2011年01月22日 ”大山寺散策”

 

酷暑の夏の後には、極寒の冬がやってくる

昨夏の異常な暑さで熱しきった地球を冷やすかの様に、年末以降大寒波が次々に日本列島を襲う

 何年振りかの冬らしい冬の到来で、四国の山も中・高山は深い雪に閉ざされ、この時期選択肢は狭い

何処にしようか? 堂ヶ森から真っ白い鞍瀬ノ頭を見てみたい・・・無理だろう

三嶺or天狗塚・・・これも無茶、 伊予富士or寒風山ならトレースがあるかもと、ちょっと気持ちが揺れる

まぁ、こんな風にあれこれ考えるのも楽しい・・・そうだ!いっその事、頂上は諦めて

大山の様子を見に行ってみよう、雪に佇む阿弥陀堂・・・いい雰囲気だろうな

という事で、四国の晴れマークに後ろ髪を引かれながら曇り予報の山陰へ

米子道に入ると、辺りは薄っすら雪化粧 湯原IC過ぎから道路脇の雪も厚くなって来た(チェーン規制は無し)

蒜山SAで一休み、スキー場に向かう車が多いのだろう SAは賑やかだ

SAを過ぎると正面に三平山が白く輝く 曇り予報なのに青空が見えている〜♪

このまま天気が回復すれば大山ピークも夢じゃ無い、と思ったのも束の間

「アイゼン持って来てないし、靴は三日前に買った長靴」 ガーン! 

グランパは最初からピークは頭に無く、中腹散策モードです まぁ、いいか

溝口ICで下り、桝水原へ向かう途中大山を眺める、山が沈みそうな程の恐ろしい雪量

笠雲の様な雲がかかっている このまま雲がすーと引いていくのか、あるいは叉雪雲を招くのか?

ところで、戦前、この辺りに狐塚があったとか、まだ狐や狸が人を化かしていた遠い昔

戸上の藤内狐、上万(大山町)の橋姫狐、森(尾高)の三笠狐が互いに技を競っていたそうだ

この青空、まさか狐に化かされているんじゃないだろうな、太陽が雪田に輝いて眩しい

除雪はされているが、融け出した雪が凍り路面が光っている

桝水原を抜け、環状道路に入り大山寺集落へあと少しの所で通行止(右下の写真は大山寺集落側にあった看板です)

大山ドライブナビの情報では通行止ではなかった様に思うが・・・

一旦下り、かなり大回りして大山寺集落に着くと駐車場はスキー客の車でほぼ満杯

豪雪の大山寺集落、勢いよく雪を飛ばしている除雪車の横を通って出発

先ずは夏山登山道へ 見上げれば6合目付近から上は雪雲がかかっている

大山寺橋から300m程先で、桝水原方面はなだれの恐れがある為通行止め

雪の掘割状態になっている大山橋を渡り、綺麗に除雪された車道を歩いて登山口へ向かう

駐車場の賑わいは何処へやら、閑散とした真っ白い道が続く

「あんまり山際を歩いたら危ないゾ」 そうそう雪崩て来たら大変

大山夏山登山道と書かれた立派な標柱は雪の中に隠れ、取り付きには雪の階段が出来ている

何時もは広い面の登山道も今日は細い線、少し外すとどの位沈むか分からない

登山道沿いの所々に標識があったと思うけれど、全て雪の下

登山道から右へ反れ、柔らかい雪を踏み抜きながら一歩一歩進むと、半分埋まっている鳥居が立ち

その奥に、雪を纏った杉木立に囲まれた阿弥陀堂がひっそりと建つ  雪の厚みが古刹の幽玄美を引き立てる

思い描いていた通り、凛と静まり返った佇まいの別世界だった

大山寺に現存する寺院の中では、最古の建造物 「大山寺阿弥陀堂」

平安初期に創建、藤原期に建立され、亨禄2年(1529年)に山津波で倒壊

その後天文21年(1552年)、室町末期に現在の場所に再建されたと伝えられる

仏師・良円の作といわれる本尊・阿弥陀如来像の両脇には観音菩薩、勢至菩薩も安置

建物、仏像とも国の重要文化財に指定されている

登山道に戻ると人の列が続いている、何と28人!

貨客船で境港に着き、大山トレッキングに訪れた韓国の団体さんだった

八合目手前で引き返して来たという方に会い、暫く話をする

六合目までは確りした道が出来ているけれど、その上はかなりの雪庇で危険な状態だそうだ

それでも一人頂上まで登ったとか、おそらく正月以来初めてだろうと言われていた

今日は散策モードだけどせめて六合目位迄と秘かに思っていたが、この天気じゃねぇ

先程の青空は何処へやら、雪まで舞い出した

暫しブナ林を楽しんでから二合目辺りでUターン、韓国の団体さんはどの辺りまで行ったのかな?

大山寺橋を渡り大神山神社へ向かう

2,3日前、この辺りの積雪は2m60cmだったとか!ポールも殆ど雪の中に埋もれていたのだろう

除雪が切れた突き当りに、大山寺山門が見えて来た

雪の中に眠る古刹 「角磐山 大山寺」の山門(屋根の雪づりが危険なため立ち入り禁止)

奈良時代、出雲の俊方により開山され、平安時代以降は山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えた大山寺

最盛期には100を超える寺院と、3000人以上の僧兵をかかえ、一大勢力として隆盛を極めていた

大山寺山門より左折、何時もの半分くらいの高さになっている石の鳥居を潜り、大神山神社へ向かう

日本一長い自然石の石畳も分厚い雪布団の下 、先程すれ違った消防署の方々(4人)が歩いた細い道が続く 

銅の鳥居を潜ると、直ぐに雪を被った山門が現れる

広い石段も今日は白い一本道 、大神山神社奥宮が真上に迫り圧倒される

樹齢何百年もの大杉に囲まれた境内には、何時にも増して清く荘厳な空気が漂う

大己貴命(おおむなちのみこと)を祭神とする国内最大の権現造りの社殿

掃き清められた拝殿が清々しい、奥に堂守さんが静かに座っている

大雪の中、神社を守るのも大変な事だ、歩かせて貰った感謝の気持ちを込めて参拝

奥からスノーシューを履いた2人が下りて来た、大堰堤手前400m位の所でギブアップだったそうだ

神社の裏に回ると、スノーシューの跡が山際に続いている、誰か治山道路へ上がったようだ

それにしても、屋根に手が届きそうな雪の量、屋根は大丈夫なんだろうか?

物音一つしない静かな白い一本道を下って行く

参道から反れラッセルしながら金門へ、佐陀川、元谷大堰堤も深い雪に覆われている

雪雲に隠れた北壁や三鈷峰方面を眺めていたら、ふと、「大山の背比べ」の民話を思い出した

昔、韓の国の神さまが、日本の国の山と背比べをしようと、 自信たっぷりに、韓山を舟に乗せて日本海を渡って来た

やがて、空を覆っていた雲が晴れ、伯耆大山の雄姿が見えて来ると、神さまはびっくり仰天

とてもこれにはかなわない、と韓山を捨てて帰って行きました

大山の北にそびえているのがこの韓山。 韓の国にちなみ、高麗山(孝霊山)と呼ばれている

さっき出会った韓国のツアーの人たちは、この話を知っているのかな?

 

雪姿のブナを見ながら金門から参道へ戻る 左の急斜面から小さい雪崩の痕がある

そうそう、背比べの民話は他にも語り継がれている

伯耆国の大山と因幡国の鷲峰山は「自分の方が背が高い」と長年にわたって争っていた

ある時、そんなにゆうなら背比べをしてみようということになり

お互いの頭に竹筒を渡して水を流すと、水はチョロチョロと大山の方に向かって下っていった

背比べで負けた大山はおさまらず、ある夜、寝ている鷲峰山の頭を鋤でごっそりと削り取ったと

悪さに気づいた鷲峰山はあわてて大山を追いかけたがそれもかなわず、鷲峰山は大山よりもずいぶん低い山になってしまった

追われて逃げる大山が打ち捨てていった鷲峰山の頭が、久米郡の茶臼山だそうだ

大神山神社の参道を小走りに下りて来た郵便屋さんが、チェーンを着けたバイクに乗ってそろそろと下って行く

積雪でバイクが入れない所もあるし、それに除雪されていても路面は凍っているから運転に気をつかうだろうな

深い雪に閉ざされた静かな大山寺集落の日常を垣間見る

掘り出された自販機や郵便局前の赤いポストが、白一色の参道にぽつんと立つ

今にもずり落ちて来そうな屋根の雪にハラハラしながら、雪壁の中を足早に通り抜ける

2時間半程の大山寺界隈散策を終え、満車状態の駐車場に帰って来た

今日は天気もいまいち、登山道の雪の状態も判らないので最初から散策モード

2月に入り雪が締まった頃、ピーカンの日にピークを目指してみよう

ところで、長靴の感想は? 「底がちょっと柔らかく感じるので踏ん張りにくい 慣れかなぁ?

それと、ゴムが冷たい、靴下2枚履けばよかった」 だって・・・・お疲れ様

 

大山寺を後にして米子市街へ向かう、そろそろお腹も空いて来た

新鮮野菜をたっぷり使った手づくり惣菜バイキングのお店「日吉津村のごはん屋」

先ずは境港から届いたお刺身に寒ブリの煮付け、数種類の小鉢に茶碗蒸し

次々に「○○出来上がりました〜」と、美味しそうなお惣菜が並べられる

お腹は一つしかないし・・・と言いながら別腹スイーツ&コーヒーで〆、ちょっと食べ過ぎました

外に出ると粉雪が舞っている

近くの弥生遺跡・妻木晩田(むきばんだ)も気になるけど、次回という事で今日はパス

米子ICから高速に乗って一路蒜山高原へ

蒜山三座も真っ白、此処もちょっと登れそうにないなぁ

「眺めて貰うだけで充分、こんな雪の時期くらいゆっくり休ませて欲しいわ」 

蒜山からそんな声が聞こえてきそうだ

休暇村「蒜山高原」で癒しの時間をまったり過ごし、雪の降る中帰途に着く

真庭PAの人気メニュー、ホルモンうどん、蒜山焼きそばも気になるが

お腹の中でバイキングがまだ暴れている、また今度にしよう

 

山陰地方は、週明けからずっと雪雲に覆われている、まだまだ雪が降り積もるだろう

”冬来たりなば春遠からじ” 春の日差しが待ち遠しい!

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