林

西面にも沢山ヤマザクラがあるかと思ったけど、ちょっと少なかった

それでも、萌え出た黄緑色の若葉と、ピンクの組み合わせは、まさに絶品!

佐文の集落に入ると、金毘羅街道(旧伊予・土佐街道)にあたる、ここは左へ

この道は「四国のみち」(タケノコ山のみち、茶摘みのみち)にも選ばれている

2時35分 100メートルにわたって60余りの石灯籠が並ぶ牛屋口に着く

満開の桜の側で、多忙なスケジュールの合間を縫って龍馬が歓迎してくれる

龍馬さん、とうとう脱藩したんですね  ところで弥太郎さんは元気?

此処は、旧伊予・土佐街道のこんぴらさん入口、 牛屋口って?ちょっと変わった地名

その昔、幕府の目付けや殿様の代参がこんぴらさんへのお使い道としていたところから、お使者口と呼ばれていたが

いつのまにか、お使者口(おししゃぐち)が牛屋口(うっしゃぐち)と呼ばれるようになったとか

当時は餅屋、菓子屋、お茶屋、床屋、料理屋等があり、とても賑わっていたそうだ

牛屋口より、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作らが歩いた伊予・土佐街道を歩き暫し幕末ロマンに浸る

原生林の中を緩やかに下って行くと、左に大門と鼓楼が見える

人通りが増えて来て、前方に色とりどりの歌舞伎役者の幟が見えて来た

2時55分、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」で賑わう金丸座

天保6年に建てられた金丸座は、現存する日本最古の芝居小屋として国の重要文化財に指定

金丸座を過ぎ、満開の桜の下で小休止

海の科学館前を通り表参道に出て、商店街方面へ真っ直ぐ進むと右奥に金倉川に架かる鞘橋が見える

この屋根つき橋は、橋脚のない全国でも珍しい浮橋で金刀比羅宮の御大祭の時だけに使用されているそうだ

3時25分 こんぴらさんの春を思う存分満喫して、駐車場に帰って来た

 

木の芽晴れの中、執り行われた「桜の宴」、ピンクに染まる象頭山も萌え始め

今年もまた山が笑い、財布が泣く季節がやって来た(笑)

春のお山は楽しみがいっぱい〜

(参照 琴平町HP)

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