2011年02月05日 ”貴峰山(とみねやま)”
讃岐名物「尖がり山」を訪ねて、勿論〆は饂飩です
GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) |
大石池(11:35)〜(12:00)貴峰山〜(12:15)貴峰庵跡〜ミニ八十八ヶ所巡り〜(12:45)貴峰庵跡〜(13:10)大石池 |
(1時間35分) |
側を通る度、気になっていた三野の尖がり山
なんて名前だろうかと調べたら「貴峰山(とみねやま)」、名前も素敵〜
大見富士と呼ばれ、地元の人たちに親しまれているそうだ
今日はおむすび一つ、時間もかからないのでゆっくり出かけて来ました
大石池堰堤に駐車して、これから向かう貴峰山を見上げる
池面に落とす逆さ富士も美しい
南北朝の頃、貴峰山には天霧城の出城・貴峰城(大見城)があったそうだ
香川氏の臣・大見六郎綾景利が築き、その後この地の荘官藤田氏代々の居城となった
小さいながらも中世山城の代表的な城跡で、天霧城の一翼を固めていた
11時35分 「貴峰山(とみねやま)ミニ八十八ヶ所」と書かれた指標に従い歩いて行く
民家の間を抜け馬道と呼ばれる緩やかな坂を登って行ったら、畑の中には不似合いな大石が転がっている
ああ、それで車を停めたところの池の名前が大石池なんだ、妙に納得
昔は、ここまで祭りの神輿を担ぎ上げて来たので「神輿休み」と呼ばれていたとか
山裾に城主の居住跡があったそうだけど、この辺りだったのだろうか?
若しかして、敵に取り囲まれた時、山頂からこの大石を落としたのかなと
想像しながら辺りを見回したが、他にはそれらしき石は見当たらない、一つだけというのも変だ
それによく考えたら、こんな大きい石をどうやったら転がせるんよ
大石の上で畑を横切り登山道に入って行く、右折の道を分けて道なりに進むと階段状の坂道
点在する緑々した群落を見ると、枯葉を持ち上げ顔を出したスミレの葉っぱが春を待っている
大石池から10分ほどで「ふるさとふれあいの森整地事業」と刻まれた石標が建つ貴峰庵跡に着く
広場には、発心堂と東屋、トイレが設置されている
ミニ八十八ヶ所巡りは後にして、八十八ヶ所の結願寺・大窪寺の石碑の横を登って行く
山頂手前の大岩・展望岩からの眺め、生憎、舫っていたので遠望は利かないが
三野平野を一望出来るこの大岩は見張り台のようだ
大岩を過ぎると要所にトラロープがある、眼下に見える大見小学校の遠足コースなのかな?
「あした夕べに 照り映ゆる 雄々しき峯 仰ぎつつ〜♪」と
大見小学校校歌に唄われる”雄々しき峯”って貴峰山かしら?
12時 急坂を一登りで貴峰山頂上(222、8m)
「恋は〜♪みずい〜ろ♪」、麓から12時のチャイムが聞こえて来る
チャイムに合わせて、大声で「空と〜♪海の〜い〜ろ〜♪」
石舞台に立ってたら、ついその気になって・・・麓までは聞こえなかったと思うけど(汗)
四等三角点、岩に埋め込まれた三角点なんて、ちょっと珍しい、東には弥谷山、我拝師山、火上山が霞む
12時15分 東屋まで下りて来て、お大師さんに見送られミニ八十八ヶ所巡り
七番・十楽寺を過ぎると、舗装路はドンドン下って行く
三叉路に説明板が立つ、八十八ヶ所巡りは直進、1周1500mと書かれている
左折すれば、西大見集落へ下りて行くのだろう
緩やかに登って行くと、貴峰山と毘沙古山(231m)のコルに着く
コルを挟んで、二十六番金剛頂寺、二十七番神峰寺の石碑が向かい合って建つ
右の尾根は貴峰山へ、左へ進めば毘沙古山へと、道らしき薄い踏跡が続く?
それにしても町からそんなに隔たっていないのに素晴らしい杜が広がり、深山の趣が漂う
元気の良いヤマザクラの巨木が目立つ、春になれば華やかな森になるのだろう
(東屋に、ヤマザクラが満開の頃の写真が飾られていました)
12時45分 延び放題の竹薮の側を抜ければ、程なく東屋が見え出す
貴峰山中腹をぐるっと回り、緩やかにアップダウンしながら八十八ヶ所を巡って来た
東屋から下りて行くと、何処からともなく春の香り〜♪
登りでは気づかなかったけれど、ポカポカ陽気に誘われ一気に膨らんでいる梅林
小さな小さな春の使者・オオイヌノフグリが畦をブルーで覆い出していた
春霞のような風景の中、池畔の春を探していたら綺麗な色のカワセミが遊んでいる
1時10分 大石池へ帰って来た、のんびり寄り道しながら1時間35分の散策でした
下山後、日枝神社へ移動して池越しに貴峰山を眺める、何処から見ても端正な姿
やっぱり「照り映ゆる 雄々しき峯」って校歌に唄われている峯は貴峰山だわ