2016年01月31日  ”太竜寺山”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号る


駐車地点発(8:10)〜(8:20)一宿寺〜(10:05)太龍寺道合流〜(10:30)太龍寺本堂〜(11:55)舎心ヶ嶽
(11:15)太竜寺山頂(11:45)〜(12:45)二十六丁石分岐〜(13:40)阿瀬比〜(15:10)駐車地点 (7時間)


「これより太龍寺まで1里半、道はちか道なり」と、四国遍路道指南(1687)に紹介されている「かも道」

四国遍路が定着する前からの参拝道であり、修行に訪れたお大師さんも歩いたそうだ

加茂村から尾根伝いに続く太龍寺まで、丁石、観音像を祀った石室、遍路墓等々、たくさんの史跡が残っている

今日は、空海ゆかりの古道ロマンに浸り、西の高野・太龍寺に参拝後

補陀落山(太竜寺山)を経て、一昨年整備されたと言う「いわや道・平等寺道」を下ってみよう



加茂谷中学校近くの車道脇に駐車し、阿波遍路道「かも道」スタート地点の一宿寺へ向かいます

「阿波歴史体感ネットワーク 阿波の遍路道 」(徳島県教委)に拠れば、一宿寺の寺名はお大師さんが泊まったり

また、嘉保年間(1094-1096)に太龍寺を再興するためやって来た京都東寺の僧・長範が宿したことから付いたとか

その時、京都から多くの大工などを呼び寄せたので、地名に京都ゆかりの「加茂」や「醍醐」が残っている

登り口に、四十一丁(町)石と徳島県と阿南市が設置した道標(あと4.8km)がある

那賀川に平行する尾根に取り付く 登り始めは、竹林に沿った急坂です



丁石や説明板を見ながら、古道を登る

石室(三十三観音像を納めていた石の祠 ※観音像は現在一宿寺に移設)22基が確認されている

一宿寺から15分ほどで右からの林道に出会う

太龍寺の丁石(南北朝時代の貞治年間に立てられた尖頭方柱形式の丁石)

11基が県史跡に、7基が市史跡に指定されている

南北朝時代の丁石が残っているのは「鶴林寺道」と「かも道」の2ヶ所だけだそうです


(※ 一宿寺に祀られている観音像)



あと3.5km このあたりから露岩が目立ってくる

苔生した大師像 側面に「文化乙丑(1805)十一月廾一日 小延村 智海」と刻まれていた

説明板に、弘法大師がここから鶴林寺へ飛んでいったという伝説が残ると!



雰囲気の良い自然林の中の道ですが展望がない 一瞬ですが木の間に悠然と流れる大河那賀川

左に道を少し逸れ、石灰岩の採掘現場といわれる岩場から東の展望 大きく抉られた向かいの山が痛々しい



こぶし石 (弘法大師が殴って付いた拳の跡という伝説が残る石)

右に道を少し逸れた小高い所に三角点(370.8m)がある 此処まで、一宿寺から1時間



「にじり石」辺りから、ほぼ水平道となる

「加茂谷村史」に拠ると、にじり石が今も太龍寺に少しずつ近寄っているそうで

寺に到着すると地球が泥海に沈んでしまうという、何とも恐ろしい伝説が残る (これ以上、動かんとってね)

二十一丁石 太龍寺までほぼ半分登ってきた



樹間に太龍寺が見える 足が勝手に前に出るような快適な道を進む 自然林を漏れる日差しが柔らかい

舗装路が見え出し、前回(2012年1月3日)歩いた太龍寺道(四国の道)が右から合わさる



仁王門を潜り巨杉の並ぶ参道を上がってゆく 春遍路のシーズンを前にまだ参拝者を見かけない静かな境内です

那賀川を挟んだ向かいに、遍路ころがしトリオの一翼を担う二十番札所鶴林寺が構えている



「龍天井」 持仏堂の天井に描かれた龍画 竹村松嶺画 水に関わる方々が請雨、止雨を祈願されるそうだ

四国八十八ヶ所霊場第二十一番札所太龍寺本堂 

弘法大師青年期の思想形成に多大な影響を及ぼした場所で、「西の高野」と呼ばれている



ロープウェイ山頂駅から太竜寺山を見る 山頂を踏んだ後は東に延びる長〜い稜線直下を歩く予定です

八十八ヶ所写し霊場を巡りながら山頂に向かう 舗装路終盤は、今日一番の急坂でした



遍路道から少し外れた岩場が(南)舎心ヶ嶽 弘法大師19歳の時修行された場所です

虚空蔵菩薩の化身とされる東方の明けの明星を拝されているお大師さんと、ツーショット

遍路道に復帰し、少し進んでから分岐を左へ 

国指定史跡阿波遍路道「いわや道」(阿瀬比集落まであと4.6km)の案内板がある 

右に取れば北地集落を経てロープウェイ山麓駅方面へ下る



直ぐまた分岐 ここは上の道へ 下はこのあと歩く予定の「いわや道・平等寺道」

3度目の分岐は直進し、道なりに太竜寺山(補陀洛山)を目指す 

右は「ふだらく峠」を越えて唐杉集落にある持福院へ下りる道かな? 気になります



北側の展望が開ける太竜寺山(618m)頂上で、ロープウェイを眺めながらゆっくり食事休憩

引き返し「いわや道・平等寺道」に入る 入口に設置されている注意喚起板



よみがえった歴史の道「阿波遍路道」 2014年11月「加茂谷へんろ道の会」のご尽力で古道が復活した

案内板やお助けロープなど心温まるお接待がありがたい



距離が刻まれた船形の地蔵さんや、石の道標が道脇に残り、約3kmは国史跡に指定されている

遍路道に転げてきそうな大岩 大理石かな? 太龍寺の礎石や石段に大理石が使用され、

「いわや道」の尾根沿いに大理石の採掘跡が確認されているとか

 

ほぼ植林の中の水平道に唯一の展望場 向かいに先ほど歩いた「かも道」の尾根と左に太龍寺が見える

ガレ場を抜け、炭焼き(?)の石積みを見ながら進んでゆくと、二十六丁石がある分岐点



「いわや道」は左に下りて行くけど通行止め 遍路宿があったという黒河(くろごう)の近くに、

弘法大師が、作物を荒らす龍を法力で閉じ込めたという「龍の窟(いわや)」(現在は消滅している)が有ったそうだ

採掘場近くまではなんとか道はあるらしいが、その先は? 直進し「平等寺道」を行く



「いわや道・平等寺道」に入り、1時間程はほとんど高度が下がらない

標高420m位で主尾根を乗越し、緩やかに下り始めたその先には急坂が待っていた

「要注意 急な下り道  ご無事が一番」の注意喚起板 その通りです

平等寺道には丁石が無いなと思っていたら・・・・有りました、三十九丁石 でも、これだけだったと思う



棚田跡を見ながら沢沿いの道を下ると山道が終わり、廃屋傍に置かれた案内板が労ってくれる

やっと周りが開けてきてほっと一息 土筆やフキノトウなど、春の便りはまだかな〜?



満開の梅やお堂を見て、阿瀬比(あせび)集落を抜け県道に出る 遍路道は右平等寺方面へと続いている

県道を左に取れば、出発点の加茂 あと6kmか〜

先ずは、畔の縁石に腰掛けてコーヒータイム さぁ頑張って歩こ

加茂谷川の流れや歩いた尾根、「龍の窟」跡辺りを眺めながら、駐車地点に帰って来た


地元の方々の地道な保護活動でよみがえった、歴史の道「阿波遍路道」

お陰様で、遍路道のルーツとも言える古道を快適に歩くことが出来ました

ありがとうございました

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