2011年07月29日 ”「風の道」”

潮風に吹かれながら、中国自然歩道(多島美を展望するみち)を歩く

 

この週末は遠征を予定していたが、信州方面の予報は3日間ともすこぶる悪い

例年夏型安定の時期だけど、梅雨末期のような気圧配置が戻って来た

「おい、太平洋高気圧よ! もっとしっかりせい!」と、お天道様に文句を言ってもしかたがない

ということで今日はせめて海を渡り、ちょっと気になっていた「里の道」

中国自然歩道(多島美を展望するみち)に指定されているJR児島駅〜下津井〜鷲羽山を巡って来ます

 
JR児島駅(8:35)〜(8:50)下津井電鉄児島駅跡(9:00)〜(10:40)下津井駅跡〜(11:45)下津井城跡
(12:00)むかし下津井回船問屋(12:30)〜(13:15)鷲羽山レストハウス(13:30)〜(13:50)鷲羽山山頂
〜(14:10)鷲羽山駅跡〜(14:55)JR児島駅                       (6時間20分)

JR児島駅 8時35分出発 正面には倉敷百景・龍王山(209.5m)が聳えている

今日は曇るかと思っていたのに、見上げれば青空 ギラギラ輝く太陽が朝から容赦なく歩道に照りつける

8時50分 風神の社の壁画に迎えられて「風の道」の出発点・下津井電鉄児島駅跡に着く

中国自然歩道(多島美を展望するみち)11.4kmの内、平成2年廃線の下津井電鉄軌道敷跡

児島駅→(1100m)備前赤崎→(600m)阿津駅→(1200m)琴海駅→(900m)鷲羽山駅→(400m)東下津井駅→(2100m)下津井駅

約6,3kmが、歩行者・自転車専用道「風の道」(全国遊歩百選)として整備されている

駅構内は当時のまま、素敵な笑顔のボランティアガイドさんの話に拠ると

下津井駅跡に停めてある電車を、近々この構内に運んで来るとか

人気急上昇中の「風の道」、電動自転車の貸し出しもあるそうだ

9時 「気をつけて〜」と、ガイドの駅長さん?に見送られて、児島駅跡を出発〜

日差しは強いけれど、吹き抜ける風が心地良い

両サイドに迫る民家の花々が風に揺れる、こんなに家の近くを電車が走っていたなんて!

生活に密着した電車とは言え、かなりの騒音だっただろうな

真っ直ぐな遊歩道の先の大観覧車がドンドン近付いて来る

「倉敷市地区花いっぱい事業・阿津花の会」の方々が手入れされているのだろう

小さな可愛い花がたくさん植えられ快適な道 犬の散歩やウォーキング、ジョギングの人とすれ違う

9時15分 備前赤崎駅跡 所々で、軌道敷跡は道路を横切る

途中、ショップに立ち寄り水分補給、よく冷えたジュースが気持ち好い

9時30分 阿津駅跡  すぐ先の倉敷シティ病院辺りは青々と茂った桜の並木が続く、花の頃に歩いてみたい

9時45分 琴海駅跡 東側には瀬戸内海が広がるビューポイント、児島競艇場から賑やかに放送が聞こえて来る

駅の後ろは、瀬戸中央自動車道やJR瀬戸大橋線が走る

ベンチに腰掛けて潮風に吹かれたいが、あまりの日差しに陰を求めて先を急ぐ

10時 爽やかな潮風が吹き抜ける高架を潜ると鷲羽山駅跡に着く

此処から左へ行けば鷲羽山山頂はすぐ其処だけど、「風の道」の終点下津井駅跡まではまだ2.5kmもある 

鷲羽山駅跡を過ぎると、下津井瀬戸大橋や下津井の街並みが広がって来る

10時15分 東下津井駅跡 前方に見える小高い丘が、下津井城跡がある城山かな?

右上に、1971年開業、鷲羽山ハイランド(今はブラジリアンパーク鷲羽山ハイランドというそうだ)が見える

絶叫マシーン、大観覧車、バンジージャンプ等が人気で、高速道路休日上限1000円効果でかなり賑わったそうだ

子供たちと一緒に乗ったジェットコースターは、未だ動いているのかしら?

小学生の頃、丸亀からフェリーで下津井に渡り、鷲羽山ハイランドで遊んだのが懐かしい

風の道は下津井の港を目指し、大きく迂回しながらゆっくりと下って行く

10時40分 「風の道」終点・下津井駅跡

落書き電車「赤いクレパス号」や観光展望電車「メリ−ベル号」が停められている

往時の姿の電車を見ていると、今にも走り出しそうな錯覚にとらわれる

下津井駅跡の目の前が下津井港

江戸中期、金毘羅参りと瑜伽参りをセットにした「対参り」が流行り、下津井はその両方を繋ぐ港として繁盛した

その後、宇高連絡船が、今では瀬戸中央自動車道とJR瀬戸大橋線が本州と四国を結ぶ大動脈となっている

廃航路となったかつての丸亀行きフェリー岸壁辺りから下津井城があった城山を眺める

下津井城主・池田長政の菩提寺、円福寺 

昔の商家や町家が並ぶ中町は、岡山県の町並み保存地区に指定され、

なまこ壁や白い漆喰の壁、格子など昔の面影が所々に残っている

下津井といえば民謡「下津井節」 (またまた民謡です) 歌い手日本一を決める下津井節全国大会も開かれるとか

下津井港はヨー 入りよて出よてヨー  まともまきよて まぎりよてヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ 

下津井港にヨー 碇を入れりゃヨー  街の行燈の 灯がまねくヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ  

追いて吹こうとヨー 下津井入りゃヨー  ままよ浮名が 辰巳風ヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ    

船が着く着くヨー 下津井港ヨー  三十五丁艪の 御座船がヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ   

下津井よいとこヨー 一度はお出でヨー  春は鯛綱 秋は釣りヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ    

下津井女郎衆はヨー 碇か網かヨー  今朝も出船を 二艘止めたヨー  トコハイ トノエ ナノエ ソーレ ソレ   

下津井水道を吹きぬける潮風に揺れる干しタコの向こうで、北前船や参拝者を乗せた帆掛け舟が出入りする

そんな情景が目に浮かぶ 民謡はその地の人々の暮らしと心を唄う「ご当地ソング」

祖谷には山里で暮らす女性の哀愁が、下津井には港町の賑わいや男衆の心意気が唄われている

碑の近くには遊郭のばばが船のりに、「まだ(上がらん)かな・・・」と呼びかけた「まだかな橋跡」

祇園神社の海側からの参拝口の傍に、「釣りバカ日誌18」ロケ地の案内板が立っている

目の前は夏色の瀬戸内海 ひょっこりハマちゃんスーさんが、釣竿背負って現れそうな雰囲気だ

石段を登ると、11時10分 航海安全の神様が祀られた祇園神社  

下津井は歌人や小説家がたくさん訪れたのだろう、境内には、この地で詠まれた歌碑が建つ

北前船の船主が、海の守護神「下津井の祇園さま」に航海の安全を祈願して寄進した玉垣

その中に2つの本殿が建つ、東殿は長浜宮、西殿は祇園宮

祇園神社の山側参拝口傍の車道を上がる 振り返れば景色が段々大きくなるが 真夏の日差しが照りつけ兎に角暑い

11時45分 宇喜多氏(後に池田長政)の城砦があった標高89mの城山に、ひっそりと下津井城跡の碑が建っている

備讃瀬戸に面した下津井は古来、軍事、海運の要衝 此処に城を構え南に睨みをきかしたのも頷ける

石垣が残るだけだが、下津井城址公園として整備され今は桜の名所だそうだ

「鶴井戸・亀井戸」の案内板に誘われてちょっと寄り道 「下津井の共同井戸群」として市史跡に指定されている

井戸の近くに石祠を設けて水神を祀ってある 港町では水は貴重だ

御座船をはじめ朝鮮通信使の船列、北前船、金毘羅船もここの水を求めて寄港した

12時 町並みの真ん中辺りにある「むかし下津井回船問屋」で食事休憩

北前船の出入りで繁栄した回船問屋の母屋と蔵を出来るだけ当時に近い形で復元した観光交流の施設で

下津井の歴史、文化、観光情報、イベント、特産物の展示のほか、レストランもある

「ぜったい食べて帰らなきゃ、ずーと後悔してしまうかも」とのキャッチフレーズに乗せられて頂きました

勿論、下津井といえば先ずはタコ それからピチピチ海老の天ぷら 名に偽り無し、本場の味でした 

ニシン粕・かずのこ・昆布など北海道、奥羽、北陸の漁獲物・特産物を満載した北前船(500〜1500石)が

寄港する度、沸き立つような活気と賑わいを見せたそうだ

12時30分 「むかし下津井廻船問屋」を後にして、海を眺めながら県道を歩く

瀬戸大橋橋脚の港、田之浦漁港 千石船に代わって今では真上を列車や車が走り抜ける

金毘羅参詣の発着港の名残、木製の金毘羅灯篭が行き交う人々を見上げている

鷲羽山下電ホテル手前で県道と分かれ、登山道を登って行く 舗装路歩きだけではつまりません

1時15分 鷲羽山レストハウスに飛び込み「もう外に出たくない」と言いながら、冷たいジュースで喉を潤す

15分ほど涼んでから、遊歩道を歩いて山頂へ(第二展望台に下電のバス停、バスに乗って帰りた〜い)

遊歩道沿いのビューポイントに立つ碑・・・何々? 持って帰れるものなら持って帰ってみ

碧い海に延びる壮大な瀬戸大橋、島々が点在する多島美 ここからの夕日は「日本の夕日百選」に選ばれている

1時50分 鷲が羽を広げたように海に突き出る鷲羽山山頂「鐘秀峰(しょうしゅうほう)」(標高134m)

山頂からは大展望、大橋を辿れば讃岐富士、金毘羅さん 遠く矢筈山系や剣山系まで見える

「瀬戸内海の発見」西田正憲著(中公新書)に拠れば、瀬戸内海と呼ばれだしたのは明治初期だそうで

史蹟名勝天然記念物行政の推進者・脇水鉄五郎東大教授が

屋島と小豆島に備讃瀬戸の多島海景を加え、なお備後の鞆の浦まで延長した瀬戸内海国立公園を提案

島群の展望を主眼とする日本で唯一の臨海国立公園であり、その真価は高所より展望せねばならないと記す

昭和4年の夏、小さき島嶼(とうしょ)が碁石を散らしたように多数散布する「下津井鷲羽山の偉観」を発表

同時期、国立公園の父と讃えられる倉敷市出身の東大の林学博士・田村剛教授も

同様にこの地から眺める多島海景の素晴らしさを著している

化け物のような巨大橋が横たわる備讃瀬戸を眺めて、二人は何を思うだろうか?

山頂から、「風の道」鷲羽山駅を目指して下って行く

1300〜1500年前(古墳後期)のものとされる、横穴式の古墳群が点在する

東屋の真下を走る瀬戸中央自動車道はガラガラ

世紀の大事業・四国と本州を結ぶ夢の架け橋なのに・・・もっと走らなければ勿体無いわ

そんな事を思いながら下って来ると、程なく鷲羽山駅跡

2時10分 小休止後、「風の道」を歩き出す 琴海駅跡で「風の道」と別れ県道に下りる

児島競艇場や野崎浜灯明台を見ながら 2時55分 JR児島駅に帰って来た

 

架橋によって本州玄関口の地位を不動のものにした倉敷市児島地区

塩田王・野崎武左衛門が開いた野崎浜が、今では児島の中心市街地となっている

「塩」と「ジーンズ」で潤った市街地と半島先端を結ぶ下津井電鉄軌道敷跡地「風の道」を辿れば

箱庭のような瀬戸内海が光る名勝鷲羽山の麓に、古い町並みが残る下津井

大橋が無ければタイムスリップしそうな小さな港町に、爽やかな潮風に乗って歴史ロマンが漂っていた

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