2013年07月14日 ”臼杵祇園まつり”



臼杵では祇園様(ぎょんさま)と呼ばれ親しまれている「臼杵祇園まつり」

   八坂神社夏期大祭の伝統が、360年間連綿と受け継がれている

今日、7月14日は、渡御(おわたり)の日

3台の神輿や山車を中心とした総勢2,000人による行列が

祇園州八坂神社から北海添八坂神社お旅所まで練り歩く

ちなみに、お旅所から神社までの還御(おかえり)は7月20日に行われる



第一神輿が須佐之男命、第二神輿が大国主命、第三神輿の櫛稲田姫命と

八坂神社の御祭神が、それぞれ三基の神輿に分かれて御神幸される

三体の神様のうち何方かが晴れ神様で、臼杵祇園まつりは絶対雨が降らないんだとか

1時間前まで大雨でも、祭りが始まるとパッと止むと地元の方が言われてた

祭りを待っている沿道に、臼杵市野津町の有名人・吉四六さんがピーマンを積んだリヤカーを引いて登場

「野津の名産です」と振る舞ってくれた(サラダにしたら、柔らかくてとても美味しかった)



御神幸の先頭は御槍(鳥毛槍)振り

御槍振りは約2kgもの槍を片手であやつり、右足と右手、左足と左手が同時に出る独特の歩き方

なんでも、他の地域では途絶えてしまった江戸時代以前のナンバ歩きを忠実に再現しているとか

思い槍を片手で持つだけでも大変そうなのに、なかなか前へ進めません

  毛槍は関ヶ原の合戦で旧領郡上八幡城を攻め奪還したときの戦利品で

四代藩主・稲葉信道公より拝領したものだそうだ

大人に続いて、中学生、高校生、女の子も含めた毛槍50本が続く



臼杵城址の前で、神輿が激しく左右に突き上げられる

「ミョウサヤ」と「チョウサヤ」と突き返す度に、観客から拍手喝采でした



吹き流しを持った子供たちが、猿田彦に続く



瓢箪冠(ひょうたんかぶり)が、祭りを知らせる法螺貝を吹きながら進んで行く

暑そうですが、冷やしたタオルを首に当て熱中症対策も万全です

神器や神馬、可愛い巫女さんも厳かに進んで行く



コンコン チキチ コンチキチ 

チキチン チキチン チキチキチン

太鼓と鐘の音が高らかに鳴り響き、いよいよ山車の出番です



「踊り山」と呼ばれる14人の若衆の太鼓、鐘囃子に合わせ

掛け声も勇ましく山車が引かれてゆく



勢いよく八坂神社の鳥居を潜り抜ける山車

山車に乗る若衆が振る「采(ざい)」は

諏訪の御柱祭りの時に振られる、「おんべ」に似ている



表情は真剣そのもの、今にも山車から飛び出しそうな勢いで采を振る



勢い余って、観客の方へ突っ込みそうですが

其処はベテランが上手く舵を取っている



山車の引き回しを臼杵城址から見下ろす

城下町を駆け巡る壮観な夏祭り、暑さも忘れて楽しみました



臼杵城址 廃藩置県後、城は取り壊され現在は臼杵公園として市民の憩いの場となっている

当時の城の名残をとどめる卯寅口門脇櫓・畳櫓や空堀、門跡、井戸跡、石垣などが残る

弘治2年(1556年)、戦国大名大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ天然の要害とも言える丹生島に築城

島の形が亀の姿に似ていたところから別名、丹生島城とも亀城とも呼ばれていたそうだ

慶長5年(1600年)、美濃から入封した稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたってこの城を居城とした



二王座歴史の道を歩き、安土桃山時代から続く八町大路(中通り商店街)へ

ボランティアガイドさんに、「近くに造り酒屋は無いですか?」と聞いたら

最近テレビで紹介された150年余続く蔵元があり試飲も出来ますよと、親切に前まで案内してくれた



野上弥生子文学記念館

九州は東海岸の古い城下町に育った私の故郷のイメージには生家の白い壁の酒蔵と一緒に美しい青い入江が有る

いまは昔領主大友宗麟がキリシタン大名豊後王の盛名を遠く海外にまで馳せた頃には

この青い入江のほとりには南蛮渡来の宗教、美術の輝かしい開花があり

また祝福に満ちた社会施設や活発な海外貿易で西欧文化の生き生きしたモデル都市が出来上がっていた

故郷には誰ももつ誇りの一つとして私はつねにこの歴史を上げる




文学記念館の隣は、どっしりとした海鼠壁の土蔵と昔ながらの重厚な店を構える小手川酒造

安政2年(1855)創業、野上弥生子生家で、話好きの店主は甥にあたるそうだ

波乱万丈の一生を送った名将・ 宗麟の直筆と花押が誇らしげな「宗麟」

野上弥生子99歳の直筆「白壽」

蔵には、黒麹仕込みの焼酎が眠る500ℓの瓶がごろごろ

一つ欲しかった〜

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