2010年06月19日  ”直 島”

歴史ロマン溢れる直島の素顔を尋ねて、のんびり島巡り

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) 
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号

 
宮浦港(海の駅なおしま)〜三菱マテリアル・山神社〜納言様〜本村〜積浦〜直島ダム湖〜宮浦港

(4時間40分)

 

今、アートで話題の直島、大正6年に三菱鉱業の製錬所が建ち、飛躍的な発展を遂げて来た

その昔、高松港を出港した宇高連絡線が、宇野手前の狭い水道にさしかかった時

赤茶けた山肌にポツンと立つ巨大な煙突が見えて来たのを思い出す

製錬所の島・直島のシンボルとして今も強烈な印象が残るあの煙突、今はどうなっているんだろう?

調べていたら、気になる面白い地名が続々と、なんでも崇徳上皇にゆかりのある島らしい

という事で、産業、現代アートが住み分ける歴史ロマンの島を訪ねて来ました

10時14分、高松港を出港

予報では曇りだったけど、雲の切れ間から日が差している、なんだか暑くなりそう

穏やかな瀬戸内の海を飽かず眺めていたら三角錐の大槌島が近付き、やがて前方に目指す直島が見え出した

保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国へ流される際、直島の泊ヶ浦(積浦)で3年間過ごしたとされ上皇ゆかりの地名が残る

京から追ってきた姫と上皇との伝説が残る姫泊山(きとまやま)・琴弾地浜(ごだんじはま)、局島(つぼねじま)

同じく上皇を訪ねて来た大・中・小納言が船を着けた土地が、納言様(なごんさま)

能舞台を鑑賞した場所が能見の浜、舞台になった沖合いの島が演題「葛の舞」に因んで葛島等々

直島という島名も、島民の純朴さ、素直さを賞賛して上皇が命名したという言い伝えがある

1時間弱で宮浦港に入港、約8平方キロメートル、一周約16kmの直島にいよいよ上陸

左のピークが島内最高峰・地蔵山(123,3m)

11時35分 フェリー乗り場「海の駅なおしま」を出発、横断歩道を渡った所に風格ある住吉神社が建つ

日本書紀によると、応神天皇が難波の津から船出して瀬戸内を巡幸し吉備へ向かう途中

風待ちのため直島に上陸、浜辺の岩に腰掛けたとされる「応神天皇腰掛岩」が境内にある

大半の観光客が、直進して文教区の方へ流れて行くのを見ながら、左折

「007だって?」、ちょっと不似合いな雰囲気だなと思いながら記念館を覗いてみると

レイモンド・ベンスン作、007の小説「赤い刺青の男」の中で直島が実名で登場

直島の美術館を会場とするサミット・主要国首脳会議を狙うテロをジェームズ・ボンドが阻止するという筋書きだ

映画化実現へのムーブメントとして、町内ボランティア有志が町内外の協力を得て007関連資料を展示していた

緩やかに上って行くと、才の神ダムの奥に、直島を代表する企業、三菱マテリアルの銅熔錬が見え出した

ダム湖の堰堤を渡り、丘の上に鎮座する山神社にお参り、下の広場に映画館の建物が残る

昭和30年当時、山神社の祭りには、出店などが立ち並び、映画館(文化会館)や野外特設舞台など

どこの会場も沢山の人で賑わい、武道大会も催され盛大な祭りだったそうだ

昔、宇高連絡線から眺めた煉瓦造りの煙突は無く、小高い丘に100mほどの高さの近代的な煙突が立っていた

三菱マテリアル(株)直島製錬所では、銅をはじめ金や銀などを生産、その量は国内トップクラスを誇る

「海の駅なおしま」で直島製錬所へ行けるか聞いたら、工場エリアは入れないとの事だったので此処で引き返す

(PLANTツアーに事前予約すれば、その主要な工場施設をバスで見学することが出来るそうだ)

2004年1月の大火災により禿山になった山々も徐々に緑が復活、町花でもあるシマツツジが咲き残っていた

ヘキから坂道下って来ると、正面に吉野石膏の高い煙突が聳えている、その向こうに見える島が局島

すれ違った地元の方に「何処まで歩かれるんですか」と聞かれたので、「天皇下まで行って宮浦港へ帰ります」

「ほんなら、案内して上げる」と言って、いろいろ説明してくれながら町役場までご一緒して下さった

直島町では、新たな産業を創出し島の活性化を図っているそうだ

その一つが、エコアイランドなおしまプラン

現在、課題となっている廃棄物処理について、新たなリサイクルシステムを構築し環境産業を育成

雇用創出とともに、住民主体の環境調和型まちづくりを行っている

この辺り、昔は入浜式塩田が盛んな外堀塩田跡地

崇徳上皇を訪ねて来た大納言、中納言、少納言たちが舟を着けた所だと伝えられ

それに因んで、納言様という面白い地名が残っている

何処かに地名が書かれていないかしらと探していたら、ありました「バス停 納言様」!

電柱の後ろの山は、チキリ峰(119m)

行く手に鎧山(80m)が見えて来た、高さは100m足らずだけどとっても器量良し

本村が近付くと観光客が増えて来た、「はいしゃ」の建物跡では沢山の人が中に入って見学中

道を下って来ると、安土桃山時代の名建築「飛雲閣」を参考に設計されたという町役場がどっしりと構えている

人口、約3300人の役場にしては風格ある建物だ、昔は町役場の裏に学校があったそうだが

今は文教区へ統合移転され、小中学校の校舎は一見の価値ある素晴らしい建物らしい

見てみたいが、「天皇下」は外せないので、案内して下さった方と別れて積浦(つむうら)へ向かう

本村(ほんむら)は、戦国時代末期に水軍の将・高原氏が八幡山に直島城を築き城下町として栄えていた

今、古民家が再生され家プロジェクトエリアになっている

うどんやさんのお隣は喫茶店かな?美味しそうな暖簾がかかる  

保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国へ流される際に、3年間過ごしたと伝えられる積浦

漁港越しに、気になる名前の姫泊山(きとまやま 101,1m)を眺める

1時40分 休憩も兼ねて積浦のお好み焼き「海っ子」へ、店仕舞いして庭でのんびり寛がれていたけど

焼きソバか焼きうどんならと、作ってくれた、塩味の焼きうどん、いい味でした

「姫泊山って素敵な名前ですね、、登山道はあるんですか?」と、聞くと

「子どもの頃は遠足で登った事はあるけんど、今は誰も登らんで、もう道は無いんじゃないかなあ」

この時期、藪漕ぎは無理よねぇ、残念!

この辺りの地名は「天皇下」、バス停から見える小高い丘に崇徳天皇宮が建つ

みんなから「天皇さん」と呼ばれ親しまれているそうだ

一の鳥居を潜り広い石段を上って行くと、二の鳥居越しに立派な社が現れた

社の入り口に、西行法師の像が祀られている

松山や 松のうら風吹きこして しのびて拾う 恋わすれ貝 (崇徳上皇)

保元の乱に敗れた上皇が讃岐配流の途次滞在されたと伝わるのが、琴弾の浜

忘れ貝を拾い、京の都を恋うる想いを詠まれた歌碑は、海の家つつじ荘に建つ

車道沿いにある「琴反地(ごたんじ)池」のハスも咲き始め、水草だろうか、ちいさな可愛い花が水面に揺れる

道沿いに植えられた花々を楽しみながら進んで来ると、入口に「おやじの海」記念碑が建つ「つつじ荘」

説明に拠ると、琴反地海岸線沿いにふるさと創生事業の一環として建てられた施設で

13棟からなる「邑(むら)」を形成し、ふる里の豊かさと喜びを体感できるよう町内外に広く開放

バス停側の、砂浜に若山牧水の歌碑が建つ

ことひきの 浜の松風静けしと  聞けば沖辺を 雨過ぐるなり (若山牧水)

大正10年5月(1921) 牧水が鯛網見物に訪れた際に詠んだもので

側面には「ボードレールの詩」(永井荷風訳)が何れも牧水直筆で刻まれていた

草間彌生作、海に突き出したかぼちゃ、でもなんでかぼちゃなんだろうか?と、作者のプロフィールが気になった

1929年生まれ、5歳から描き始めて75年、描くことは自分について生命力の根源に触ること、100歳まで生きて

「愛は永久(とこしえ)というメッセージを世界各国にばらまいて死を迎えたい」と、創造の泉は涸れる事を知らない

食べるのも好い、観賞するのもいい、描くのもいい、かぼちゃを描くは「心の癒し」なのだそうだ

そう想って見れば、高さ2mほどのかぼちゃが放つ気が海の向こうまで届きそうな気がする

アスファルトの照り返しを受け、汗びっしょりになりながら急坂を上り詰めると真下に、ベネッセハウスが見え出した

車道から京ノ山(105,8m)へはひと登り、が、遊歩道らしき階段は草が茂り、ちょっと歩く気がしないのでパス

ベネッセハウスの分岐を右に取り直島ダム湖へ向かい、「海っ子」の主人が勧めてくれたゴミ箱アートへ

巨大ゴミ箱に入っていたのは、いろんな広告のチラシ、何処がいいのかよく分からん

それより、ダム湖畔に姿を写す鎧山が素敵〜

地中美術館チケットセンター前を過ぎるとモネの庭を模した「地中の庭」、ベンチに腰掛けて大休止

現代アートの祭典・瀬戸内国際芸術祭2010が、7月19日より105日間、7つの島と高松を舞台に開催されるが

その舞台の一つ直島は、地中美術館、ベネッセハウス、家プロジェクト等、現代アートの聖地として賑わっている

今日は歴史ロマンの日、ベネッセはまたの機会にと、美術館への道を左に見送り

海岸線まで下りて来ると、泳ぎたくなりそうな澄んだ海の色、キラキラ光ってとっても綺麗!

4時15分 歩き始めて4時間40分、やっと、フェリー乗り場に帰って来た

宮浦港のシンボル・「赤かぼちゃ」2006年、草彌弥生作)は、真っ赤に燃える、太陽の赤

カボチャが馬車に変身するお話はあるけど、太陽がカボチャに変身するなんて斬新な発想!

これが、所謂現代アートというものなのかなぁ

 

梅雨の晴れ間、ちょっと暑かったけど、直島の人情や歴史ロマンに触れた一日でした

町役場まで案内してくれた方、「気をつけて」と車を停めて声をかけてくれた方

気持ちよく、美味しい焼きソバと焼きうどんを作ってくれた食堂のご主人

島の人々の優しさとパワーが伝わって来る、その素敵な笑顔が忘れられません

昔眺めた煙突は既に無く、赤茶けた山肌は緑に覆われ、春はピンクのツツジが咲き乱れるそうだ

以前は、海水浴客を中心に年間2、3万人だった観光客が、この20年で10倍になり

昨年は、延べ約36万人、何と住民3300人の100倍以上だったとか!

島の歴史や文化に、アートが加わり、それらが調和して魅力が深まっているのだろう

欲を言えば、地蔵山や姫泊山への登山道があれば・・・登りたかったなぁ

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