2013年03月13日  ”中津山”

祖谷の入口に陣取る展望の山は、ガスに包まれていました


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号

駐車地点(8:50)〜(9:00)将軍神社〜((9:20)鳥居〜(10:15)〜(10:35)中津山頂上(11:00)
〜ブナ散策〜(11:25)〜(12:05)鳥居〜(12:30)駐車地点             (3時間40分)



「・・・烏帽子、中津は祖谷川の北なり・・・」剣山を主峰とする祖谷山系七山の一つとして「異本阿波志」に載る中津山

その美しい山容から中津富士とも呼ばれている

2月23日、その山頂で水を湛える「黄金の池」をみようと出かけたら

思わぬ雪に祖谷トンネルを抜けたところで除雪車2台がフル稼働、登山口まで行けず断念した

あれからひと月、大歩危の桜も咲き出したからもう雪は無いでしょうと祖谷を目指す



何時も、祖谷トンネルを抜けたら真っ先に眼に飛び込んで来る中津山 今日は、生憎ガスの中

県道45から分かれて、直ぐ左折  分岐を探しながら走ると、程なく右に別れる道があり

中津山登山口、将軍神社、さくら神社→と書かれた表示板が法面に付けられている

指標に従い市道を若宮谷川に沿って進み、かなり高度を稼ぐと民家が現れた 田ノ内集落だろうか 

傾斜の急な青い屋根が雪の多さを思わせる



畦に、「中津山登山口→ 登山関係の車両はここまで!これより上、駐車できない」と書かれた看板が立つ

直ぐ傍の家のお婆さんに断って、看板手前の広場に停めさせて貰う

「将軍神社から登ったら登山道に合流するよ」と、見送ってくれるお婆さんに「1時頃には下りて来ます」と言って出発



5分ほどで、行き止まりの広場 中津山登山口→の方へは進まず

未舗装の車道を直進すれば、将軍神社(よびごと案内人)と書かれた表示板が立つ

鳥居越しに見上げれば、歩幅の狭い石積みの急な参道が続く

積もった杉の枯れ枝や落ち葉が、昨日の雨で湿っているので滑りそう

聞き慣れない「よびごと」という素敵な言葉、何だろうかと調べてみると

電話が無い頃、山の上や下、また谷を挟んで離れている家々に用事を伝えるために、この地方で使っていた連絡手段の呼び方で

2009年、祖谷在住の有志により「よびごと案内人」の組織を立ち上げ、現在ガイドや語り部を行っているそうだ



石段を登りきった所に鎮座する将軍神社

側に立つ「加羅宇多姫入山地(よびごと案内人)」と書かれた看板を要約すれば

「680年前、本村で薨去された加羅宇多姫は、後醍醐天皇の一宮尊良親王の中宮であり

元弘の乱(1331年)に敗れ土佐幡多へと流された親王に逢うため、乳母、侍女数人と鳴門海峡を渡り四国に上陸

吉野川を遡上し池田町松尾を経て中津山に登り、此処祖谷田ノ内の将軍神社に降りて来たと伝えられ

近くに、姫が休まれたという腰掛け石、身重だった姫が若宮様を出産された産敷がある」

  神社の拝殿左から山道に入る かなりきつい直登を10分弱頑張れば登山道に合流する

うっと暗い人工林の中の登山道を進み、緩やかに高度を上げてゆく

道を塞ぐ倒木を避け、自然林と人工林の境界に付けられた道を進むとかなり古びた木の鳥居

「中ツ山→」の道標に従い、鳥居前を右へ進む

昭和49年(1974)、大歩危と祖谷を結ぶ祖谷トンネル、県道45が開通する以前は

山向こうの集落から中津山を越え将軍神社へ参詣する鳥居だったのかな?

(注 池田と祖谷を結ぶ祖谷街道は、1920年に開通)

 

992.5mピーク南斜面をトラバース

左に大岩を見て自然林に入った辺りからガスの中、おまけに落葉だらけで道が少し判り難い

所々のテープを確認しながら緩やかに登ってゆくと、リョウブやシロモジに替わってブナが増えて来た

 

大きなブナに囲まれた祠で、急登前の小休止

さぁ、後20分程 頂上に着いた頃にはガスも晴れるかなと、滑りそうな急坂を登ってゆく

 

あらら、頂上に着いたと思ったら益々ガスが濃くなって来た 折角の大展望の山なのに・・・

中津山大権現様と明神様が祀られ農業の神様として信仰されて来たそうだ

 

八大龍王が祀られている黄金の池 満面と湛えられた水面も薄ぼんやり

周りに張られた注連縄   黄金色に輝くのは紅葉の頃でしょうか?

標高1447mの高所で、 池を見守るように立つお大師さん

時折明るくなる空を見上げながら暫く待ったけど、垂れ込めたガスは退きそうにない

展望が期待出来ないんなら、大ブナ探ししようかと、下山開始

 

胴回りを測る様なブナは居ないだろうなぁと、思いながら笹斜面を覗き込むと

あれま、ガスの向こうから呼んでいるではありませんか

呼ばれたら放って置くわけにもいかず湿った笹を掴み下りて行くと、目通り3mのご老体

登山道に復帰し尾根道を暫く進めば、今度は急坂の下りです

転ばないように一歩一歩慎重に、祠まで下りて来てヤレヤレでした



赤テープを目印に尾根から逸れ、だだっ広い植林帯を真っ直ぐに下ってゆく 

時期によっては、尾根からこの辺りにかけて、目印のテープが無いとちょっと判り辛いかな?

少し展望の開けた自然林で小休止後、チェックポイントの鳥居を過ぎる

将軍神社への急坂を左に分け、尚も登山道を下っていたら分岐(表示は無し)

左へ分かれる道を見ながら、直進する

ちょっと西へ行き過ぎるかもしれんけど、生活道が残っているから何処かに出るよ



植林の間に青い屋根が見え出したので、左に振って車道に出たら、丁度車を停めた所に帰って来た

「どうじゃった」と、わざわざ家から出て来てくれたお婆さんに、頂上はガスで真っ白でしたと言うと

「そら残念じゃな、見晴らしがええきに、またおいで」と労ってくれ、暫く世間話

今、田ノ内集落は全部で7軒 熊は見かけたことは無いけど、猿や鹿が悪さして困るので時々爆竹で追い払うそうだ

お婆さんに教えて貰った「桜神社」にお参りして、 田ノ内集落を後にした

桜神社もまた加羅宇多姫伝説に因んだ神社 

西祖谷山村一宇(いっちゅう)へ下る途中、若宮様を早産し亡くすが

その時、置き忘れた桜の杖が大きな桜となり、「桜神社」と呼ばれるようになったと伝えられる

尚、杖立峠を越え土佐山田辺りで親王帰洛の由を聞かれて引き返す途中

産後の養生もままならなかった姫は、西祖谷山村吾橋(あわし)の古宮で亡くなったそうだ

子を亡くし、親王にも会えない失意の内に「この地を訪れる人々には元気な子供が生まれますように」と言い残されたという

今、子授け、安産祈願の「古宮神社」として姫の御霊が祀られていると伝わる



県道45より中津山を振り返ると、すっきりした青空

せめて2時間早くお天気が回復してくれたら・・・言う事無かったのにぃー

桜満開の大歩危を散策しながら帰路に着いた


何処から見ても、直ぐそれと同定出来る抜群のスタイルで登頂意欲を掻き立てる中津山

土阿国境を結ぶ古道「土佐北口街道」の難所の一つとして立ちはだかる

歩いてみれば、平家落人だけでなく多くの人々の跫音が聞こえてくる歴史の山でした

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