2012年03月25日 石鎚三十六王子社

石鎚山・王子社参拝道を歩く 加茂川沿いを一の鳥居から第六王子社まで


GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)
この地図の作成にあたっては国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号


一の鳥居(7:45)〜光昌寺・森岡神社〜(8:00)横峰登山口〜(8:05)第一福王子社〜(8:27)七曲坂〜(9:25)第二桧王子社
(9:40)大保木小学校跡(10:05)〜(10:24)極楽寺〜(10:40)第三大保木王子社〜(10:53)第四鞘掛王子社〜(10:59)県道
(食事休憩15分)〜(11:45)細野分岐〜(12:20)第五細野王子社〜(12:34)第六子安場王子社〜(12:50)河口 (5時間05分)


西日本最高峰・石鎚山は、今ではロープウエイやスカイラインを利用すれば手軽に天狗岳(1982m)に立つことが出来る

しかし、役小角が開山した1300年余の昔からほんの最近まで、唯一の手段は勿論、西条或は小松から歩くことであった

深山に分け入り、気の遠くなるほど長い距離を歩く その際、心の拠り所となったのが王子社です

これまでに今宮道や御塔谷を歩いてみて、王子社は「道端で幟が靡くお地蔵さん」の感覚だったが

それでも何処か惹かれるロマンがあり、いずれは三十六王子社全てを巡ってみたいと思っていた

 今日は、石鎚神社発行の「石鎚山旧跡三十六王子社」とネット情報を参考に、黒瀬峠から河口まで歩いてみます



西条から国道194号線を走り、中野大橋手前で県道125号線(主要地方道西条久万線)に入る

黒瀬ダム湖の向こうに、これから歩く参道(現在は車道ですが・・・)が見え、

左奥には、理想の森創りに男のロマンをかけるくろもじさんの「風の森」が、朝日に輝いている

せとうちバス・横峰登山口停留所付近に車を停め歩き始める

傍には、「この世と浄土の境を守り、しあわせへ導くお地蔵様として信仰を集めた」長谷地蔵が祀られている

県道を少し引返し、掘割状の黒瀬峠を小松方面に少し下ると



石鎚神社一の鳥居                鳥居側に建つ記念碑

鳥居を潜って、さぁこれから石鎚山旧跡三十六王子社巡りに出発  

今日は第一福王子社から第六子安場王子社まで歩き、 河口(こうぐち)から路線バスで帰ってくる予定です

再度黒瀬峠を抜け、ちょっと寄り道



黒瀬ダムに水没した黒瀬集落から、昭和45年に移築された補陀落山光昌寺と森岡神社

黒瀬峠側の明るい高台から春の日差しを受け、仲良くダム湖を見下ろしている

黒瀬地区は、緩やかに蛇行する加茂川の両側に水田が広がり、風光明媚な桃源郷のようなところだったらしい



横峰登山口のバス停留所から県道と分かれ、右の市道に入る すぐ広い駐車場がある上野原

未だ時間も早いのに多くのマイカーが上ってゆく ここは四国八十八ヶ所霊場第六十番札所石鉄山横峰寺へ続く道

四国の春はお遍路さんの白装束とともにやってくる 霊場巡りも王子社巡りもその心は同じです

京屋旅館支店の前、車道を挟んだ所に、第一福王子社がある



石鎚山三十六王子社は、石鎚大神の「御子神」をそれぞれ御分社として御斎しているそうだ

各王子社にはそれぞれ、地蔵、石殿、石柱、奉納幟一対が祀られている

第一福王子社に参拝し、車道を進んで行く 要所には王子社参道を示す小さなプレートが貼られている



黒瀬ダム湖や、西条市指定天然記念物「上野原のうすぎもくせい」を見ながら、爽やかな空気の中足取りも軽い

相変わらずお遍路さんの車が側を抜けてゆく こんなに好い天気、そんなに急がなくてもと思わず声をかけたくなってくる

第一福王子社から20分程、車道が大きく右カーブする所が峠 参道は真っ直ぐ七曲坂へと続いている筈ですが・・・



下り口近くにある鉄鳥居 右横峰寺と書かれた道標の左が七曲坂の下り口

七曲坂は、西條誌に「坂の上は、黒瀬山と前大保木山との堺にて、上は黒瀬下は前大保木なり

七曲りといい来りたれども実は八曲がりあり」と記されている はたして七か八か? 確かめるべく下り始める

ネット情報ではかなり藪いているそうだが、想定していたより良い道

一曲がり目、二曲がり目・・・順調です 三曲がり目、枯れ木や竹が道を塞ぎだすがまだなんとか道が判る

四曲がり目、五曲がり目になると 羊歯、萱、棘のある木 ツル等が入り乱れて無茶苦茶な道(?)になってきた 夏場なら絶対撤退よ 

グランパが、「今日はぼろい恰好しとけよ」と言った意味が分かったわ 



それでもなんとか六回は曲がったけど、七曲り目で斜面が崩落している 高巻するにしても凄い藪

「お〜い、其処から一旦下へ下りて駆け上がって来い」 崩落個所の先に道の続きを見つけた先達から声がかかる

そんな事言っても、足がかりも無いのに・・・蔓や草を掴みターザンみたいに何とか着地

あとはもう適当に藪の薄い所を下り沢に出たので、八曲がり目があったかどうか定かでありません

標高差100m足らずを下りるのに30分もかかってしまったわ

一難去ってまた一難、柳ヶ谷には土橋が架かっていたそうだけど(西條誌の時代ですが)見渡しても橋は無い

沢を渡れず七曲り坂を引き返すことを考えたら熱が出そう どうにか川幅の狭い所を濡れながら飛び渡り無事通過



対岸に駆け上がり、暫く取り付きを探しながら上流に進むと、押し流されてきた石が道路にまで溢れている

橋どころか、アスファルトも砕けた道路脇に「平成16年災害 柳谷平野線 復旧」と書かれた看板が建つ

看板から少し引返し、さてこの辺りに取り付きが有る筈なんだけど・・・薄い踏み跡を見つけ登って行くとプレートを発見

道を塞いでいる枯れ竹を払いながら進むと、うっと暗い竹林の先が明るくなってきた ヤレヤレ




あ〜しんどかった 七曲坂下り口から40分かかって、やっと対岸の車道に飛び出した

七曲坂を下らずに車道を歩いて来ても同じくらいの時間だったかな? 一面の菜の花に囲まれ小休止

此処からは整然と積まれた石垣や、祠、水害の痕など見ながら車道を進んで行く



消防大保木分団の建物の前に 第二桧王子社

昔、左甚五郎が此処に突き立てた桧の杖が芽を出し、大木となったのでこの辺りは大桧と云い桧王子と唱えているそうだ 



桧王子社からは直ぐ、車道左の参道に入る 道が飛んだり、暴れた谷など少し歩き難い所があるがルートははっきりしている

車道から分かれ10分で立派な石垣が現れる 石段を上がれば大保木(おおふき)小学校跡

西条市指定天然記念物「大保木小学校のソメイヨシノ」に迎えられ、立派な校門を潜る



昭和63年3月に閉校した小学校の校庭で、大桜が静かに春を待っている

校庭で作業をしている年配の方に伺うと、「この桜は明治38年生まれの人が校長先生と一緒に植えたと聞いとるがなぁ

今年は寒かったから花見は次の次の週くらいじゃな 県道が出来るまではこの下の道を沢山の人が歩きよったんじゃが・・・」

裏山の竹藪の世話から、七曲坂のことなど色々お話を聞いているといつの間にか20分も経っていた

お礼を言って再び石段を下り、満開の桜の下で遊ぶ子供たちや参拝者の姿を想像しながら石畳の参道を歩く



県道に出てしまうんじゃないかと思う位下ってゆく 多くの参拝者を見つめてきた古木の根元には石仏が祀られていた

下り切った所で橋を渡り、ゆっくり登り返す



正面の鞍部は古道・前田峠、その右は二ノ岳 第三十六天狗嶽王子社は遥か彼方

気が遠くなる程の距離も一歩一歩、雰囲気の良いコンクリート道を進んで行く

コンクリート道の先には菜の花と満開した紅白の梅林 甘い香りが極楽気分にさせるなぁと思っていたら、なるほどここは極楽寺



 ご本尊に阿弥陀三尊と石鎚蔵王大権現が祀られている九品山極楽寺

天武天皇9年(680年)役小角に創建され、石鎚山信仰の根本道場として、1300年余の歴史を持つ

以前、県道から急傾斜の石段を一気に登った時は息が切れたけど、何と330段!

「県道まで下りて330段登り返して来ん?」とのグランパの提案は無視して、先へ進む

直ぐ車道終点、此処からは暫くコンクリートの細道を行く 最初と次の分岐は左へ



車道終点から6分で三度目の分岐 此処は右へ

植林の中を5分程で右側に第三大保木王子社 ここは東側は県道まで切れ落ちる断崖絶壁の上

のぞき王子とも称され、此処から少し下れば、中奥や千々野集落を覗く行場がある

前方から、「お山は三十六王子 ナンマイダンボ」という声が、谷風に乗って聞こえてきた様な気がする

霊峰石鎚へ登拝の時、先達が必ず唱える言葉だそうだ



真下で車の音がする ワイヤーのネットで防護された大岩の側の急坂を慎重に下りて行く 

傾斜がやや緩やかになった突き当りの分岐に、王子社を示すポールが立っている 右へ30m程下ると

見上げる大岩の基部に、第四鞘掛王子社



金網のフェンスを抜け、民家の間の階段を下り県道に出る 歩き始めて此処まで3時間15分

此処からまた暫く車道歩き 千野々橋を渡り大元神社へ



国常立尊(くにのとこたちのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が主祭神の大元神社に寄り道

治平堂への分岐で15分ほど食事休憩  譽田別尊(ほむだわけのみこと)が主祭神の古長河内神社で道草



西條誌に、「百足石」について、「細野在所の下の川中にあり 真に蜈蚣(ごしょう むかでの事)に似たり

近き頃、大水に砕かれて、その頭を落とす」とあるが 頭の無い百足の様な石は無いかと探しながら歩く

淀バス停を過ぎ細野集落分岐、左の車道に入る この辺りから空が怪しくなってくる



あらら、ポツリポツリと降り出したと思ったら、だんだん白く変わって行く

そういえば天気予報で所によっては雨または雪って言ってたな、今日こそ当たらなくても良いのに

細野集落分岐から15分 指標に従い、車道をショートカットする道に入る



再び車道に出て右へ進むと、すぐ王子社の指標が脇道へ導いて呉れる 此処から河口までもう車道歩きはありません

時代劇のセットの様な雰囲気の中、ひたすら次の第五細野王子社を目指す



うっと暗い植林の中、急斜面に付けられた参道は険しさを増し、修験の道の様相を呈してきた

大岩の下で、お地蔵さんがひっそりと手を合わせている 道が崩壊し高巻きしながらどんどん進む

この辺りに「せりわり」があるそうだけど、気が付かなかった 右真下に加茂川が見える



正面に、第五細野王子社が見えて来た

祠の中には頭だけの地蔵が祀られている 「この森には廻り四米位のガヤの木が茂り、椎の大木が数本ある」そうだが

廻りをゆっくり見ればよかったわ 天気も悪いし、写真だけ撮ってまるでスタンプラリーの気分だった

さぁ今日の予定最後の王子社に向けてルンルン・・・とはいきません 此処から最後の試練が待っている

昔は鎖がかかっていたらしい急崖をじぐざぐ慎重に下る 時折100mはあろうかと思うほどの岩壁が覗く



ガレ場を下り、大岩の側を抜け、植林の中を進むと、第六子安場王子社

この王子は元結掛(もつといかけ)王子とも、また細野覗とも云われているそうだ



王子社の後ろの岩場が覗きの行場 覗いてみる? こんな風に見えます

覗について、西條誌より 「山の張り出たる端に、大石横たわる その石の傍らより見下ろせば、千尋の谷なり

目眩きて身危うく、魂、飛て股慄う 擧ずべき枝なく、掌むべき蔦蔓もなし 見たき情と、恐ろしき意と、

相半ばして、一進一退ちゅうちょ頻りなり 故にここ行場となりて、遠国より来たりたる道者の内、度数重なりて

先達と称うる頭のもの、初登りのわかき道者を、縄にて縛り、この谷に釣りさげ、これまでの隠悪を懺悔せしめ、

心を改め行いを新にせんと誓わしめ、しこうして後 引き上げて縛を釈くという 野人等の為には、手近き戒めなり」

古今東西、隠悪は人の世の常なのか? 昨今、電波に乗る諸悪を見れば行場が幾つあっても足りないくらいです

懺悔せよというより 大胆で露骨でしかし稚拙な悪に対しては、もうアホらしくてざんげの値打もない、と言いたい

「グランパ、何か懺悔することある?」 「無い」 「ほんまにほんま? ほんなら下りようか」

急崖の道は下り立つまで気が抜けない 気温は低いが真下から聞こえてくる爽やかな流れはもう春の音



ロープを頼りにガレを下り、最後は腕力をも頼って廃車道に下り立つ

今日はかなり厳しい所もあったが、第三十六天狗嶽王子社までの行程からみれば此処まではほんの序章なんだろう

参拝者は、川まで下り一息つき、汗を拭き、次の王子社を目指してゆく

「参詣の行者、この川にて髻(もとどり)を切り、水をあび、身を清潔にしてのち進む 故に垢離取川と名づく( 西條誌)」



素掘りのトンネルを二つ抜けて県道に出た 三碧橋を渡り12時50分河口着

バス停のベンチに腰掛け、ロープウエイ架設前は賑わっただろう旅館街の中で暫し懐古に浸る

石鎚山といえば、今では屹立する天狗岳や鎖を駆け上がる御神像の姿を想像するが、それらはほんの一面に過ぎない

本社から王子道を辿り、三日をかけ天狗岳に立った時、名実ともに西日本一の山を実感するのだろう

今日の予定は此処まで でも時間があれば今宮道を少し登ってみようかとは思っていたが・・・そうなんです、時間は十分あるんです
 
バスの発車は15時25分 まだ2時間半もある さてどないしようか?



第七四手坂黒川王子社、第八黒川王子社を経て第三十六天狗嶽王子社へと続く道

今宮道の王子社は、第七、第八王子社の上辺りからは登山道から分かれて尾根にあるらしい

せめてその辺りの雰囲気でもと思うが、いずれ成就社まで歩くことを考えれば中途半端になる 次にしよう

三碧峡を覗き込んだり、近くの横峰寺別院にお参りして時間を潰すがまだまだ時間はある

歩いて帰るほうが早いよ、ということでお馴染み久し振りのテクテク車道歩き

絶壁をくり貫いて車道がつけられている 参道はこの上 こんな所によぉ車道や参道が作られたものだわ

車道沿いに花でも無いかなときょろきょろしながら歩いていると、後に車が停まった

あれぇー こんなことってあるんですねぇ Kさん有難うございました





王子社参拝道を歩くなら石鎚神社本社から ということで登拝口を覗いてきました

三の鎖を掛け替えた際に下ろされた旧鎖が、今も参拝者の手を支えている

祖霊殿横の鳥居の前に立ち、此処が天狗岳への第一歩だと思うと気が引き締まる

古より何千、何万もの人が歩いた一の鳥居へと続くこの道は、今はどうなっているのだろう? 気になる〜



参考文献 「石鎚山 旧跡三十六王子社」 十亀和作 著

     「西條誌 注釈」 日野和煦、矢野益冶 著

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