冬〜ブナのいのちを見つめて最近世の中がとみに騒がしい 政治は言うに及ばず、経済、社会もまたしかり
良し悪しは別にして、結果を出すことを急ぐあまり手法が荒っぽくなっていませんか?
奥山に佇む大ブナの様にどっしり構え、国家百年の計とまでは言わないが
せめて10年〜20年後を見据えて舵をとってもらいたい
さて、世の中がどう変化しようと季節は誠実に移り変わる
四季は自然からの贈り物 森はそれぞれの季節に適応しながら毎年確実にひとまわり大きくなってゆく
春から夏、ブナの森を歩いてみるとそこには森の歓びが有りました
秋、華麗な衣装で着飾った姿の中に大きな仕事を終えた満足感に溢れていました
冬は、ブナの強さ・いのちを感じる季節です 雪と風に耐えじっと春を待つ その姿に感動すら覚えます
再びブナの森が私を呼んでいる 木枯らしに誘われて晩秋から厳寒期、そっとブナの森を歩いてみた
剣山・見ノ越 (2013年11月2日)
秋の宴が終わりブナの森に静けさが戻って来た頃、見ノ越周辺の重厚な森を訪ねた
幾重にも落葉が降り積もった登山道から急斜面を見上げれば、赤茶けた葉っぱを残した大きなブナが立っている
4m前後の大ブナが点在する中で、 跳ね馬が谷に向かって前足を振り上げているような大ブナ
「ブナ爺さ〜ん よくこんな所に立っておられますね 私だったら一日も我慢出来ません」
「ほんまこんな場所に、200年も300年も辛抱してきた自分を褒めてやりたい気分よ
生きてゆくのに適度の緊張感も必要じゃが、小さな石が転がってもハッとするんでそりゃぁもう毎日毎日しんどいぞ
じゃが、同情はいらんよ 一時でも気が緩んだら倒れてしまうから」
橙色の絵の具が其処かしこにこぼれたように、鮮やかな色彩を放っていたモミジも
近くでよく見れば幾分色褪せ、そろそろお役目ゴメンと葉を落し始めている
見習うべきは「自然界の潔さ」 そう思うのは私だけでしょうか?
カガマシ山・橡尾山 (11月9日)
冬を待つ森は、ブナにとってはやすらぎの空間ではないでしょうか?
とっくに仕事を終えた林床の草花を落葉で覆い、森が寝静まるのを待ってブナも眠りに入る
まるで母親が子どもの布団を整え、自分もやっと床に就くような安堵感が漂う
4m超の大ブナに会えるかもと、 遊歩道からカガマシ山〜橡尾山と周回してみたが・・・
「峠から下りる途中に一本、それはそれは見惚れる程綺麗なブナが立っとたんじゃ
周りのみんなは長老と慕っとったが、なにせ急坂 10年ほど前の大風に耐えられんかったんじゃろう」
橡尾峠西の赤茶色の林の中で3mを超えるブナが、長老のいない登山道を寂しげに見下ろしていた
寒風山 (11月14日)
黄葉が終わってもブナにはまだ大事なミッションが残っている
ブライダルベールのような 白い花を咲かせること そう霧氷です
四季、登山者の声が絶えない寒風山は手軽にブナやツツジの霧氷を楽しめる山です
ブライダルベールと言えば、吉野弘さんの詩集「風が吹くと(1977年)」に収められている祝婚歌を思い出す
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい
立派すぎることは 長持ちしないことだと
気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで 疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい
立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
無理な緊張には 色目を使わず
ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい
健康で風にふかれながら
生きているなつかしさに ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 二人にはわかるのであってほしい
声に出して読むと、胸が熱く潤ってきませんか?
東宮山 (11月17日)
平家伝説が残る東宮山頂上南の急斜面で行儀よく並ぶ色白ブナ、辺りに気品が漂っている
数学者、藤原正彦さんが、著書「国家の品格」の中で、人間としてスケールの大きい国際人を育てるには
論理や合理も必要だけれどもそれ以上に大事なものは情緒や感受性である
そして、それらを育てる主力は自然や読書であると言われていた
時には厳しさを剥き出しにすることもある自然、それをも含めて与えられるものの大きさを思う
また、本の中には感性を育む沢山の素晴らしい言葉や、生きていくための指針となる言葉も多い
人は感動しながら自分自身を創ってゆくものだと、今、ブナ林に立ってそう感じている
佐々連尾山・大森山 (11月23日)
小春日和の一日、爽やかな風を感じながら、ブナの稜線を歩いた
大森山頂上北の緩斜面で、初冬の日差しをたっぷり受けるブナ
「詩聖」と呼ばれた杜甫
の漢詩で有名なのは、「国破れて山河在り」と詠われた春望だけど
”手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる”と詠われた「貧交行」は
もともとは人情の浮薄を嘆いたものだが
掌を返すように公人、個人を使い分け、自分の意見に責任を持たない昨今
そんな器用な人間にはなりたくないなと心して読んだ
それにしても、この詩を読んで反省して貰いたい人の何と多いことか!
翻手作雲覆手雨 (手を翻せば雲と作り 手を覆せば 雨となる)
紛紛輕薄何須數 (紛紛たる輕薄 何ぞ 數ふるを 須ゐん)
君不見管鮑貧時交 (君見ずや 管鮑 貧時の交はりを)
此道今人棄如土 (此の道 今人棄つること 土の如し)
皿ヶ嶺 (11月30日)
根を共有しているかのような株立ちブナ 3本ともこれほど大きく成長するのは珍しい
ブナのことを調べていたら、(ウィキペディア)に次のような事が書かれていた
「ブナは成長するにしたがい根から毒素を出す そのため一定の範囲に一番元気なブナだけが残り、
残りのブナは衰弱して枯れてしまう ところが一定の範囲に2本のブナが双子の様に生えている場合がある
これは、一つの実の中に2つある同一の遺伝子を持った種から成長したブナである」
3兄弟ということは? このあたりのブナの遺伝子は仲が良いということにしておきましょう
此処に根を下ろしたブナはラッキーです 年中、石鎚山を眺めることが出来るなんて贅沢〜
でも、展望が良い分、風も強いんでしょうねぇ
目通り4.2mもある大ブナが目立つが、注目すべきは後ろのすらーとした美人ブナたち
この大ブナが「レジェンド」と呼ばれる日まで、黄色い声援を送って下さいね
石墨山 (12月8日)
古の峠道を歩いてブナの尾根にやって来ると、しっとりとした空気が身体に纏わりつく
「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかひて」とは有名な徒然草の序段ですが、その236段が面白い
(要約) 丹波出雲に大社を移して、めでたく造れり。
聖海上人や他の人々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて
「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐむ
各々「まことに他に異なりけり」、「都の土産に語らん」など言ふに、 上人、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、 「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん」と言はれければ「さがなき童どもの仕りける」とて、据ゑ直して去にければ
上人の感涙いたづらになりにけり 知恵者である上人が、子どもの悪戯に物知り顔で感涙したという笑うに笑えない話を、兼好はさらりと表現している
教養人や権力者の言葉に追従したり、また誰しもが知ったかぶりの危うさを持ち合わせているが
少なくとも付和雷同にならないよう気を付けたい
大ボシ山・
西大ボシ山 (12月15日)
風のコル26番鉄塔付近で、スズタケをかき分け居所を確保する株立ちブナ
西大ボシ山の北斜面で、思いっきり手足を伸ばして寛ぐ大ブナ
今夜は、遠くからエールを送っている梶ヶ森と一緒に月を眺めながら飲み明かすのかしらん?
その姿は、「詩仙」とも「酒仙」とも称された中国唐代の詩人・李白を思い起こさせる
「私が歌えば月は歩きまわり、私が舞えば影はゆらめく」と、月と影を相手に酒を呑む李白
あまり良い家庭人ではなかったようですが、「妻に贈る」詩を残している
内贈 ( 内に贈る )
三百六十日 ( 360日 )
日日醉如泥 (日日醉うて泥の如し)
雖為李白婦 (李白の婦と為ると雖も)
何異太常妻 (何ぞ太常の妻に異ならん)
1年360日、毎日泥の様に酔っぱらっている
李白の妻になったといったって、これではお前、太常の妻とかわらないね
(後漢時代、宮中儀式の場所が穢れるといって弁当を届けに来た妻を牢屋に入れた太常職の故事に倣う)
剣山 (2014年1月3日)
登山道沿いで大ブナが50cmほどの雪に埋もれている
「雪が深くて大変ですね」と声をかけたら、こんな返事が返ってくるかもしれない
「このくらいの雪は大したことないさ。ここ数十年、随分雪の量が減って来たよ。
200年余り生きて来たが、 昔は2m積もったこともある。
それより、年々ひどくなる暑さをなんとかして貰わんと、老体に堪えるわ。」
そういえば 近年冬日こそあっても真冬日は無いかな 子どもの頃はもう少し寒かったように思う
厚い氷が張った池に石を投げて遊んだのも懐かしい想い出だけど
今は、 水溜りが凍ったり、屋根から大きなつららが垂れ下がる光景を見なくなった
楢原山 (1月5日)
今年は「甲午(きのえうま)」 干支にちなんで牛馬信仰の山として歴史のある楢原山を尋ねた
頂上が近付くにつれ風が強くなって来たが、それまでどんよりしていた空が明るくなってきた
登山道の先を見れば何かがキラキラ輝いている ウワー、霧氷だ!
天からの思わぬプレゼントに、寒さも忘れ足取りが軽くなる
見上げれば白い万華鏡 小枝の一本一本に至るまで見事に白い花を咲かせている
霧氷の間を潜り抜けた柔らかい日差しが漏れ、 まさしく霊気宿る 閑寂の別天地
こんな素敵な景色を二人締めだなんて、何だか申し訳ないと思いながら心ゆくまで楽しませて貰いました
高丸山 (1月11日)
森と人が共生することの大切さを学ぶ「千年の森づくり」からは、明るい未来が見えてくる
人間社会はどうだろう? 人と人が共生できる世の中を目指しているのだろうかと不安になった
2月19日付の朝日新聞に「反知性主義的な空気が台頭している」との警鐘が載っていた
「反知性主義」とは、実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度
つまり、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもり、「不適切発言」に対しての批判も
聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない姿勢なのだそうだ
他者の異なる意見は軽視し、独りよがりな決断を行い、更にはそれを他者に強要する
もしそういう人がリーダーになれば・・・明るい未来は望みようもない
不安を払拭するような、同日紙面「声」の欄に掲載されていた大学生の投稿には、感動を頂いた
留学先の図書館で手にした日本語の本、久し振りにたくさんの活字に触れながら
「読書ってこんなに楽しいんだ」という事に気づいた感動を綴っていた
「本の中には、たくさんの「なるほど」が詰まっていて面白いです。
他人の考え方や思い、新しい発見があり学ぶことがたくさんあります。
毎日日本語に接していたら気付かなかったかもしれない読書の楽しさを気付かせてくれたことに感謝です」
阿波国見山 (1月23日)
この山の主だろうか?青空に向かってスックと立ち、白い絨毯の上にその美しい姿影を落としているブナ
光りの中から「ブナの精」がひょっこり現れそうな気配が感じられる空間、そこかしこに期待感が満ち溢れている
「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ。」(ドストエフスキー)
不幸な人と幸せな人の違いは、見ているところだけ。
不幸な人は不幸を見つけるのがうまい。幸せな人は幸せを見つけるのがうまい。
違いはそれだけ。だから幸せになるのは簡単なんです。幸せはなるものでなく、気づくものだからです。
(PHP「心が喜ぶ生き方」 作家・ひすい こたろう)
伯耆大山(2月1日)
行者尾根から元谷への斜面は、ブナ以外の木を探すのが難しいほどの純林が広がっている
此処はブナの故郷・伯耆大山、ブナが発する空気に包まれながら爽快そのもの
それに引き替え、人間界は最近不穏な空気が流れているようだ
「世界記憶遺産」に指定されている「アンネの日記」の関連図書が、都内の公立図書館で300冊以上破られた
かのナチスが「本を自由に読むことは犯罪である」と、マルクス、フロイト、ハイネ、ブレヒトらの書物を
2万冊以上燃やした1933年5月10日の焚書を思い起こさせる
この報道に心を痛めたイスラエル大使館が「アンネの日記」など300冊を寄贈したのを始め
次々と寄贈の輪が広がっている
1979年5月30日 日本図書館協会総会で決議された「図書館の自由に関する宣言」を
”図書館は資料収集の自由を有する”を今こそ声を大にして言いたい
お大師さんの山・高越山(2月16日)
おならは えらい
でてきたとき きちんと あいさつするこんにちは でもあり さようなら でもある
あいさつを・・・
せかいじゅうの どこの だれにでも
わかる ことばで
えらい まったく えらい
「おならは えらい」は、今年 2月28日に104歳で亡くなられたまど・みちおさんの詩です
「ぞうさん」「一年生になったら」「やぎさん ゆうびん」等々、優しくふかい言葉で命の尊さうたってきました
「うたを うたうとき わたしは からだを ぬぎすてます」と
平成21年、100歳で新作詩集「100歳詩集 逃げの一手」「のぼりくだりの・・・」を出版
耳が遠く、認知症も進んでいたというまど・みちおさん その原動力は、世の中への「不満」
「遠くのものにも、近くのものにも。 政治家に、警察の人に、学校の先生に。
金もうけ、いんちき。 無学の私も言わずにおれない現状です。 戦争も無くなりません。
生きていると必ず、毎日、新しく見つけるものがあります。」
百年生きて書くことがなくなるどころか、なお湧き上がる詩作への意欲を話されていた
今だから書かねばという強い姿勢、そしてものごとの神髄を突いている言葉に勇気を貰った
笹ヶ峰 (2月23日)
厳しい環境をものともせず、深い雪の急斜面にどっしりと構えている大ブナだが
雪が雨に変わり寒さも峠を越すと言われている雨水(2月19日)が過ぎ
穏やかな春の日差しを浴び冬の疲れを癒しているかのようだ
冬季五輪史上最も多い87ヵ国・地域が集ったソチオリンピックは、感動のドラマを残して、23日閉幕
和やかに閉会式を楽しむ選手たちを見ていると、16日間繰り広げられた感動の場面が浮かんでくる
男子フィギュア金メダル・羽生結弦選手の表情豊かで華麗なスケーティングを見ながら
羽生のコーチ、ブライアン・オーサーがアメリカのブライアン・ボイタノと金メダルを争ったことや
5種類の3回転ジャンプを決めガッツポーズで締めくくった伊藤みどりちゃん等々
20年あまり前のカルガリーオリンピック(1988年)までも、ありありと思い出し2倍楽しめました
明日、3月7日から始まるパラリンピックも楽しみです
4年後、2018年の冬季五輪開催国は韓国・平昌(ピョンチャン)
世界の祭典が何時までも行われるよう、国内平和は勿論のこと世界の平和を願わずにいられません
今日はHPを開設して7年になる3月6日「啓蟄」(掲示板開設は、我が家の桜が咲いた3月28日)
何とかくじけずに続けて来られたのも、皆々様の温かい励ましのお蔭です 深謝して筆を置きます
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