2013年01月12日  ”妹背山”

四国さいはての百名山を目指し、風光明媚な島を訪ねる


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号


母島港(8:50)〜(9:25)沖ノ島小中学校〜(10:25)妹背山(10:55)〜(11:55)弘瀬港〜(13:00)沖ノ島灯台〜(14:05)弘瀬港
                                                                 (5時間15分)


「明日、沖ノ島行こうか?」 「沖ノ島? この時期、海は荒れてない?」

「大丈夫 明日の天気図ならべた凪 それに立春を過ぎると、南の島は春の陽気 他の心配が出てくるぞ」

黒潮洗う絶海の孤島・高知県の沖ノ島、磯釣りでは全国区のこの島になんと名山が聳えるという

「土佐国の南の沖に妹兄(いもせ)の島とてありとぞ人語りし・・・」と今昔物語に記されているからその歴史は古い

「妹背」・・・ロマンの響きに魅せられて、何時かはとは思いながら

なかなか思いたてなかったけれど、翌日はのんびり四万十市散策との言葉に釣られ

磯釣りの島へ、登山靴を履いて向かう事になりました



3時半自宅発 宇和島経由で、6時半宿毛市片島港に到着
 
此処沖ノ島への定期船が発着する片島港には、戦時中、日本軍の艦船が出入りし賑わったそうだ

その名残なのか、船着き場の隣に海上保安庁の巡視船が停泊

7時定刻に片島港を出港  日暮れ前、16時55分に片島港に帰ってくる予定です

今日は雲が多いけれど、海はべた凪  楽しみにしていたご来光は、薄っすら赤くなったものの残念ながら厚い雲の中

片島港を出港して50分で鵜来島  以前磯釣りに訪れた事のあるグランパは懐かしいのか、デッキに出てしばらく島を眺めている

鵜来島から20ノットで順調に沖の島を目指す



 沖ノ島・弘瀬港が見えて来た 

弘瀬港で釣り客を下ろし、 急斜面の山肌に連なる家々を見ながら母島港へ



8時35分母島港着 積んで来た消防自動車はクレーンで吊られて無事上陸

お世話になった定期船「すくも」は、直ぐ片島港に帰ります
 
地元の方が、「妹背山かね?ちょっと待ち寄って〜」と、マラソンルートやハイキングルートが書かれた地図を持って来られ

地図に記載されている見所を詳しく説明して下さった 「ありがとうございます」



母島と弘瀬にある案内板

先ず、景勝白岩岬を詠った吉井勇の歌碑を見てから、妹背山を目指します



教えて頂いた住宅の壁に「妹背山登山道へ→」が貼られている

集落を縫うように続く石段を上がりきったところで、年配の方に「おはようございます」と挨拶したら

真っ直ぐ行ったら妹背山の登山口・学校に出るから、猪に気を付けてと見送ってくれた



登山口のある学校を目指す前に、時間も十分あることだし秋祭りで賑わうと言う日吉神社へちょっと寄り道

昔、伊予宇和島領だった名残なのか、牛鬼と神輿が担ぎ出され勇猛な祭りが繰り広げられるそうだ

航行の安全と大漁を願って、お酒が振る舞われるのは勿論の事

日がすっかり暮れる頃には酔いも回り、みんなに見守られながら石段を帰ってゆくそうです

大漁旗が旗めく港を駆け回る牛鬼、見てみたい!

神社から引き返し、猪に掘り返された道を登りながら振り返れば、母島港の沖に姫島が浮かぶ

姫なんて可愛い名前が付いているんだけど、雲間から薄っすら日が差し鬼か蛇でも棲んでいそうな不気味さが漂っている



生活道から車道に出た所が沖の島小中学校の入口 左へ回り込んだ学校裏口に登山口がある

登山道に入り、樹間から 沖ノ島小中学校、沖に浮かぶ姫島を見ながら小休止



道は確りしている  ウバメガシ、ヤマモモ、他は・・・判りませんが、あまり見かけない南方系の木はアコウかな?

林道を横切り登山道をゆく 参道の石段跡なのか、所々に階段状の石積みが残っている



再び林道に出る 林道を左へ進むと分岐(左写真) ここは右へ

廃屋を右に見て進むと、山伏神社分岐



分岐から3分と表示していたが、1分もかからないうちに山伏神社

樹齢500年を超えるスダジイの巨木が神社を護っているかのようだ

分岐まで戻り緩やかに登って行くと、林道に出会う  弘瀬分岐を左に分けると直ぐ、目の前が開けてくる



刈り払われた頂上広場に木組みの展望台が建つ

見上げれば、先程までどんよりしていた空が真っ青になっている

早速、展望台に上がってぐるりを見渡す、写真(左)は南の弘瀬集落、その後ろに連なる沖ノ島灯台方面

展望台の下に妹背山三角点(403.8m)  ツワブキの黄色い花が可愛い〜

小さな砲台跡があるけれど、戦時中はこの周辺に海軍基地があったそうだから、その名残だろう

四国百名山さいはての山・妹背山頂上にいる感慨にふけりながら、ベンチに腰掛けのんびり食事



下山は弘瀬へ向かう 林道を引返せば、すぐに弘瀬分岐 指標に従って右の登山道に入ってゆく

なだらかな道を10分程進むと、仏が丘分岐  お参りして来よう



分岐から100mくらい入ってゆけば、西国三十三体、四国八十八体地蔵が祀られている仏が丘

分岐まで戻り少し下れば「ご先祖様」と呼ばれている、三浦家一族の墓

鎌倉時代、政敵北条氏に追われ三浦半島から沖ノ島に落ち延びたのが三浦家一族と伝えられる

初代から八代までは、此処仏が丘に住み、九代目が弘瀬の領主になったそうだ
 


分岐 左玉柄 右弘瀬

山伏神社の参道だったのだろうか? 石段らしきが残っているが、やや急な下りが続く



段々畑の石積みが残る道を下って行くと、大岩が現れる

目の前が一気に開けたところで猪避けのゲートを抜ければ、弘瀬集落

 

建物の間の狭い石段を下って行くと「妹背山」の指標

直ぐ下に弘瀬港が見える

 

弘瀬港を見下ろす場所に土佐伊豫国国境跡の石碑が建つ

藩政時代、北半分が伊予領(母島)、南半分が土佐領(弘瀬)と分けられ

周囲20km程の島なのに行き来も無く、 言葉も習慣も違う時代が長く続いたそうだ

港から灯台へ向かいながら海岸を見下ろせば、透き通るような青い海

浜は、打ち寄せられた玉石が敷き詰められている

 

白く切り立った断崖が母島と弘瀬を分ける景勝白岩岬

此処を訪れた歌人・吉井勇が詠んだ歌 (歌碑が母島港に建っている)

沖ノ島 なつかしければ 荒海も  ものかはと越す 旅人われは

沖ノ島灯台を目指していて道迷い?灯台まで車道が有る筈と思い

広く新しい舗装路をどんどん進んでいたら尾根の手前で道は途切れ、猪でも棲んでいそうな大藪!アララ

最初に取り付こうとして止めた藪道まで引返すと、先程は無かった軽トラが停まり地元の方が草刈りを始めていた

灯台へは単車で行くと教えてくれながら、去年草刈りをしていないので茂っているし、猪もよく出るよと心配顔

歩けなかったら引返しますと、12時半に仕切りなおしていざ出発

日当たりの良い所は茂っていたけれど、上へゆくほどまずまずの道になって来た

 

取り付きから30分弱で灯台着 もっと見晴らしが良いのかなと思っていたのに、周りは木々に囲まれて何にも見えず

引返すと草刈の方々が口々に「灯台まで行けたかね?」 「道はどうじゃった?」 「猪に会わんかった?」・・・ 

別れ際に「疲れたじゃろ、おミカン食べなされ」と、袋から出して手渡して下さった

甘いミカンに身体も心も元気いっぱい 「ありがとうございます」

地元の方が教えてくれた山ノ神神社、他にもあるそうだけど海ノ神でなく山ノ神なのが心に留まる



港近くまで下りて行くと石垣が高い 季節風が強いんだろうなぁ

弘瀬港より妹背山を望む 写真では見難いけれど、稜線の木々が刈り払われ少し窪んだ所が頂上です

船が出るまで1時間半 港を散策した後、待合所でのんびり寛いで待っていたら少し風が出て来た



3時35分 弘瀬港を出港 風が出て来た分、朝より少し波が高くて揺れたものの無事片島港に帰って来た

丁度、夕日がいい塩梅 ダルマ夕日が見られるかもしれないと急いで撮影ポイントへ移動

沢山の方が三脚を構える中、海面すれすれで雲の中に隠れ、ダルマさんにはならなかったけれど

沈む夕日を眺めながら、充実の一日を感謝した

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