古来より、日本には八百万の神がおわします
京都東山にある豊国神社に祀られている豊国大明神とは豊臣秀吉のこと
北野天満宮(菅原道真)、白峯神社(崇徳天皇)、神田明神(平将門)等は
怨霊を鎮めるために造った神社ですから、人が神として祀られたのは秀吉が最初です
因みに、家康も東照大権現として祀られている
余談はさておき
大豊町の明神岳には巨岩が多く、山頂付近の天之御柱と彫られた岩塔に祠が祀られていると
「れいほくネイチャーハント ガイドブック」で紹介されており、大豊町史より引用した説明にも
”日本の原始の神道は、始めから社殿を設けたものではなく「神祭りの区域へ忌串(いみぐし)を立てる」
或いは「石を建てて岩境を造る」又は、「巨石・巨厳を神の憑りかかり給う所」とした。”とある
神の名を冠した明神岳の岩塔は、神祭りの時に神が降臨する依代(よりしろ)だったのかしら?
謎だらけの太古の昔を想像するだけでも、ロマンですね〜
国道32号から分かれ(以前、法面に張り付けられていた標識・明神岳登り口約3kmは無くなっている)
狭隘な町道大水口線を進むと大水口集落に着くが、何処にも停められそうに無い
少し引き返して、離合に十分なスペースのある路肩に駐車して出発
集落を過ぎると、春先だからかもしれないが道はかなり荒れている
4駆の軽でもしんどいかもと思いながら、昨日の雨で小川になった坂道を登って行く
集落から30分で眺望所(NTT鉄塔)との分岐
林道を進み、圧倒されるほどの巨大岩壁を見たら、直ぐ「登り口」の標識
登り口から数分で、突如として現れた岩塔 「天之御柱」と彫られている
傍の石碑に刻まれた「天之御柱建立の辞」
四国の山脈峨々として連ら裡に南に太平洋を眺望するこの明神岳山頂に突
覚として聳ゆる天空の岩礎あり高さ十余丈 十余年前日本の国土戦後壊乱の底より復興の兆も見えず社会制度の改変と精神理念の対立とは種々の軋轢を生じ数々
の混乱事故相次で起り伝統の精神良俗地を掃し円満大調和の裡に発展する豊かなる社会の建設人心の建直しはその曙光も見えざる頃四国の山中久寿軒の山庵に神
武皇尊霊より明神岳山上に天之御柱を建立し天界より人の世に脈々と伝わる御生命と御光と御教えの道を明かにせよとの神示あり 惟うに天之御柱とは宇宙根元
の祖神天之御中主神より天常立または国常立神までを言い此間天地水陸ほゞ明かに相分れ多くの生物を生じ適度の生命の気と霊気は気相金骨の神の気と相俟って
発展の素地を造りまた国の御柱人の御柱と共に人類社会の困難を救い生成興隆の源をなす 尓後数年山上を清め昭和 卄八年七月卄五日真桧の假の御柱を建て年毎
に御柱を行う耒天行壮にして地の上に顕る神の御光も豊に御證示をも幾度か添て日本社会人類隆昌の為天界の丈妙にして壮なる御気を恵み給う 昭和
卅一年十二
月卄三日御柱南方山並の上に天空より降掛る綾に美しき光彩の天蓋を仰ぎ近隣天坪○の人の眼にも入る卅七年十二月卄三日御柱の元に金色のベールを纏う山鵄を
見山頂に八咫烏を見るの瑞象に接す今春岩礎に𡧃字彫刻の神示を享け本日其工を竣う尓今この御柱を源として人類社会人心の総○ち面融和発展光明光の御法を弥栄に迎え豊に導き給ひしことを心集う諸人と共に心より期す
昭和卅九年七月卄五日天之御中主奉斎会建立
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(不明は○とし書き写しましたが、間違っている個所も有ると思います)
昭和39年といえば、東京五輪の年 「巨人 大鵬 卵焼き」なんて言葉が流行ってたけど
日本の高度経済成長期で、子ども心にも日本中が希望に溢れていると感じていた
あれから半世紀余を経て2020年に再び東京五輪が開催されるが、世の中も随分変わりました
北側に回り込んでみると、岩塔の付け根に祠が祀られている
回りの杉が無ければ、日が差し込みより神聖な空間になるだろう
天之御柱からひと登りで、明神岳山頂 アンテナ鉄塔のフェンス側に、三角点(743.1m)
木々が茂っていて展望は無い
頂上標識から西の方にある苔むした巨岩の中をウロウロしていたら
大岩の天辺に祠があり、側には屋根が落ちていた
ひょっとして蔵王権現様が祀られていないかと中を覗き込んだが・・・何の痕跡も無い
ご神体は里に下されたのかもしれない
祠下にある石舞台のようなテーブル岩に上がって、西の方面を眺める
大水口集落まで帰って来て明神岳方面を見上げると、真っ青な空〜♪
往復1時間40分の「天之御柱」詣ででした
下山後、
以前からその名前が気になっていた無人駅・JR土讃線「角茂谷(かくもだに)」駅へ
後数分待てば特急が通過する時間なので、待合所に腰掛けていたら
強風のため瀬戸大橋線が止まっているため、全線で遅れが生じているとの構内放送
まぁ、高知はこんなに好い天気なのに・・・明日からまた寒くなりそうです
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