2011年12月10日 ”経ヶ森(太山寺奥之院)”
「炭焼小五郎」「芭蕉」から「カンチ」まで、ロマン溢れる潮騒の道
GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用) |
太山寺(8:55)〜(9:25)経ヶ森(9:45)〜(10:10)松山観光港〜(10:35)高浜駅〜(11:10)梅津寺 |
(11:50)三津の渡し〜(12:20)三津駅(13:05)〜(13:40)太山寺 (4時間45分) |
(坂の上の雲 主題歌 Stand Alone)
小さな光が 歩んだ道を照らす 希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほど 人は強さを掴むから 夢を見る 凛として旅立つ 一朶の雲を目指し
2009年、2010年、2011年と3年間に亘って、全12回放送されるNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」
司馬遼太郎が、明治という時代に立ち向かった 若者の姿を10年の歳月をかけて書き上げた物語
壮大なスケールのドラマからは、時代のエネルギーが伝わって来る
ドラマも大詰め、12月4日放送の「旅順総攻撃(第10回)」に続いて、明日は「二〇三高地(第11回)」
今日は「坂の上の雲」の主人公・秋山好古、真之兄弟と、俳人・正岡子規が幼少期を過ごした松山を訪ね
標高203mの太山寺奥之院・経ヶ森(松山の「二〇三高地」)に登ります
(出発は、この先の駐車場からですが、順序として帰りに歩いた一の門、仁王門(二の門)から始めます)
四国霊場第五十二番札所・瀧雲山護持院 太山寺の一の門
一の門の奥に見える山は、目指す経ヶ森(203m)
「太山へ登れば汗の出でけれど 後の世思えば何の苦もなし」と
御詠歌に唄われる太山寺の伽藍は、瀧雲山(経ヶ森)の中腹に建つ
仁王門を潜る、駐車場へは右横の道を上がって行く
太山寺駐車場に車を停め、歩き出して5分ほどで山門(三の門)前に建つ芭蕉塚
碑石の肩書に「五十回忌,柳壟」芭門老人竹翁、また碑陰に寛保三亥年芭門連中建之と刻まれている
八九間 空へ雨ふる 柳かな (芭蕉)
十月の 中の二日や 柳つか (芭門老人竹翁)
豪壮な山門を潜ると、鎌倉時代嘉元3年(1305年)に建てられた本堂(国宝)が現れる
ご本尊の十一面観音像も、国の重要文化財に指定されており60年に一回開帳される
境内の一番奥、大師堂側にある身代わり観音の後ろが経ヶ森への登山口
大師堂の上から、大伽藍を見下ろす
境内の説明板に拠れば、今から1400年前、豊後の国(大分県)の炭焼小五郎が天皇より長者の号を頂き 名を真野長者と改めて難波に向かう途中、高浜沖で嵐に遭いました。一心に「南無観世音菩薩」と唱えると、 瀧雲山(経ヶ森)山頂から五色の後光が差し、程なく海が穏やかになり無事船を岸に寄せることが出来ました。 長者が山に登ってみると、草深い小さなお堂に十一面観音像が安置されておりました。ご利益を頂いたお礼に と本堂を建てることにし、直ぐに国に帰り、大工を集めて本堂の木取を船に積み豊後の臼杵から一晩で高浜に やって来ました。そして、山の中腹に一夜の内に建立したというので「一夜建立の御堂」と呼ばれました |
「ターナー島を守る会」が設置したミニ西国三十三ヶ所観音巡りの標識と石仏を見ながら
良く整備された登山道を進むと、登山口から10分ほどで分岐(写真右)
この分岐を左に、直ぐの分岐を又左にとり急坂を少し頑張れば、観音様が見守る経ヶ森頂上
「そこから、旅順港は見えるか?」 「見えま〜す」
奥之院・経ヶ森の標高は203m、真下には港 そう、此処が松山の二〇三高地
11日放送「坂の上の雲」の予告編で聞いた、高橋英樹扮する児玉源太郎の声が聞こえて来そうです
(翌11日に放送を見ましたが、あまりの悲惨な攻防に目を覆ってしまいました)
経ヶ森は低山ながらも360度の大展望、瀬戸の島々や天気が好ければ石鎚山も見えるのだが生憎雲の中
経ヶ森から分岐まで引き返し、遍路道を歩いて観光港まで下りて来ると児童公園があり
道を隔てた反対側に「太山寺高浜道の由来碑」が建つ
高浜トンネルの上を通る遍路道は、少し藪いているところもあったけど、まずまずの道
伊予鉄道終点・高浜駅 昭和初期に建てられた駅舎からは木と土壁の温もりが伝わってくる
道路を隔てて向かいは高浜港、興居島や勿那諸島行きのフェリー、高速船が出入りする
向かいの伊予の小富士を眺めながら、のんびり潮騒ウォークといきたいが
小雨混じりの強い風が吹きつけ、とても寒い
高浜沖に浮かぶ四十島 夏目漱石の「坊ちゃん」に登場するこの島は
ターナーの絵の様な松が生えている事から、ターナー島と愛称されている
梅津寺駅プラットホームに「東京ラブストーリー」ロケ地の看板
平成3年放送、鈴木保奈美が演ずるリカと織田裕二が演ずるカンチの恋の物語
最終回、リカが目印のハンカチを結んだ駅が梅津寺駅、今も括り付けられたハンカチが風に靡く
何処からとも無く、「カ〜ンチ」の甘い声が聞こえてきそう
「坂の上の雲」で活躍中の秋山好古、真之兄弟の銅像が、梅津寺駅近くの高台に建つ
「アニさん 海はアシに任せて下され」
二人が見つめるのは遥か彼方の奉天と日本海か?
興居嶋へ 魚舟いそぐ 吹雪哉 (子規)
「ジュンさん、生きて生きて生き抜いておくれ」 「なにゆうんじゃノボさん、がんばらなイカンぞね」
同級で友人だった竹馬の友、真之と子規の、会話が聞こえて来そうです
港山城跡、建武年間(1334〜1337)に河野通盛が海の守りに築城したと伝えられる
天正13年秀吉の四国征伐で落城し、今は石積み、井戸跡、郭跡が残るのみ
小林一茶句会の地「洗心庵跡」の碑を過ぎると あれ? 道が無い
此処が、有名な「三津の渡し」、手を振ったら、直ぐに対岸から迎えに来てくれた
応仁の乱の頃、河野通春が港山に築城した時から始まったと伝えられており
正式名称は、松山市道高浜二号線の一部(80m)
少々浪高し、沈んだらどうしよう泳げないのに・・・と、思う間もなく2,3分で対岸に
港山を振り返れば、三津の海を見守るように湊三嶋神社が建つ
三津浜レトロを代表する有形文化財の石崎汽船ビルは、今も現役
辻井戸、1635年(寛永12年)松平定行が桑名から松山に封ぜられた時、三津浜に御船手(水軍)400戸を配置した
この井戸は、御船手の専用水として掘られたが、廃藩後は北西地区住民の重要な生活用水として用いられた
数年前に新しくなった三津駅、昔も今も風情がある
楽しみにしていた「三津浜焼」は、広島風お好み焼きの元祖だとか
駅近くのお店・とみで頂いた(今風に言えば)B級ご当地グルメは、レトロ港町のソールが漂っていました
三津浜漁港の向こうに太山寺奥之院・経ヶ森が見える
頂上に立つ観音様が「そろそろ帰って来たら」と言っているようだ
途中から車道を逸れ、お遍路さんの白装束が映えそうなオレンジ色の道を歩く
雨上がりに色付く伊予柑、「い〜予感」
今日のきっかけは標高203mの山歩き、それだけでは物足りないと思い周りを歩いてみたら
古刹あり、ラブロマンスあり、レトロな雰囲気あり・・・・ あっ、それから勿論グルメありと盛り沢山でした
文学といで湯の街・松山といえば、なんとなく道後界隈に目が向くが
郊外に少し足を延ばせば、こんなに素晴らしい散策ポイントが転がっていた
天気晴朗ならずとも、また一つ松山の魅力発見の一日でした