山に想う


週半ばになったら週末の予想天気図と睨めっこ、そんなサイクルがもう20年以上続いている

安全登山をモットーとする軟弱夫婦にとっては、まずは天気です  降水確率0%ともなればもうルンルン

旬の山もいいけどブナの山もいいなぁなどと、山選びの時間が、山行の楽しみ全体の2割くらいのウエイトを占める

目的地が決まると前日はもう小学生の遠足気分

白髪が目立ってきたと言うのに、頭の中身は子どもの頃とあまり変わってないようです

(注 ヘビの画像があります 小さくしていますが嫌な方は目を瞑って見て下さい?)


山の匂い



伯耆大山2012年5月5日

山に入ると独特の匂いがする、いえいえ決して臭いではありません

若葉、緑葉、黄葉、落葉、草、花、木、土、単独もしくはそれらがミックスされた、ほのかに甘い匂いです

森には、五感が捉える癒し効果(森林浴効果))があると言われるが、一番の癒しの要素は匂いだと思っている

もちろん、鳥の声や風の音を聞きながら、グリーンシャワーを体いっぱい浴びるも良し

大ブナに触れてパワーを貰うのも、木の実やキノコ、沢の水など山の恵みを味わうのもまた良しです

もう当分、山はええわと思うほど疲れても、週半ばになり、効果が薄れ始めると、禁断症状がまた山に駆り立てる






シコクイチゲ 石鎚山                     オトメシャジン 八巻山

森の癒しは視覚効果によるものも大きい その代表は何と言っても高山植物です

山歩きを始めて最初に覚えたのは、シコクイチゲとオトメシャジン

田中澄江「花の百名山」(NHK衛星放送版)のビデオ映像を見て、強い印象を受けました

映像では飽き足らず実物を見ると、花自体の愛らしさもそうですが

周りの風景と一体となって岩場に慎ましく咲く花姿に感動したものでした

花を紹介された工藤カツエさんと安森滋さんはビデオの中で 

「石鎚に登り始めて10年経っても初めての花に会うと胸がドキドキする

花は、一生の友達です 花とお話しして行こうかという気持ちになります」

「赤石山の高山植物はけなげで、何もものを言いませんが何かを語りかけてくれる気がする」

花を美的にあるいは学的に見る目線も大事だけど、お二人の様に情緒的に見ればもっと楽しくなると思う

山行の都度沢山の花に巡り合ったが、覚える努力が足りないのか或はキャパが小さくなってきているのか

情報が一つ入ったら二つくらい逃げてしまっているような気がする 

でも、高山植物のレジェンドだと思っているシコクイチゲとオトメシャジンは

押し出されないようにしっかりと奥の方に仕舞い込んでいる


ヘビ



瓶ヶ森2014年10月4日

森の中は癒されるものばかりじゃありません

怖いもの、気持ち悪いものなどがいっぱい、その代表格は私的には何と言ってもヘビです

一度出会った場所は鮮明に記憶に残り、再度そこを歩くときは目をつぶるほどのヘビ嫌いが山に行きたがる

昔は真夏くらいしか見かけなかったと思うが、最近は3月から11月くらいまでと出合う期間が長い

もっとゆっくり冬眠してよと思ったりするが、温暖化で寝不足じゃとヘビにも言い分があるかもしれません

紅葉の頃、瓶ヶ森男山で出会った一匹 これは強烈でした 思わずその場で固まりました

蔵王権現様のお使いじゃ、と、贔屓目にみてもやっぱり怖いものは怖い






八巻山上空で発達する入道雲 2013年7月13日

それからもう一つ カミナリ これは怖い 

家の中に居ても怖いのに、笹原や岩場の稜線を歩いている時に鳴り始めたらと想像するだけで髪の毛が逆立つ

雷は背の高い人に落ちるからOさんと離れて歩くわと、冗談とも本気ともつかない会話をしたのを思い出す

好き勝手に落ちる雷を誘導して、蓄電する技術は無いの? かなりの電力を賄えると思うのですが・・・

山で遠くの雷鳴を聞いたことがあるがこっちに来ないようにただ祈るのみ、幸いこれまで頭上で歓迎を受けたことはない

朝から発雷しそうな日は山行は控え、夕立が予想される日は遅くとも正午には下山を始めることにしている


稜線



伯耆大山 2012年8月5日

「稜線とは山の峰と峰とを結んで続く線、尾根」(広辞苑)

平たく言えば、雨がそこに落ちた時左右どちらに流れようかと迷う所です

讃岐富士のような円錐形の独立峰に稜線は無い・・・・完璧な円錐では無いのでそう言い切れるかどうか?

稜線の中でも最も顕著な尾根の連なりが主稜線、主稜線から枝分かれした尾根が支稜線

花に囲まれた大展望のアルプス主稜線の縦走は登山者の憧れです

稜線と一口に言っても、形状により、高原のような稜線、痩せ尾根、鎌尾根、鋸尾根、ばか尾根など様々です

広い笹原の稜線歩きは爽やかだし、石鎚山東稜の様な両側が急峻な岩の稜線は面白い

でも、面白いと言っても程度がある 

伯耆大山の主稜線のようなナイフエッジは癒しやロマンどころか展望を楽しむ余裕さえない

「落ちるならどちらかというと左じゃ! そこはどっちに落ちてもだめじゃ!」などと、

後ろからのんびりカメラを構えている この歳になって平均台をするとは思ってもみなかった






父山の別れから冠山、平家平を望む 2012年4月8日

近場の日帰り山行では谷の水の世話になることはまずない

夏場のロングコースでも、二人でペットボトル6本(3ℓ)もあれば十分です

50年程前の夏の話になりますが、 グランパには水に苦い思い出があるそうです

山友と3人で銅山峰ヒュッテで一泊し、翌日大永山経由で笹ヶ峰に登り西条に下りる山行の時でした

前夜、ヒュッテ主人の伊藤さんが、長いコースだから朝早く発ちなさい、西山はトラバースしなさい とか

ここにこんな目印があるからとか、地図を書いていろいろ教えて下さった 高校生だけだから心配されたのだろう

翌日は雲一つない上天気、父山の別れまでは教えられた通りのポイントを順調に辿り、大休止

東を見れば、冠山、平家平と素晴らしい稜線が続いている

誰からとはなく、ザックをデポしわずかな水だけ持って稜線に吸い込まれるように下り始めた

恐らく平家平まで2時間もあれば往復できるくらいに見えたのだろう

一の谷越えから冠山への登り返しは笹がうるさく思いの外時間をくったがまだ余裕、

冠山からは水平稜線をルンルン気分で平家平着

ここまでは良かった でも水は飲み干していた

復路は気温も上がり、笹原稜線に太陽が容赦なく照りつける もちろん水の補給はできない

一の谷越えから父山の別れまでの登り返しは、渇きとおまけに空腹で目眩がし、足を引きずりながらもなんとか前に出し

別れに着くと3人とも笹原に倒れ込んだ 危険な状態の一歩手前だった

暫くぼーとし、水と食料を補給して、笹ヶ峰の頂上を踏み、下津池まで下り、バスに乗った

父山の別れを通る度、もう少しでここに碑が建つところだったなどと今では懐かしんでいるが

道草の判断は慎重にとの教訓と、水の大切さを思い知らされる場所になっているとか


麦わら帽子



石鎚山系 伊吹山付近

昔は、背中には土色のキスリングザック、頭にはつば広の麦わら帽子 これが山歩きのファッションでした

トンボ網を持つ子供、稲田で作業するお百姓さん、浜辺で寛ぐ海水浴客たちにも麦わら帽子が似合います

麦わら帽子は、高温多湿の日本の夏を乗り切るために、

先人が築いてきた藁文化を代表するアイテムで、画像からも涼感が伝わってきます

今では軽量で機能的なザックに、おしゃれなハットやキャップが主流となっている

ザック、帽子に限らず、衣料の素材、色、デザインの変化にも目を見張る 

ショップのショウウインドウや雑誌から抜け出てきたようなモデルさんたちで、まるで山はファッションショー

そんな中でグランパは、未だにチェックのシャツと作業ズボンまがいのパンツに拘っている


撤退



岩木山 2013年10月12日                   八甲田山 2013年10月13日
 
登山は自然が相手、毎回イメージした通り目的のピークに立てるとも限りません

岩木山頂上から津軽平野の大展望と、八甲田山池塘の草紅葉を見ようと

ねぶたい目をこすりながら1400kmも走って来たのに

岩木山は、猛烈な風が吹き荒れ、飛ばされないように岩を掴んで這い上がったが頂上目前で撤退

翌日、八甲田山は強風と霰、あまりの寒さに仙人岱避難小屋でお茶だけ飲んで下山した

今回の東北の旅は十和田の日本一の大ブナを見る事よ、と強がる言葉が空しい

石鎚や伊予富士で深雪に阻まれ登頂を断念したことはあるが、これまで無雪期の四国の山で撤退した記憶は無い

「山は逃げない 今日はもう下りて温泉じゃ」と、夫婦登山は気軽で小回りがきくけれど

ツアー登山だったら、ガイドさんの判断は難しいだろうなと苦労を想像した


不遇の山



鞍瀬ノ頭 2009年10月4日

実力があるのに相応に評価されない山を、「不遇の山」と呼ぶことがある

石鎚山系の主稜線上にある鞍瀬ノ頭は、標高(1889m)、容姿、展望、歩き甲斐、

どれをとっても第一級の山ですが、四国百山(高知新聞社)、四国百名山(山と渓谷社)いずれにも選ばれていない

すぐ東隣にある一等三角点を持つ二ノ森(1929.2m)の衛星峰と見られ存在感が薄いのか

縦走路が南面をバイパスするので、ピークは外されがち、あるいは四国四県の地域的バランス

等の理由が考えられるが、選に漏れたことでこの山の魅力が下がるわけでは無い

山ほどある四国の山からあえて100座を選ぶという選者の苦労が窺われる

「元々ここは静かな山域、スタンプラりーの気持ちで多くの登山者に来られてもヨワるがな

心底惚れ込んだ玄人さんだけ来てくれりゃええわ、不遇ともなんとも思うとりゃへん」

とでも言いたげに秀麗な姿で聳えている


赤石山系



前赤石山

グランパの高校時代、地理のB先生が

「土居から小松まで、海岸近くで2000m近い山が連なっている、こんな所は世界中どこにも無い」と言われ

家に帰って世界地図を広げ、へーそうなんだと、東予地方の山々を自慢に思った記憶があるそうです

その「世界一」の中核は勿論石鎚山系ですが、父山の別れから北東に派生した赤石山系は

標高を少し落としながらもより海岸に迫り、独自の山域を造っている

赤石山系の西の雄アケボノツツジの名所西赤石山の麓に生まれ育ったのに、恥ずかしながら

20年程前までは、あの頂上に立ってみたいなどと頭の片隅にも無かったが

子育ても一段落し、夫婦二人きりになってさぁ何をしようかという頃

深田久弥「日本百名山」のTV放送がきっかけで、中高年登山ブームが燃え始めていた

グランパの甘言につられ軽い山からスタートし、西赤石山に登ったのは、1999年(平成11)5月9日

アケボノツツジの愛らしさにうっとり、真下に実家が見える空間を異様に思った事でした

山歩きは、次々欲がエスカレートする 何度か通う内に、今度は東赤石山へ続く尾根を縦走したくなり、

しょっちゅう聞かされていたグランパお気に入りの前赤石山へも足を踏み入れた

そこには溶岩ドームの様な橄欖岩の山塊が、登山者を挑発するように聳えている

岩と格闘しピーク(左奥)に立った時、北アを制覇したくらいの達成感に浸った

その後、四国の登山者のステータス蛾蔵越から権現越へのワイルドな尾根を歩き、赤石山系の脊梁を踏破した

ただ何となく見えているだけだった「世界一の山々」 今では11号線を走る度、感慨深く眺めている

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