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奥白髪山から南を見ると(12月20日撮影)、端正な姿の山が目に飛び込んでくる
奥白髪山の前衛峰きびす山(1087.8m)です
「れいほくネイチャーハント」の山39座に載るこの山は、
平仮名の山名とその発音の響きが目と耳に残り、なんとなく気になっていた
ガイドブックには、比較的短時間で登れ、頂上からの展望が良いことと
もう一つ、近くに本山一揆にまつわる岩屋があると紹介されている
今日はきびす山の北山東コースを往復し、下山後に岩屋を見に行きます
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細野集会所を過ぎ三叉路(写真左) まずは左きびす山へ 狭い未舗装の林道に入る
暫く走ると、また三叉路 角にきびす山登山口→の案内が立つ
車で上がれそうだけど、広場に車を停め急傾斜の林道を歩き始める
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15分程でまた三叉路 「至本山3.8km 至白髪山5.6km」標識のすぐ後ろが登山口
植林の中の確りした道を歩く これから何度も林道に出会い、林道を串刺しして急傾斜を登って行く
林道へ出ると次の登山道の入口に案内が有るが、上の方では無くなり、 登山道も藪いてきて段々悪くなる
登山口から10分ちょっとで最初の林道出会い 頂上へ30分の標識(30分は厳しい 1時間ほどかかりました)がある
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3度目の林道出合いの手前辺りは、日当たりも良くジャングル状態 棘がゆく手を阻む
こんな痛い思いをするんだったら、林道を歩けば良かったかも
4度目の林道へ出る道も不明瞭、急斜面を強引に直登して何とかクリアー
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5度目の林道を横切り取り付いた植林帯は、転げ落ちそうな急坂 木に助けて貰いながら高度を上げてゆく
それにしても、こんな所によく木を植えられたものです
植林帯から飛び出し、暫く林道を歩いてゆくと頂上へと続く尾根に踏み跡がある
まともな?尾根道にホッとしたのも束の間、今度はスズタケがゆく手を阻む
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スズタケが薄くなった急斜面の植林帯を頑張る 姿が綺麗な山は傾斜がきつい
頂上手前で南に少し展望が開ける 樹間に見えるのは本山の街かな?
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スズタケを掻き分け、やっときびす山頂上(1087.8m) やれやれでした
頂上から先日登った奥白髪山が見えるかなと期待していたのに・・・
残念ながら、縦走路を暫く進んでみても木がうるさくて殆ど見えない(ガッカリ)
頂上へ引き返し、南に開ける早明浦ダムや嶺北の展望を楽しんでから下山
藪歩きはもうゴメンと、のんびり林道を歩き1時間弱で駐車地点に帰り着いた
下山後、細野集落からきびす山を見上げる(左端の可愛い三角ピーク)
ところで、この山の姿は踵(かかと)に似ている訳では無い あまりに急傾斜の山で
踵を返す(引返す)ほどだから「きびす山」って名前がついたのかな?
確かに、歩く時間は短かったが、急坂と藪でもう止めようかと思うほどきびしい山でした
えっ? きびしい? そうか 「きびすぃーい山」が由来ということにでもしておきましょう
滝山の岩屋
さて、今日の目的はもう一つ
長宗我部遺臣による、山内に対する最後の武力抵抗である本山一揆(滝山一揆ともいう)の舞台となった滝山を尋ねる
駐車地点
(12:05)〜(12:20)山の神・富光様
〜(12:50)滝山岩屋
〜中段滝・下の滝〜(13:40)駐車地点
(1時間45分)
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細野集会所に建つ本山一揆史跡案内図と殉難之碑
殉難之碑前に記された本山一揆の謂には
「慶長7年本山の新領主山内行部の圧政に怒った北山及び周辺の百姓百余人が、
高石左馬之助を首領として蜂起し、滝山の天険に拠った・・・・・
山岳の民が支配者の凶圧に屈せず死中に活を求めて一揆に蹶起した壮烈な気概を
人々は感動をこめて代代語り伝えた」と刻まれている
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林道を引き返した三叉路に、岩屋まで1580mの表示がある 町道を直進して路肩に駐車
滝山入口の案内板に導かれて林道を歩いてゆく
15分程で林道終点の広場 林道の状態が判らなかったので歩いたが、車で入れます
広場のすぐ前には「一揆ゆかりの富光様」と書かれた標柱が立っている
その下に岩屋まで630m エェー? ここから630mも歩くの? 手ぶらで来たんだけど・・・・
(後からガイドブックを見たら、林道終点から岩屋まで約45分と書いていました)
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標柱の後ろの鳥居を潜れば、大岩と大杉に護られるように山の神・富光様が祀られる祠が鎮座する
「滝山」というピークがあるのか? あるいは岩屋がある辺りが滝山なのか?
よく分からないけれど、とにかく指示に従って歩き始める
「下の滝」や「中段滝」の案内があるが、帰りに寄ります
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距離630mはしかたがないとしても、なによこの急傾斜の荒れた道 登山靴を履いてくればよかったわ
苔むした石に落葉が積り滑りやすい谷沿いの道を上がって行く
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岩屋(右)と、展望台(直進280m)との分岐
本山一揆史跡案内図に拠れば、展望台よりまだ奥に左馬之助の妻の墓や左馬之助の弟吉之助の墓があるそうですが
今日は展望台方向はパスし岩屋のみ 一揆ゆかりの地全てを巡るにはこんな構えでは心もとない
相変わらず険しい道が続くけれど、仕方がない 簡単に辿り着ける場所だったら敵に見つかってしまうもの
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「岩屋へ150m 谷を渡って下さい」の指示に従い
靴を濡らしながら谷を渡り、急斜面の薄い踏み跡を登ってゆけば岩屋が見えて来た
あと一息の所で、苔むした木が2本通せんぼするように倒れている
迂回も出来そうにないし、何とか乗り越えて岩屋の前に出ると 「史跡 岩屋」と書かれた標柱が立つ
蜂起した農民たちが最後の砦として立て籠もった岩屋だ
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見上げれば、圧倒される巨大な岩が覆いかぶさってくる
これぞまさしく奥山の天険、自然の要害と言うに相応しい
岩屋の前には本山一揆顕彰会に人たちが植えたのか、数本の三椏が花を咲かせる準備をしている
焼畑を業として暮らしていた農民が、鍬を持つ手に銃を持たなければならなかった事に想いを馳せる
世の中が大きく変わろうとする時は、何時も弱者にしわ寄せがくるけれど
TPPに反対して、一揆が起こらないか心配
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帰りに、登山道から少し逸れ滝見物 中段滝と下の滝は勢いよく水が落ちている
(中段滝は3段になっていて左の写真は最上段です 2、3段目は入口が判らなかったのでパス
下の滝は車道終点広場のすぐ近くです 落差20mほど、滝山大樽の滝というそうです)
「山内軍と一揆勢との死闘は月余に及び、一揆方の多くは斃れ残るは伊予の国に落ち
凄烈な戦いは終わる」(上記 本山一揆の謂)
あるHPに「首謀者・高石左馬之助は伊予寒川(四国中央市)に逃げ生き延びた
現在も寒川にはその子孫が暮しているとか?」と紹介されている
そういえば寒川には高石姓が多い 400余年前、土佐藩に立ち向かった本山の農民たちの気概を
我が郷土の人々が受け継いでいるのは興味深い
時は過ぎ、人々の伝聞が薄れるなか本山一揆の全てを見てきたきびす山が
その尖がり頭で雲を裂き、得意げに細野集落を見下ろしている
歩いた道 ホーム