2015年02月21日 ”臥牛山”

国内隋一の高さを誇る天空の城塞「備中松山城」を訪ねる


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号る)


武家屋敷駐車場(8:55)〜(9:25)鞴駐車場(9:35)〜(10:00)天守(10:15)〜(10:55)臥牛山三角点
(11:35)天守〜(11:55)鞴駐車場・前山(12:00)〜(12:25)武家屋敷駐車場     (3時間30分)


今日は備中の小京都・高梁市を訪ね、のんびり観光です

秋から冬の冷え込んだ日は、「備中松山城」が雲海に浮かぶそうだけど

今日はちょっと気温も高め、幻想的な景色に出会うのは無理でしょう

それより「おしろやま」と愛称される「臥牛山(前山・小松山・天神の丸・大松山)」には

天然記念物に指定されているニホンザルが居るらしいけど、大丈夫かな?



武家屋敷駐車場に車を停め通りへ出ると「備中たかはし 町家通りの雛まつり」のポスター

「灯りを点けましょ 雪洞に〜♪」 もう直ぐ雛祭りだと思えば、自然に心が弾んで来る

備中松山城の案内に従って歩き始めると、山田方谷の石碑が立つ

幕末期、老中を務めた藩主板倉勝静公を助け藩財政を立て直したのが、陽明学者の山田方谷(1805〜1877)

方谷は、庄屋の子弟を中心に神官・猟師・農民など1200名からなる備中松山藩鉄砲組・理正隊を結成

桔梗河原で行う調練を見た久坂玄端が感嘆し、後の長州奇兵隊の設立の手本となったと言われている



小高下谷川を渡り舗装が途切れると、辺りは鬱蒼と茂って来た

猿をからかわない、物をやらない、目を合わさない等の注意書きがある

200頭ほど棲んでいるそうだけど・・・ 「どうか出会いませんように」

「おしろやま」に入って20分弱で、「赤穂藩家老大石良雄腰掛岩」

元禄の頃、嗣子が無くお家断絶となった水谷家居城請取りを平穏裡に済ませた大石が1年7ヶ月この城に滞在した

備中松山藩水谷家家老・鶴見内蔵助、赤穂藩浅野家家老・大石内蔵助、二人の内蔵助として有名だ



大手門を過ぎれば、国指定史跡の土塀が累々と続く

土塀には、敵を攻撃するための狭間がある 縦長の穴は矢狭間、円形の穴は鉄砲狭間

備中松山城は、日本三大山城(備中松山城・大和高取城・美濃岩村城)の一つ

高度を上げる毎に、清流高梁川が流れる市街地が大きく広がって来た

登城坂の周囲は、切り立った岩壁がそびえ、”難攻不落の名城”の片鱗が残る



二ノ丸に着くと、国の重要文化財である天守が姿を現した

青空に映える白い漆喰壁と黒い腰板のコントラストが美しい

標高430mの小松山に聳える備中松山城、現存天守を持つ城としては最も高い所にある

 この地は備中国のほぼ中央にあって戦略上重要な位置を占め、また水陸交通の要衝でもあるため

戦国時代は激しい争奪戦により、何度も城主交代が繰り返された

靴を脱ぎ梯子の様な急階段を上がり天守に入ると、ヒンヤリとした空気が流れる

大きな囲炉裏が有ったが、籠城した時の食事や暖をとるために使われたそうだ

天守を後にして、天神の丸、大松山と「おしろやま」探検に出発です

15分程で、中世の城郭跡・臥牛山最高峰「天神の丸跡」(約480m)

ここの本丸跡には、江戸時代から明治初期まで天神社が祀られていた

森の巨人たち100選 N.O71 「臥牛山のアベマキ」

木々にとって居心地の良い空間なのだろう、辺りを見回しても立派な木が多い

大池との分岐からほんの少しで、中世城郭の遺構「大松山城跡」(470m)

鎌倉時代、有漢郷の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのが始まりで、今も水を湛えた井戸が残る

「おしろやま」は、南から前山(下太鼓丸)、天守のある小松山、天神の丸、大松山と四つの峰からなり

牛が寝そべったような姿から「臥牛山」と呼ばれている

折角だから、もう少し足を延ばして三角点を踏んで来よう

大松山城跡から引返し、少し下ると石垣で固められた水の手「大池」

「危険ですので入らないで下さい」と、水を湛えた池の周りにはロープが張り巡らされている

池から少し下って行くと「大松山つり橋南詰」 此処は、尾根道とつり橋の分岐

尾根道は帰りに歩く事にし、頑丈な2重扉を開けて「大松山つり橋」を渡る

正面に見えているピークが三角点かな?


三角点(478.3m 臥牛山) (橋から見えていた所よりずっと奥でした)

三角点からは、そこそこ急な尾根道を下って行く

茂った木々が邪魔をして大展望とは言えないが、樹間から高梁川の大蛇行が垣間見える



下り切った所に「切通堀切」「番所跡」の石碑が立つ

大松山つり橋の南詰分岐へ戻り、大池まで登り返してコーヒータイム 

登山道では誰にも会わなかったけど、天守まで戻ると観光客でそこそこ賑わっている

鞴駐車場からでも30分近くかかるし、石段も多いから結構しんどい登城です

薄雲が出始めた頃、「本日の登城 大儀であった」の立札に見送られて大手門を後にした



満車状態の鞴駐車場まで下りてきて、前山(下太鼓丸の跡)に駆け上がる

此処から麓の情勢を知らせる太鼓を打ち鳴らし「中太鼓丸」「上太鼓丸」と、繋いでいったのだろう

幸い、心配した猿にも遭わず、無事下山

さぁ、武家屋敷にお邪魔しましょう  旧折井家、旧埴原家等、庭や屋敷内、資料館を見てまわる



 小堀遠州作の 頼久寺庭園(国指定・名勝)

愛宕山を借景にした蓬莱式枯山水庭園で白砂の中央に鶴島、後ろに亀島の築山を置いている

毎日眺めていたら、鶴と亀にあやかって千年も万年も長生きしそうです

折角なので、久し振りにセツブンソウを見て帰ろうと思ったら目的地の3km程手前で通行止め

代わりにユキワリイチゲを見て、帰路につきました

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