2014年11月30日  ”鶏足山”

大展望の鶏冠に立ち吉野川に向かって、コケコッコー


キャンプ場(8:15)〜(9:00)鶏足山頂上〜(9:20)キャンプ場  (1時間05分)


祖谷への入口に前々から気になっていた山がある 

標高は1000mに満たないが、岩と展望の山・鶏足山 なんとも山名がユニークです

みなさんの山行記を見ると、山行時間は短いが、何箇所かある鎖場は厳しく侮れないらしい

気力体力が及ばなかったら巻道ということで、グランパが行場の修行に行って来ました



大歩危橋を渡り、県道沿いのタイヤショップ横から一車線道路に入る 

ここから分岐が何箇所かありますが、小さな木製の「鶏足山キャンプ場→」の標識が設置されている

下吾橋集落から眺める今日の山 中央のギザギザが、目指す鶏足山の鶏冠(山頂は直ぐ左)

鶏足山というより、鶏冠(とさか)山のほうがしっくりきそうな風貌です

後山からの道を合わせ、少し進むと分岐(右写真) 右は古宮岳登攀競技場を経由して鶏足山キャンプ場への道

通行止の看板が倒れているが、通れるのかどうか分からないので直進する



五所神社の大杉は徳島県指定天然記念物  主幹周12.2m 樹高30mと、他を圧倒する見事な風格だ

かなり標高が上って来た 上吾橋集落最終民家付近で、暫し展望を楽しむ

 

尚も進むと分岐 右の「林道鶏足山線」に入り下って行く

古宮岳登攀競技場経由の道に合わさり、左折するとすぐ登山口のキャンプ場ですが、落葉が厚く降り積もった道

バックし、三叉路に車を停め歩き始める 5分でキャンプ場 さて登山口は何処だ?

ありました ここから噂の行場に入ります →方向を見ると苔生した岩の間に道らしきものがある

登山口から10分も歩かないうちに岩壁にぶち当たった 何処から取り付くか? 

ははーん、あの岩穴だな(右写真の左に岩の隙間に木が刺さっている所)

先週は梶ガ森弘法大師御影堂 昨日は仁尾妙見宮の開運洞穴くぐりと穴禅定が続きます

 

岩と倒木に挟まれた隙間をやっとの思いで通過し(右写真の右下の穴から出てきた)、すぐロープを手繰って岩場を左へ

今度は鎖を持って狭い足場を右へヨコバイしようとしたところ アアラ!ストックが音をたてて転がり落ちた

拾いに下りて、登り返す時のしんどかったこと!  やれやれ、3度も腹を擦る羽目になりました

(落ちたのがストックで良かった 気を付けて歩かんと、アララどころじゃないよ)

 

ヨコバイすると尾根に出る 今度はロープと細い鎖が垂れている5mほどの壁

垂直に近い下半分は鎖を信じて全体重をかけ、腕力で攀じ登る ロープは滑り止めが無く、濡れていたので頼り難い

脚力は余り落ちていないと思うが、腕力の衰えを感じます 石鎚東稜のタテバイより力が入りました 

北に、冬枯れの木々の間に国見山が見える

 

次は3mの鎖(左写真の岩の割れ目に垂れ下がっている) 鎖をこなし、テラスで展望を楽しむ
 
最後は35mはあるという、この行場の核心鎖(右写真) これを手繰れば一気に鶏冠に立てるんですが・・・・

横から見ると中間点までは垂直、上は斜度がやや緩み、岩の割れ目や出っ張りがある

ああしてこうして、うぅ〜ん 行き詰まったら・・・ 今日はイメージだけにし、右の巻道を選ぶ



巻道と言っても急斜面で歩き難く、短いですがロープもある

尾根に復帰し、左の岩場(右写真)を上がる 帰りは右の頂上を経て反時計回りの周回をします


 
成地奥の岩のテラスに立つと、目の前に絶景が広がっている

鶏冠から眺める山々や吾橋の集落 真下には吉野川 足がすくむほどの高度感です

大展望をおかずに食事とでも言いたい所ですが、未だ9時前、というより今日は何も持ってきていない

それより何と言っても、一服 誰にも遠慮せず、くゆらす紫煙が美味い



絶景場を後に岩尾根を東に進むと、潅木に囲まれた平凡な鶏足山頂上(955m)

尚も東に進み、鞍部から北斜面を左に振りながら登山口を目指す(右写真が鞍部ですが手前からでも左に下れます)

この斜面は春には福寿草が咲き乱れるそうです



苔生すガレ道を抜けると、登山口の広場やトイレの建物が見えて来た あれっ! こんな所にお地蔵さん

1時間ちょっとだったけど、厳しい鎖場あり大展望あり、なかなか楽しくケッコウな山でした

それにしても凄い落葉の厚みです この山は紅葉時期か春がお薦めでしょう

車道を5分歩いて駐車地点に帰って来た

復路は、通行止め表示が無かったので、古宮岳登攀競技場経由の道を下りてみる

暫く下ると古宮神社への分岐 神社に向け急坂を下る

 

三好市指定史跡、加羅宇多姫の御霊が祀られる「古宮神社」 

加羅宇多姫は、後醍醐天皇の一宮・尊良親王の中宮で

およそ700年前、元弘の乱(1331年)に敗れ土佐幡多へと流された親王の後を追って

乳母、侍女数人と四国へやって来たが、懐妊中だった姫は若宮を早産で亡くす

ご自身もまた産後の養生もままならず、西祖谷山村吾橋(あわし)で薨去されたと伝わる

神社から引返し、分岐を右へ どんどん下って行くと路肩に亀裂が入っている

腹が低い二駆車では不安になり、Uターン

来た道を帰り、上吾橋集落で再度展望を楽しむ 日本の原風景が広がっている

後山に出て祖谷渓に入ると、小僧さんが相変わらず寒そうな格好で絶壁に立っている

残り紅葉を楽しみ、ボンネットバスや県外NO車とすれ違いながら国道に出た


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