2015年05月23日 ”剣 山”

新緑のブナ林を歩く


お山が緑に染まり出す4月、5月は何かと用事が重なって忙しい

その上、折角の山行予定が生憎の雨なんてことにでもなれば、ガックリです

明日の予報も曇り後雨とあまり良くありませんが、多少の雨は覚悟してブナの森を歩いて来よう



リフト側のシャクナゲは丁度見頃〜♬ ちょっと得した気分です

8時25分過ぎ、剱神社に手を合わせ登山口のお不動さんに挨拶してから歩き出すと、ニリンソウが「おはよう〜」



リフト下のトンネルを潜り、遊歩道へ

ブナの新緑に包まれ鳥の囀りを楽しんでいたら、水の流れの音が聞こえ出した

祖谷川源流を過ぎてから、遊歩道を逸れてお気に入りのブナの森へ

 

爽やかな空気が流れる森で、真っ白なコミヤマカタバミも微笑んでいる

靴底から柔らかな踏み心地が伝わり、足が喜んでいる



急斜面を駆け上がり大ブナの側に立てば、普段見えないものが見えてくるようだ

朝日新聞連載の「折々のことば」から引用すれば

見えてはいるが、誰も見ていないものを 見えるようにするのが、詩だ
(長田弘
「読むことは旅をすること」から

  視界には盲点があるだけでなく、見えているのに見ようとしないものがある

歴史のある時点ではだれにも見えないものもおそらくはあろう

だから、見ること にはそれなりの努力が要る。工夫が要る

他の人にはどう映っているかをこまやかに参照する必要もある

修業時代にふれたこのことば、わたしにとっては哲学 の定義でもある




激情を表に出さずにいれば、やがて潰える  怒りをぶちまける前に10数えよ 
 (ウィリアム・ジェイムズ
「心理学原理」から)

  ひとは悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだと言った哲学者のことば
ひどい塞ぎや落ち込みから抜けだそうと思えば、その反対、快活なときの様子 を意識してすればいいと言う
背筋を伸ばし、眉間の皺をほどき、目を輝かせて長調で話し、にこっと笑みを返すこと
ひとは弱いもの、心 の健康を保つにも身体の助けを借りねばならない

「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」って、言ったのは誰だったかしら?
お山に入ったら
、心が弾み自然と頬の筋肉も綻んでくる ついでに皺ものびてくれたら言う事無いなぁ



ほしいものが、ほしいわ   (糸井重里)

ほしいものは何でもある。ほしいと思うより先に並んでいる。あとは選ぶだけ

でも、明日になればきっともうほしくなくなっている……

そんな欲望の空洞を描いた、高度消費社会まっさかりの時代の西部百貨店
の広告

ほんとうにほしいのはもはやモノではなく、何が何でもほしいという渇きだとする

コピーの先駆者の苦い自己批評が、はっとする広告になっている
 


今まで心に残った「折々のことば」を思い出しながら歩いていたら、何時の間にか西島

空には薄雲が広がっているけれど、重畳と連なる山並みが美しい

遠く、寒風山、笹ヶ峰、チチ山、 尖がり頭の沓掛山、東赤石山、二ツ岳までくっきり



新緑の山肌の奥に、夏服に衣替え中の次郎笈がどっしりと構える

水場を過ぎ振り返れば、天突く御塔岩 何時見ても、何処から見ても大迫力です

色とりどりの若葉の中で、オオカメノキの白さが映える

慎ましやかではあるが、精一杯の存在感を主張しているようだ

今年はようお照らしがありまして 門徒のおばあさん (一楽真「この世を生きる念仏の教え」から)

石川県に帰省した僧侶のもとに門徒さんから大きな白菜が届けられる

「みごとな白菜ですね」と言うと、自分の努力や工夫については一切口にせず

自分はほんのささやかなお手伝い、お日さまがよく照ってくださったのでこんなになりましたとの返事

人間に独りでできることなんてまずない つねに他に恵まれてこそ人は在る


法然上人や親鸞上人の教えが脈々と受け継がれた越中には、妙好人と呼ばれる人々が多く

その信仰は遠く学僧も及ばないと何かの本で読んだが、この門徒のおばあさんは、まさに妙好人!

未だ蕾のミツバツツジを見て、咲いていたら良いのに〜なんて、思った自分が恥ずかしい


二度見展望所で景色を楽しみながらお茶休憩

今日の目的はブナ林散策なので、此処から引き返してもよいようなものだけど、一応ピークは踏んでおこう

20分程で剣山山頂 大展望が広がってます

 

「はい、ポーズ」 山頂標識の前で記念撮影中の登山者

ベンチで食事休憩していたら、登山者が次から次にと切れ目なく登って来た

さすが百名山! カラフルなザックやウェアが木道を埋め尽くします

  時計を見れば11時過ぎ そろそろ下りようか

下りは大剱神社周りであちらこちら寄り道しながら、12時20分に駐車場


昨日(5月28日)の「折々のことば」より

ちっとも病気しませんが、どこかおかしいんじゃないでしょうか (はらたいら)

医療機関の検査を受けて「基準値」との照合から健康度を測る、そんな風潮を漫画家はちゃかす

すべてを医師の判断に任せるようになって、ひとは自分の身体なのに、その異変にも気づけなくなった


30℃を超える真夏日でも、エアコンの効いた部屋はいたって快適

汗をかくことも少なくなれば、暑い、寒いと言う感覚も多少鈍ってくるかもしれない

勿論、熱中症にならないように気を付けることも必要だけど

体調の変化に気付くには、
自然の中に身を置くことが一番!

人間も自然の一部だと言う事を忘れないでいたい

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