「数年に一度」という大寒波がやって来た 中心気圧はなんと948ヘクトパスカル
日本列島が強風で東に流されるんじゃないかと思えるくらい、窮屈な縦縞の等圧線が並んでいる
まだ12月なのに、1月になったらどうなるん? 「今まで経験したことのない」冬型なんて事は無いよねぇ
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西日本では冬型の気圧配置が緩み、法皇山系は朝日に輝いている
手近な豊受山(おといこさん)で新雪と霧氷を楽しもうと、法皇スカイラインを目指す
ところが、翠波高原への道に入り、暫く走ると路面がツルツル 登山口を南側の七々木に変更
富郷橋から見る豊受山 「伊予のマッターホルン」は言い過ぎか?
富郷橋を渡り、右豊坂方面に入る 岩原瀬集落を過ぎると路面に雪が出たきた
日陰は凍っているところがあり、慎重に進む
登山口を過ぎたところでUターンし、手前の路肩に駐車 登山口に、標識有
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植林帯を10分弱で、七々木山(1145.2m)から南東に派生する尾根に出た
伐採地の縁を少し進み、尾根から分かれ七々木山南面をトラバースし標識の立つ主稜線の分岐点
北に下れば豊岡町、右は鋸山 左の豊受山を目指す
新雪に大小色んな先行者の足跡が残っている これから暫くは動物たちにとって厳しい季節です
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豊受神社の鳥居を潜りフライパンを叩けば、カ〜ンと乾いた音が鳴り響く
雪は深い所で20p位 思ったほどでない 小型ながらブナが出てきた
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この9月に遷宮祭が執り行われた新しい神殿も雪の中に佇んでいる
風穴の側の小さな祠も雪を被って寒そう
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神社裏の尾根に上り右へ、左は三度ヶ崖へ
縦走路分かれ辺りは展望が広がる 西に赤星山、東に四国中央市街 遥か伯耆大山も見えた様な?
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霧氷のトンネルを進み、頂上標識がある豊受山最高点
家を出て2時間ちょっとで、こんな素晴らしい所に来られるなんて贅沢な話です
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もう少し北にある三角点を目指し、細尾根を慎重に進む
吹き曝しの稜線で年輪を重ねる老ブナ 久し振りの青空の下で寛いでいる
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地味な所にある豊受山三角点(1247.4m) 引返し三度ヶ崖へ向かう
足がすくむほどの三度ヶ崖の天辺からは大展望が広がる ここでコーヒーブレイク
「三度が崖の姫」の伝説 伊予三島市史より要約抜粋
室町末期戦国時代のこと、20歳ほどの美しい姫が二人の従者とともに豊受山中腹の岡銅村にやってきた
姫は城主の娘で、はげしい戦で城は落ち、父母は討ち死、やっと城を逃れ出て隠れ場所をもとめていた
村人たちに、しばらくの間身を隠させて欲しいと頼んだがだれも聞いてくれない
姫たち一行は仕方なく山道を登って行く途中、白髪の老人に出会う
老人は、「頂上に豊受姫命をお祭りする豊受神社があり、その南手には三度が崖という断崖絶壁の岩山があり
そこに隠れてはどうか」と一行に教えました
何十日か後、追っ手の武者10人がやって来、老人に姫のことを尋ね、老人は隠しきれず豊受山に登って行ったと答えてしまう
武者たちは山を登り、社の辺りをくまなく探しても、また山道を南に下り
七騎、岩原瀬などの部落を訪ね歩いても姫を見つけることが出来ませんでした
皿(元之庄)の部落を訪ね歩いているとき、部落一番の器量よしの「お袈裟」という娘に出会い、
お袈裟は、豊受山の三度が崖の辺りに夜な夜な不思議な灯火が見え、あそこに姫が隠れていると思いますというのでした
そこで、武者たちは三度が崖の下から煙攻めにし、姫は煙に包まれ苦しみながら死んでしまう
白髪の老人が追っ手に知らせたことから、その後岡銅部落は13戸以上に増えず また、
お袈裟が、姫が三度が崖に隠れていたことを教えたことから姫のうらみをうけて皿の部落は8戸以上には増えず
美人が生まれても片ほおに「ほやけ」が出るのだと言い伝えられています
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東に剣山系の峰々が白く輝いている
祖谷方面は大雪だったそうだから、登山口まで辿り着くのが難しそう
のんびり大展望を楽しんでから、来た道を引き返す
日当たりの良い所はかなり雪が融けて来た 伐採地を過ぎ、登山口に下り立つ
冬山としてはマイナーな豊受山、市街地を見下ろしながらのお手軽霧氷ハイキングでした
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