2011年03月05〜06日 ”近江路”

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) 
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号

 

「近江を制するものは、歴史を制す」

戦国の雄・織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、浅井長政は、近江の地を舞台に覇を争った

そんな戦国乱世の最中、浅井長政と織田信長の妹・市との間に生まれた浅井三姉妹

戦に翻弄されながらも、賢明に生き抜いた姫たちの生涯を描いた大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の中で

「女子(おなご)には女子の戦がある。それは生きること」と、市は言う

三姉妹の故郷へ子供たちと一緒に行って来ました

三姉妹が生まれた城・小谷城はたくさんの観光客で賑わっていた

天正元年(1573)に義兄である織田信長に攻められ落城、現在は石垣、土塁、曲輪などの遺構が残る

小谷山一帯の尾根筋や谷筋に主郭を連ねた梯郭式山城で日本5大山城の一つだそうだ

登り口から20分ほどで望笙峠、琵琶湖が見える〜♪

長閑な風景の中にお椀を伏せたような山本山、広大な琵琶湖には竹生島がぽっかりと浮かぶ

山城という事は展望も良いが、結構な上り坂 「しんどいねぇ」

金吾丸跡まで登ったと思ったら今度は下り、下りた所に立つ大看板の前でボランティアガイドさんが何やら説明中

よく見ると、その傍らに熊出没注意の看板!多数の目撃例があるそうだ

大河ドラマブームの賑わいを見て、冬眠から目覚めた熊がびっくりするかも?

大広間跡、「千畳敷き」とも呼ばれ、長政とお市の婚礼が行われた城内最大の曲輪跡

天下布武を目指す兄・信長が決めた政略結婚だったが、数年間は平和な歳月が流れた

本丸跡、北側は10mほどの大堀切が掘られ絶壁になっている

本丸跡からさらに登って行くと、中丸跡、京極丸跡、小丸跡と続き山王丸跡

落城後は、解体され長浜城の資材に持って行かれてしまったが

山王丸付近に残る大石垣から想像するとかなり大きな城だったようだ

雪で滑りそうな坂道を下りきった所が六坊跡、帰りは此処から清水谷を下りる予定

六坊跡で休んでいたグループの方から「此処からは心臓破りの急坂よ」と声がかかる

急階段が続く登山道を喘いでいると、あっ!マンサク〜♪」

段々展望が開けて来て、滋賀県最高峰・伊吹山(1377m)が見え出した

日本書紀に「近江の五十葺山(いぶきやま)」が載り

日本武尊が東征の帰途に伊吹山に棲む荒ぶる神を倒そうとした事が記されている

歩き始めて2時間弱、やっと小谷山頂上(495m)

大嶽城跡の標柱が立つ、元々はこの辺りが本丸だったらしい

山頂真下に、信長の本陣があった虎御前山

遠く、秀吉旗下七人衆の武勇伝「賤ヶ岳七本槍」で有名な賤ヶ岳が見える

滑らないように気をつけながら雪道を下りて行く

六坊跡で小休止後、道沿いの重臣屋敷跡を見ながら清水谷を下っていると

キンキマメザクラの名札かかかる桜木、気になるなぁ

小谷城戦国歴史資料館前、仲良く並んだ長政とお市が迎えてくれる

小谷城を後にして、浅井VS織田の壮絶な合戦が繰り広げられた姉川古戦場へ

元亀元年(1570)、浅井・朝倉勢1万8000人、織田・徳川勢2万9000人が対峙した姉川

多くの死傷者を出して浅井は敗北、3年後に小谷城は落城

冷たい風が吹き抜ける広い河原の堤防に、看板が立つ

人と人が争う戦国の世を、伊吹山はどんな思いで眺めていたのだろう?

セツブンソウが咲くという「伊吹の里」を訪れたけれど、群生地は未だ雪の下とか、残念!

車を走らせ今夜の宿に、琵琶湖に沈む夕日もロマンチックでいいな〜

井伊家14代の居城・彦根城は城郭や庭園がほぼ昔のまま残る

世界遺産でもある姫路城、松本城、犬山城とともに国宝四城の一つ

大手門橋を渡り入城、朝も早く未だ清掃中であったが隅々まで綺麗に掃き清められていた

「おはようございます」と、気持ち好い挨拶で迎えて貰って本丸へ

1607年頃に完成したという美しい三階三重の天守が聳えている

西の丸から黒門山道を下り、内堀に架かる黒門橋を渡ると玄宮園に着く

延宝5年(1677)、第四代当主直興によって造営された池泉庭園

中国の瀟湘(しょうしょう)八景に因み、近江八景を模して作られたそうだ

池に写る鳳翔台(客殿)、それを見下ろす天守、素晴らしい景観が楽しめる

丸亀城と栗林公園が同時に見られたような気分〜♪

さて、次のお城は?

龍澤寺前の広い駐車場に車を停め、「東山ハイキング?」と書かれた脇門から入って行く

道はそこそこ整備されて歩き易く、15分ほどで山頂(233m)

石田三成の居城・佐和山城跡、今は碑が建つだけで往時を偲ぶものは無い

三成も眺めただろうなと伊吹山を眺めていたら、物凄いスピードで新幹線が走り抜ける

此処から櫓や石垣を持って行ったという彦根城をズーム

いくら戦で負けたからといっても、お城の石垣まで持っていかれて、三成さんも可哀想だわ

大河ドラマ「天・地・人」以来、三成さんの人気は上昇中、結構訪ねて来る人もいるそうだ

今日も、カメラを担いだ滋賀放送の方々とすれ違った

長浜城が見え出した〜♪、が、お城側の駐車場は満車状態

少し離れた湖岸沿いに車を停めテクテクと、「帰りはタクシーにしようね」

戦国時代を駆け抜けた覇者・豊臣秀吉が長浜城を築き、城下に楽市楽座をしき長浜発展の礎となった

琵琶湖湖岸に開けた長浜は渡来の文化が入り込み、また北国街道沿いに続く古い街並みが残る

その一角にある「黒壁スクエア」、大河ドラマの影響もあってか、大勢の観光客で賑わっていた

丁度お昼の時間と重なり、名物「焼鯖ソーメン」のお店は行列状態

4月中旬には長浜曳山まつりが開催され、山車で華麗な「子供歌舞伎」が披露されるそうだ

此処まで来て信長さんに逢わずに帰るのもと、近江八幡市へ

天下統一に向けての拠点となった信長の居城・安土城

天守完成から僅か3年、本能寺の変で信長は自刃、その混乱の中安土城は焼失してしまう

標高199mに建つ天守跡を目指して、大手道をゆっくり上がって行く

当時は琵琶湖に囲まれ南方のみが開けていたが、現在は干拓により四方に畑が広がっている

本丸跡からひと登りで、天守跡に着く

背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西南北28m四方に整然と礎石が並ぶ

イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの記述に拠れば

この場所に五層七階・高さ33mもの壮大な天守が聳え、内部は豪壮な障壁画や装飾が施されていたそうだ

想像していたより狭い場所だったが、信長の夢が語られた場所に立ったと思うと感慨深い

旅の締め括りは、JRびわこ線の安土駅前に立つ織田信長像と対面

鳴かずんば殺してしまえ ほととぎす」と詠った人とは思えぬ穏やかな顔をしていた

平和な時代に生きたなら、どんな武将になっていたのだろう?

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