2012年07月14日 ”紀州路・那智の火祭り”



徳島港(5:40)〜(7:50)和歌山港〜(12:15)大門坂熊野那智大社・火祭り〜(16:00)大門坂潮岬灯台〜(17:30)紀伊大島民宿泊
島内散策・民宿発(8:10)〜(10:30)白浜千畳敷〜牟婁の温〜(13:00)切目王子神社〜(14:20)和歌山城〜(16:00)和歌山港(16:30出港)


今年は、三連休初日が「那智の火祭」 これ以上の無いタイミング

お天気を気にしながら、この機会を逃してはと思い切って行って来ました

紀州路に夏本番を告げる勇壮な祭り、大感動でした!!



和歌山港を出て3時間余り、南紀海岸を楽しみながら車を走らせていると

ウワー、洋上アルプス! 潮が引いた浜辺に御塔石(天柱石)みたいな岩塔が幾つも並んでいる!

海岸に現れた不思議な光景は、串本を代表する国の名勝、天然記念物に指定されている「橋杭岩」

その昔、弘法大師が紀州行脚の際この地に立ち寄り、向かいの大島へ渡ろうと天邪鬼に手伝わせて朝までに橋を架けようとしたが

くたびれた天邪鬼が鶏を真似て鳴いたので、大師も朝が来たと思って中止、その橋杭だけが残ったと伝えられている

登山姿のグループが散策中 背後の海が見えなければ、山頂に立っているような錯覚に陥りそうだ



和歌山港を出発して4時間余り、やっと大門坂駐車場に到着

大滝までシャトルバスが出ているけれど、此処まで来て熊野古道を歩かないのも勿体ない

大門坂茶屋側に聳える夫婦杉(樹齢800年)を潜り、往時の雰囲気を味わいながら石畳を上ってゆく



傍らに、熊野古道・中辺路の最後の王子「多富気王子跡」の石碑がひっそりと建つ

説明板には、樹叢や峠の神仏に手向けをした場所で、それがいつしか「王子」と呼ばれるようになったと記されている

江戸時代に建っていた社殿は明治十年に熊野那智大社に移されたそうだ



苔むした石段はそうでなくても歩き難いのに、昨夜来の雨で濡れていて滑りそう

大門坂茶屋から30分程で上の駐車場



表参道の石段・473段を頑張れば熊野那智大社、熊野の神々が祀られている

社殿前に十二体の扇神輿と大松明が並べられ、扇神輿渡御祭、「伏拝み扇立て神事」が執り行われていた

本殿から、厳かに奏上される祝詞が聞こえてくる 手を清め口を漱いでいると、爽やかな風が吹き抜け汗がスッーと引いていく



例大祭の行事案内  大祭のクライマックス・御火行事より那智の火祭りとして有名

例大祭は、毎年7月14日なので土、日とは限らない

以前計画した時は折悪しく台風接近、延期になるのかなと社務所に問い合わたところ

「神事ですので晴雨に関わらず台風でも行います」との返事だったけど、フェリーが欠航となり断念

その時、嵐の中の火祭りをTV中継で見てから、早いもので、あっという間に5年が経った




那智大社に祀られている十二体の熊野権現が、年に1度、扇神輿に乗って本殿から那智の滝へ里帰りする神事です


大松明を担いだ氏子、扇神輿を担いだ扇指し、宮司、神官、信者の順に参道を滝に向かって下って行く



行列の邪魔にならないよう、青岸渡寺廻りで行列より先に滝に向かう

三重の塔と滝、絵になるわ〜



那智の滝は、熊野那智大社の別宮・飛瀧神社のご神体、役行者が山岳修行の第一霊場としたそうだ

高さ133m、幅13m、滝壺の深さ10mという壮大な大滝が流れ落ちている



観衆が例大祭のクライマックスを今か今かと待ち受ける中

大松明に先立って、二本の小松明が133段の石段を走るとあちらこちらでざわめきが起こる

これは扇神輿を迎えるために放たれる矢で、一の矢、二の矢、三の矢と三度放たれ

いよいよ日本三大火祭りのひとつ「那智の火祭り」が始まります

あっ、大火が見えた! 薄暗い杉木立の中が一瞬にして明るくなり、歓声が湧き上る



白装束に烏帽子姿の氏子らが、重さ50〜60キロの大松明を担ぎ、参道を練りながら御神輿を先導

それにしても熱い!担ぎ手は水をかけて貰ってるけど、あんな頼りなさそうな柄杓の水で大丈夫かしらん?

大松明が側を走り抜けただけで、焼け付きそうな熱さなのに!



御滝本斎場に、十二体の扇神輿が勢揃い

 神饌を捧げて祈念する「御滝本大前の儀・扇褒式」が行われる

大滝周辺には大岩がごろごろ転がり、昨年の台風の爪痕が生々しい

そういえば、国道42号を左折し那智川の復旧工事を見ながら大門坂を目指したが、その酷さに驚いた

火祭りが終わると、潮が引くように観客は那智大社へと流れてゆく

興奮冷めやらぬまま大門坂を下り、一路串本を目指す



「トルコ友好の町」の横断幕のかかるJR紀勢本線・串本駅

「何故、トルコなの?」 この謎は、今夜の宿・紀伊大島に隠されていた



本州最南端潮岬に白亜の潮岬灯台が立つ、1863年に設置され今も活躍している

台風の時、打ち寄せる白波とともにテレビでお馴染みの光景



串本と紀伊大島の間に浮かぶ苗我島を中継点に、290mの大橋と386mのループ橋が架かる

真っ白な「くしもと大橋」と、青い海が対照的でとっても綺麗!



大島水谷かかりし船は おゆき見たさに潮がかり〜♪と、串本節に唄われるおゆきさん

今夜の宿は、蓮生寺近くの「民宿 木本」さん  「お世話になります」

天気予報を見ながら前日に急遽決定したものだから、新宮、白浜などのホテルや旅館をネット検索したけど全て満室

そりゃーそうだ、3連休の初日だもんと、諦め半分で電話したら運良くOK 女将さんの顔が女神に見えました

テーブルいっぱいに並べられた海の幸を肴にビールで乾杯  美味しくて、ちょっと食べ過ぎました


7月15日

昨夜は早くに休んだので目覚めは早い 朝食前に島内散策〜



島の東端で海の安全を守る樫野埼灯台(かしのざき)

日本で最古の石造灯台で、1870年(明治3)に点灯されて以来、熊野灘の航路を照らしている



トルコの偉大な英雄、ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像

初代大統領として祖国の改革を成し遂げ、建国の父として今なお国民から深い尊敬を受けている



トルコ軍艦遭難慰霊碑が建つ

1890年(明治23)、トルコ皇帝の特使を乗せて帰国途中だった軍艦エルトゥールル号が

樫野埼灯台沖の岩礁に乗り上げて遭難、大島住民の献身的な救助が行われたそうだ



トルコ記念館には、犠牲になった581人の遺品や、軍艦の模型が展示されている

串本駅で見た「トルコ友好の町」の横断幕の謎が解けました



1853年(嘉永6)、ペリーの浦賀来航より62年も早く2隻のアメリカ商船が樫野に来航し貿易を申し込んでいた事実が

様々な文献によって明らかにされたことを記念して建てられた「日米修好記念館」



日米修好記念館より椿の木が生い茂る遊歩道を数分歩けは、鷹ノ巣展望所

対岸に樫野崎灯台が見え、断崖絶壁の海に大小様々な奇岩が並ぶ

朝鮮半島随一の景勝地・金剛に因んで「海金剛」と呼ばれている



大島港、水谷港に年間千数百隻の千石船が停泊した記録が残っているけど

古くより紀伊大島の玄関口として賑わっていたんだろう

美味しい朝食を頂き、女将さんの笑顔に送り出されて紀伊大島を後にする



熱帯の海が体感出来るという串本海中公園(開園は9時)

海中展望台から黒潮の海を覗きテーブルサンゴや熱帯魚を楽しめる 営業時間じゃないので未だ閑散としている

国道沿いに、熊野古道・「長井坂」への指標、この後も「仏坂」「富田坂」の指標がある

熊野古道大辺路(おおへち)ルートは、大阪から田辺までは中辺路(なかへち)と同じルートで

田辺からは海岸沿いに熊野那智大社や熊野速玉大社に行く路



白浜を代表する名勝・千畳敷

気の遠くなるような長い年月をかけて、砂岩が波に浸食されて出来た岩畳

千畳の畳を敷いたと名付けられた壮大な光景の中、散策している人も小さく見える



いいお湯でした〜

石碑に拠れば、奈良朝以前より「牟婁(むろ)の湯温(ゆ)」と呼ばれ、明治初期から

「崎の湯」「屋形湯」「阿波湯」「疝気湯」「元の湯」「浜の湯」「礦(まぶ)湯」は湯崎七湯として親しまれてきたそうだ

中でも、「崎の湯」は、太平洋の荒波が目の前に迫る豪快なロケーションだとか

ふる国の 磯のいで湯に たづさはり  夏の日の海に 落ちゆくを見つ   茂吉



3連休中、気温も一気に上がり大混雑の白浪浜海水浴場

何でも、ハワイ・ワイキキビーチと姉妹浜だそうだ



国の名勝・円月島、別名メガネ島とも呼ばれ白浜のシンボル



江津良海水浴場

真夏を思わせる空の色 来週あたり、そろそろ梅雨明けかな?

(17日、四国から関東にかけて梅雨明けでした)



南紀田辺ICで阪和自動車道に乗り、印南ICで下りて国道42号を少し引返すと

 熊野九十九王子の中でも格式高い五躰王子のひとつ「切目王子」

平安時代から行われていた熊野詣、法皇や上皇の御幸の行列は京から船で淀川を下り

大坂からは陸路で南下し田辺へ、田辺からは中辺路を経て本宮、熊野川を下り新宮、そして那智山へ

人々が平和の願いを込めて熊野三山を目指した信仰の路が熊野古道として今に残る

ルートの各所に、熊野の神の分社として祀られたのが九十九王子



大河ドラマ「平清盛」で、熊野参詣途時の清盛の元へ義朝挙兵の報が届いたのがこの地・切目王子

「ご存分に戦われませ」家貞の言葉に、京に取って返した清盛が勝利し平治の乱は終わる

余談ですが、人間力がドンドン増してゆく松山清盛、目が離せません



虎伏山に聳える紀州55万5千石の居城・和歌山城

白亜の天守閣が徳川御三家の威容に相応しい風格を醸し出している

初代藩主は、徳川家康の十男・頼宣で、吉宗(第5代藩主)、家茂(第13代藩主慶福)が、それぞれ第8代、第13代の征夷大将軍

紀州と言えば、作詞・西条八十、作曲・中山晋平の「毬と殿様」が懐かしい

てんてんてんまり てん手まりてんてん手まりの 手がそれて 

どこからどこまで  とんでった  垣根をこえて 屋根こえて

表の通りへとんでった とんでった〜♪



紀州は、7代藩主宗将の生母・永隆院(お作さん)が四国中央市出身と言う事で、縁が深い

西条藩主松平宗直が、 霊峰赤星山が見下ろす津根八日市を巡視された時、清水を差し出したのが 服部幸左衛門の娘「お作さん」

その立ち居振る舞いに感心された藩主は、孤児となっているお作の身の上を聞いて不憫に思い連れ帰る

紀州藩主・吉宗が8代将軍となったので、宗直が6代藩主として宗家紀州を継ぎ、お作が産んだ宗将が7代藩主となり

紀州松平公の母として皆に敬われた津根のシンデレラお作さん、ロマン湧き出る「お作泉」と共に語り継がれている

心地よい風が吹き抜ける天守閣からの眺めを存分に楽しみながら「お作さん」に想いを馳せ、紀州路の旅を締め括った


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