2011年03月26日  ”翠 波 峰”

玄関が登山口 「日本一の紙のまち」を見下ろす双耳峰

GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) 
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。」(承認番号 平18総使、第582号

 
自宅(8:00)〜(8:20)登山口〜(8:40)松尾城〜(10:00)アヤメ池(10:10)〜(10:30)翠波権現(1040)〜(10:45)翠波東峰
翠波西峰〜(11:25)翠波高原(11:50)〜(13:35)具定展望台(14:00)〜(14:25)登山口〜(15:15)自宅  (7時間15分)

 

宇摩平野の背後に屏風のような法皇山脈が横たわっている

古来この山脈を越え平野部と嶺南地区を結ぶ何本かの峠道を、多くの人や物資が行き交った

(注、四国中央市では法皇山脈の南側の銅山川流域を嶺南・れいなんと呼びます)

1960年(昭和35年)法皇トンネルが竣工し、それらの峠道は生活道としての役割を終える

今では登山者さえ滅多に歩かなくなった峠越えの道を辿り、法皇山脈中央に聳える翠波峰に登ります

8時  登山靴を履いて自宅を出発 ご近所の視線が少々気になります

8時10分 高速道路下  翠波ハイキングコースと、市指定史跡松尾城跡(鍋城)の看板がある

高速道路を潜り側道を右へ、直ぐ側道から分かれ急な車道を上る 振り返れば紙のまちが大きく開けてくる

自宅から20分で登山口、入口には松尾城の標識が立つ  此処から山道に入って行く 

水波○○○(昔は翠波じゃなくて水波だったらしい)と刻まれている標石

翠波あやめ池への道を逸れ、松尾城跡(右)へ向かう

8時40分 松尾城跡 10分ほど休憩

松尾城は真鍋大炊介通周(まなべおおいのすけみちかね)の山城

天正13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めに際し、小早川隆景の侵攻を受け落城した

城跡には水波神社が祀られている

登山道に引き返してもよいが 神社裏から尾根伝いに踏み跡があるので辿るとすぐに登山道に出会う

9時05分 二の鳥居 倒壊したままの鳥居に参拝道としての面影が残る

苔むした石畳の登山道  小高い所から行き交う人々を見守ってきた仏地蔵

この辺りから立ち枯れたヤマザクラの巨木が目立つ 人の声が絶えサクラもその役目を終えたのだろう

9時30分 中曽根道(左)への分岐

十丁石を過ぎた辺りで一瞬西(右)の展望が開ける このコース数少ない展望所

9時40分 クレ石(左)への分岐を過ぎると道はトラバース気味になり、まもなく唯一の水場を越える

登山道を塞ぐヤマザクラ  神が宿っていたかのようなヤマザクラの巨木並木が何かを語っているようだ

それにしても花姿を見てみたかった 昔この道を何度か歩いたグランパも記憶に無いらしい

前方が明るくなり、法皇山脈の尾根を走るスカイライン(全長19km)に飛び出す

10時 スカイラインを横切り、千間平(せんげんなる)のアヤメ池へ ここはノハナショウブの自生地 

池の周りはカヤだらけ カヤ育成中(保存民家補修)の立て札がある

峠道は千間平から金砂の方へ下って行くが 今はどうなっているのだろうか?

2本の大杉の間から登山道に入る ここから頂上まで標高差約200m

オウレンやコバイモが有りそうな植林の中の道を、何度か車道を横切り登って行く

まもなく4月が来ると言うのに気温が低い 霜柱が沢山出来ている

10時30分 文政6年建立の鳥居を潜り、石段を上って行くと切り立った崖に水波権現が鎮座する

水の神・水波能女命(みずはのめのみこと)が祀られ、旱の時に雨乞い踊りが踊られたとか

毎年7月中旬には、水の恵みに感謝する例大祭が催されている

製紙会社は水が命、石段の両側には立派な寄進石が並び立つ

昔も今も、宇摩地域と水との係わりが生活と共にあったことがうかがわれる

祠裏の大岩からは大展望が広がり、真下に金砂湖が光っている

慢性的な水不足を蒙っていた宇摩地域の人々の悲願だった柳瀬ダムが、1953年(昭和31年)に完成した

四国中央市民の一人として、ダム建設に尽力された先人に感謝

此処までくれば頂上は近い 小休止後、最後の急坂を頑張る

10時45分 翠波東峰 目の前には法皇山脈が東に真っ直ぐ延びている

その右には銅山川を挟んで幾重にも重なる山並み 塩塚峰、三嶺、遠く剣山まで見渡せる

翠波峰は双耳峰(そうじほうという言葉の響きがなんとなく好きです) 東峰の大岩よりもう一方の西峰を望む

西峰との鞍部手前に三角点(点名・水波山889.6m)

鞍部上の広場に、「法皇山脈の由来」を刻んだ碑が立っている 要約すると

「白河法皇が寺院を建てる際、献上した木材が大変立派だったので、その褒美に

木を切り出した宇摩郡の山々を法皇と名づけることを許された

また一説では 後白河法皇が、三十三間堂造営の時、誰もが祟りを畏れた神木を

見事な棟木に仕上げた関川の杣の平四郎に、宝刀と感状を与えた。平四郎はそれを郷里に持ち帰り、

天狗が住むという入らずの森に祠を建て法皇権現としてお祀りした」

余談ですが、「宇摩」という地名が四国中央市合併によって消滅したのは残念だけど

由緒ある「法皇」という山脈名はいつまでも残してほしい

広場で単独の女性がカメラを構え渡り鳥を待っている この辺りは渡り鳥の飛行コースらしい

近くにいる鳥さえ上手く撮れないのに、遠くを飛ぶ鳥を撮るなんて、ビックリ!

翠波西峰からは360度の大展望が広がる 西に豊受山や赤星山

燧灘に面した市街地や製紙工場群と遠くには讃岐の山々、すぐ東には先程ピークを踏んだ東峰

「双耳峰とは2つの顕著なピークを持つ山」をいうが、四国では野鹿池山(1294m)とこの翠波峰が思いつく

赤星山のむこうの二ツ岳が「私を差し置いてと」角を立てて怒っている

でも私的には、「双耳峰は2つのピークが吊尾根で結ばれている」という条件を加えたいがどうでしょう?

そんなこんなを思っていたら粉雪が舞い出した、どうりで寒い筈だわ

翠波高原第一花園まで下りて行って、お昼にしよう

大森山や佐々連尾山を眺めながら、遊具の中を下りて行く

公園整備をする前、乳牛の放牧場として利用されていた高原はアセビが満開

南面なので日溜りは少し暖かい、シャクナゲも沢山蕾をつけている

翠波高原は3ヘクタールほどの斜面に春は菜の花、晩夏はコスモスが咲き誇るがもう一つ

米国からの里帰り桜が裏メニュー 「ワシントン桜の園」が間もなくピンク色に染まってくる

11時25分 翠波高原第一花園 、あれ、黄色の絨毯は?

「今年は雪害のため菜の花まつりは中止」と書かれた看板が立つ、あらら

寒風に吹かれ、コスモス展望台も何やら寂しげに見える

11時50分 食事が済んで第一花園を抜け、車道を緩やかに登り返す

「みつまたの里」の大看板が立つ第三花園には植えられたばかりの三椏の苗

小さいながら花を咲かせている木もある、数年も経てば一面に三椏の花が咲き春の楽しみになるだろう

スカイラインを西へ下って、ヘヤピンを折り返した辺りで下山道を探す

鉄塔巡視路の広い道が下っている 「此処かな?」

「分れが早い様な気がする、もうちょっと西かもしれんで・・・」と、グランパが地図を見ている

取り敢えず下ってみることに・・・が、やっぱり間違い

 引き返し、再びスカイラインを鞍部まで進むと、うっと暗くちょっと頼りない入口らしきが有る

不安な道は上りに使え、といってもここまで来ればもう分け入るしかないわ

12時35分 テープ箇所から下って行くと、杉林の中に掘割の道がはっきりしてくる

この道も昔は具定と嶺南を結ぶ生活道路で、沢山の人々が行き来したのだろう

今では木々は倒れ、岩が転がり歩き難くなっている、一箇所、道が飛び判り難い所があったが

この道は尾根道 尾根を辿ればいつかは具定展望台に着く

まだまだ元気そうなヤマザクラの大木 満開の姿を見てみたいが、恐らく否絶対二度とこの道を歩く事は無いだろう

うっと暗い林を抜けると、車の音が聞こえ正面に燧灘が見え出した〜♪ ヤレヤレ

1時35分 車道(国道319号)に下り立ち、翠波峰方向を振り返る 中央の階段を下りて来た

具定展望台からは180度の大展望  燧灘に浮かぶ島々、拡翼の海岸線に広がる街や山々がまるで箱庭のようだ

ここから見る夜景は、横浜、神戸、函館、長崎などと肩を並べる「日本の夜景100選」に選定された

本当に素晴らしいですよ 皆さんぜひ暗闇の中から湾曲の夜景をお楽しみ下さい・・・ちょっとPRでした

あれ、三角点(346.7m)、ツツジの植え込みの中に三角点が有ったなんて大発見

2時 展望台から再び登山道を下る 急勾配だけど誰かが整備してくれているのか広くて歩き易い

2時25分 登山口、農作業をしていた方が「翠波からな、歩くば有ったろう」と労ってくれた

高速道路の側道を歩いた方がゴールは近いけれど、久し振りに住宅地を歩いてみようか

新しい道が抜け、田圃だった所に家々が建ち並び、随分変わっている

子供たちが通った小学校校歌を唄いながらのんびり歩き、3時15分玄関に帰って来た

翠波が窓から 呼んでいる 花と緑の まなびやで 

みんな みんな みんな はげみあい

なかよく学ぶ 明るい子 中曽根 中曽根小学校〜♪

松尾の城あと ひうちなだ ゆめがはばたく まなびやで

みんな みんな みんな たすけあい

世界にのびる みのりの子 中曽根 中曽根小学校〜♪

 

四季折々カラフルに装う翠波峰は、車だと玄関から20分程で頂上に立てる

今日初めて麓から歩いてみたが、標高差800m強はそれなりに歩き堪えがあった

分水嶺から海岸まで厚みが無い宇摩地方の人々の歴史は、天を仰ぐ歴史であり

我が家の一番身近な山は、翠波峰でなく水の神を祀る水波峰であることをあらためて認識した

今では歩く人もない静かな登山道からは、水を求めて水波権現にお参りした人々の祈りが聞こえてくるようです

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