5月に入り、緑の風が爽やかな季節を運んできた来た こんな時は美味しい空気の中でのんびり山歩きが一番
・・・・・・と思っていたところ、「大山 イッキするか?」 何時かは言い出すと思っていたその言葉
「佐陀川源流を尋ねて、海抜0メートルから弥山まで」、勿論二つ返事で、「やろや」(お互いアホやなぁ)
ところが間際の天気予報は、寒気が入り午後から大気が不安定、弥山頂上はいくら頑張っても午後になる
空を気にしながらの山歩きは楽しさも半減ということで、今回は佐陀川の流れとともに下る事にした
残雪の中でフィトンチッドを全身に浴びながら弥山を往復し、大山道の一つ尾高道を歩き河口へ向かいます
「尾高道は、概ね県道24号米子大山線(大山道路)に相当する」らしいが、車道歩きだけではつまらないので
少し距離は長くはなるが、24号線にほぼ並走する「中国自然歩道」を歩きます
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2時に起き、2時半高速に乗る GWもそろそろ終盤 早朝にも関わらずどのPA・SAも多くの車が停まっている
5時前に博労座第4駐車場に着く 南光河原駐車場は既にほぼ満車状態だったが、此処は未だガラガラ
八合目位から上は薄雲がかかっているけど、あんなへなちょこ雲吹き飛ばしてみせるわと意気込み、歩き始める
5時30分 何時もの「夏山登山口」から登山道に入る 三合目辺りからブナ林に朝日が差し込んで来て
芽吹いたばかりのブナ葉の柔らかい緑に黄色が重なり、なんともいえない色合い
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六合目避難小屋辺りは未だ残雪がある 元谷方面を覗き込めば、残雪の中でブナの新緑前線が駆け上がっている
八合目を過ぎ、ダイセンキャラボク群落の中の木道脇には未だ厚い雪が残っている
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7時25分 歩き始めて2時間10分、冷たい風が吹き抜ける弥山頂上 周りは真っ白、何にも見えません
今日は頂上に立つことだけが目的では無いと言っても、これじゃぁなんとも物足りない
「お天道様何とかして!」 見上げると、雲の流れが速くなり晴れる予感がする
もう少し待ってみようか 20分あまり辛抱していたら、時折薄日が差し出した
瞬く間に最後の雲が退き、主稜線が見えて来た やっぱり剣ガ峰を拝まなくっちゃ大山に登った甲斐が無いよね〜♪
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微かなブロッケンまで、お土産に付きました 写真ではちょっと見え難いですが
すっきり青空です 入れ違いに下りて行った方が、息せき切って引返して来た
満面笑みを浮かべながら、九合目で晴れ出したと・・・「良かったですね〜」
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今日の目的地、米子市を見下ろしながら下山開始 そんなに遠くないような気がしたけど・・・
雪洞(ぼんぼり)の様に淡いピンクが点在する元谷を見下ろしながら、エゾヤマザクラに期待が膨らむ
逆光気味で分かり難いが、ブナの新緑に彩られた宝珠尾根の向こうに三鈷峰
すり鉢状の斜面の雪解け水を集める佐陀川は、上流部では伏流し、中下流部で支流を合わせ美保湾に流れ込んでいる
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夏山登山道と別れ行者コースへ 分岐付近は、未だ芽吹き待ちの状態だけど
1100m位まで下りて来ると、パステルカラーの森が広がって来る
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元谷に下り立つと、祖父母に連れられた子どもが雪遊びに興じていた
何とも贅沢な空間!楽しそうにはしゃぐ声が雪渓に木霊する
ちょっと元谷を遡って散策〜
新緑に縁どられた河原で、エゾヤマザクラが短い春を謳歌するかのように北壁を見上げている
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今年は雪解けが遅かったらしく、楽しみにしていたサンカヨウはやっと葉っぱが出たばかり
9時50分 大神山神社奥宮にお参り 境内に咲く濃いピンクの桜が心を和ませてくれる
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大山地蔵の最高傑作と謂われる江戸時代中期の吉持地蔵
石に刻まれたお地蔵様が参道をゆく人々を見守っている
参道から逸れ、角盤山・大山寺へ 何時の頃からか「ダイセン」と呼ばれるようになったらしいが
「セン」は呉音であり、七世紀に呉の国から伝わった読み方だとか、全国的には珍しいが、何故か中国地方に多い
賑わう大山寺集落を抜け、10時20分駐車場に帰って来た
何時もなら靴を脱いでやれやれと大山を見上げる所だけど、今日はこれからが本番
大山寺へ向かう道は、全て「大山道」 その昔、村里を過ぎ、乢(たわ)を越え、谷筋、尾根筋を歩き
博労が牛馬とともに歩いた道、また寺社に詣でた信仰の道、そして修験者や廻国行者達が遍歴した道であった
美作、備前、備中、備後、出雲、因幡の各方面へ続く道は
それぞれの地名をとって「川床道」「坊領道」「尾高道」「溝口道」「横手道」と呼ばれていた
昭和12年まで、此処博労座で開かれていた市は日本三大牛馬市だったとか 道々、賑やかな歌が聞こえていた事だろう
博労さんならここらが勝負 花の大山博労座 ♪
西の番所は 備前か備中 東の番所は 但馬の牛か 中は 出雲か伯耆のくにか
隠岐の国から牛積んだ 船は淀江の浜に着く ♪ さて、今日は尾高道を歩いて米子市内の大神山神社、佐陀川河口を目指そう
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博労座第4駐車場を出発して直ぐ、車道の傍らに苔むした一丁地蔵
大山参詣の里程標として各参道の一丁ごとに安置され、尾高道には赤松まで約5kmの間に51体並んでいたらしい
直ぐ横の車道分岐に「従是右みくりやい奈ば 左よなごい津も道」と刻まれた道標と奥に別れ地蔵が建つ
((みくりやい奈ば→御来屋因幡※ よなごい津も→米子出雲)
※北の海岸に御来屋というJRの駅があり中間に坊領という集落がある大山道のうち坊領道を指している
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分岐を左に取れば尾高道、一丁地蔵や地蔵松を見ながら下るのも趣があるが、ずーと車道歩きも物足りない
少し遠回りになるけれど、右の坊領道をゆき道標に従って中国自然歩道に入る 先ずは赤松池を目指す
中国自然歩道は、博労座から赤松池を通り、尾高の大神山神社へと続く
そのうち博労座から赤松池まで8kmは、「自然学習のみち」と愛称されている
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コナラ、ミズナラ、カラマツ、アカマツなど、自然林の中の快適な遊歩道をゆっくり下って行く
明るい道端では、エンレイソウやミヤマカタバミが賑々しい
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至る所にイカリソウ フウロケマン
あちらこちらで群落をつくっているチゴユリも咲き出したら、足が止まってしまいそう
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車道脇に咲いている白い花は?あら、イチリンソウ♪ 風に揺れるウマノアシガタの向こうは鍋山(608m)
県立大山青年の家を過ぎた辺りで、振り返れば大山が見える 薄雲が出て来たけど、河口付近から望めるかな?
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明間から赤松池への道は、落石の為車両通行止 車を気にせずのんびり下っていたら
ゆっくり道路を横切る蛇が2匹、おまけに木の枝で昼寝中?の青大将まで! どうしてこんなに多いの!
池が近くなるといい匂い、そういえば丁度お昼時 数組の家族連れがバーベキューを楽しんでいる
横でパンを齧るのも味気ないので、ベンチに腰掛け水分補給しながら小休止
赤松池の伝説 昔、松江藩の家老・松浦瀬母が、赤松池大明神に子供を授けて欲しいとお参りしたところ、待望の女の子が誕生
初と名付けられ美しく育ったお娘を藩主松平候が見初め、妻にと望まれる
困った初は、お城へ召される前に私が生まれるように祈ってくれた赤松池大明神へせめてお参りしたいと頼みました
お初が赤松池の水で髪をすくと、みるみるうちに伸びた髪が、池の中心へと導き、そして、とうとう姿を消してしまいました
驚いた供の者が、お初に出てくるように頼むと、なんとお初は腹から下を蛇の姿に変えて現れ
「私は、この池にすむ大蛇です。 子を願う頼母をあわれに思い人間の姿に変えていたのですが今もとの姿に変わる時がきました
長い間育てていただきありがとうございました。これから先、私に祈りをささげる人には、かならず幸福を与えましょう」
といい残し、水中深く沈み二度と姿を現わしませんでしたそれから、長い日照りが続くと百姓達は樽酒を供えて赤松池の竜神様に雨乞いし、池の水を樽に詰めて持ち帰ったという事です やっぱり、大蛇伝説の池だったんだ
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振り返れば大山も、随分遠くなった あの頂上から歩いて来たんだと思うと足を褒めてやりたい気分です
頂上付近に厚い雲はかかってないし、どうやら天気の崩れは無いようだ
道は緩やかに下っているが、逆コースを取れば果して弥山まで辿り着くことが出来たかどうか?
博労座までの標高差750mが、ボディーブローのようにじわじわ効いてくるだろうな
精進川に架かる赤い橋を潜り尚も直進、水が入った田圃の側の真っ直ぐな一本道を歩く 一の谷分岐を過ぎた辺りで小休止
所々で、道端に車を停め茂みに入って山菜を採っている人が見える 「こんにちは〜」
池面に写る逆さ大山で有名な米子百景・岡成池へ寄り道 生憎風が強くてさざ波が立ちおまけに大山も舫っている
米子市指定史跡・尾高城跡を尋ねたが、標柱が立つのみでその面影は見当たらない
説明板に拠ると、室町時代に山名氏の一族・行松氏が築城、堀と土塁に囲まれた本丸等を供える西伯耆の代表的な中世城館
戦国時代に毛利氏家臣杉原盛重が整備し、伯耆の拠点として毛利と尼子の戦場になったそうだ
新しい車道の左右に盛り上がりが残っているけれど、郭のど真ん中を道が抜けたのだろうか?
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米子市尾高に建つ大神山神社は、格式高い古代の官立の神社
大山寺の大智明権現は、明治の神仏分離の結果大神山神社の奥宮と定められたそうだ
長い舗装路歩きで足裏が熱くなって来た 神社前の公園で靴を脱いで暫く休憩
さて、此処からどうしよう? 初志貫徹で佐陀川河口まで歩こうか
河口まで行っても、バスに乗るためJR伯耆大山駅まで帰ることを考えたら・・・自ずと足は駅に向かう
佐陀川に架かる尾高橋を渡り米子道を潜ればゴールまで後少しと、足取りも軽くなる
さて「伯耆大山駅北口」のバス停は何処だ? 北口だから駅の北側だろうと国道9号線に出て西へ
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行けども、行けども見つからない 北と南の連絡路はあるだろうと大回りしてやっと駅(南口)に到着
ところが、「この駅に北口はありません」と、駅員さん
「伯耆大山駅北口バス停への案内図」と書かれたチラシを手渡しながら説明してくれたのは、今歩いて来た道
(チラシまで用意しているという事は、尋ねる人が多いんだろう) トボトボと引返す足の重かったこと
縁石に腰掛けて30分程待ち、17時08分発大山寺行きのバスに乗車
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17時44分 大山寺に帰って来た 「ご苦労さん」と微笑んでいるお山を見上げて「ただいま〜」
遥か彼方を眺めれば、中海が輝いている ふと、志賀直哉の「暗夜航路」の一節を思い出す
「中の海の大根島にも陽が当り、それが赤えいを伏せたように平たく、大きく見えて来た」
「とっても、綺麗〜」 充実感に浸りながら、暫し眺めていた
今日前半の、緑色の空気を思う存分吸っての弥山往復は期待通り
後半の博労座からの大山道は殆ど車道歩き、古の雰囲気を味わうには少し物足りなかったが
大山裾野は今や西日本有数のリゾート地 古道が立派な車道に変わってしまったのは仕方がない
偉大な大山の存在感は何時までも変わらないだろうが
もはや、大山はレトロが似合わないほどモダンな山になってしまったと言えるかもしれない
歩いた道 ホーム