2016年02月27日  ”曼陀峰”



GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号る




駐車地点(7:50)〜(9:05)曼陀峰〜(9:40)旧曼陀峠〜(11:00)境目峠七田バス停〜(11:25)駐車地点 
                                                  (3時間35分)

グランパ一人歩きです

四国に三県境の山は2つ 三傍示山(1157.7m 三角点は境から少し北にある)と、今日登る曼陀峰(595.1m)

すぐ東の曼陀峠からでもよいが物足りないので、国道192号七田バス停から「四国のみち」を歩きます



国道沿いに車を停め、歩き始める 国道から分かれ北側の車道に入る

分れに、「←三角寺12.4km 雲辺寺→11.3km」の道標が立つ

三角寺を打ち終えた歩き遍路さんは、この曼陀峠道、七田バス停から南の境目峠道 

あるいは国道を真っ直ぐ進み境目トンネルを抜ける、いづれかの道を歩いて次の札所雲辺寺を目指します

金生川を渡り、どんどん高度を上げる 紅梅が満開、山里に春は近い



集落を抜けると植林の中の単調な車道歩きが続く 西に当市市街地がぼんやり見える

歩き始めて1時間、やっと車道から分かれ山道に入る 車道は右に続く



山道に入って10分弱、曼陀峰南尾根に出ると、「四国のみち」案内板や道標

足もとには、2体の可愛い地蔵さんが仲良く並んでいる

赤テープを辿り尾根を北に進み、曼陀峰頂上  「海老済」(えびすくいと読むようです)と書かれた山頂標識が立つ

林の中で展望は無く、三県境にある三角点というだけでこれといった特徴も無い



頂上から東尾根を下り、阿讃縦走路を左(金見山方面)に見て、「四国のみち」に復帰する

今日はほとんど車道歩き わずかに路傍の石仏が古道の雰囲気を醸し出す



急な木段を下りて曼陀峠 バイクが一台停まっている 車道を東に歩き、説明版が立つ旧曼陀峠 

曼陀の由来や、阿波と讃岐を結ぶ生活道で、江戸時代は巡検道、戦前は借耕牛の道として賑わったとか記されていた

峠道は、讃岐側(左)は竹藪に消えかかり、阿波側はもう雰囲気さえ見付けられない

今日はここまで 車道を引き返す (581pは北側の作業道を歩く)



曼陀峰は東面をトラバースし、南尾根を過ぎた所でショートカットし車道へ

「鉈彫り神像作者 石川助吉翁住居跡 この下50m」と書かれた説明版に誘われ荒れた道を下る

藪に埋もれてしまいそうな窪地に、「伊予の円空」と呼ばれた石川翁の碑がひっそりと立つ

翁は天保4年(1833)生まれで、千数百体もの鉈彫り神像を残したそうです

車道に復帰し、NTT電波塔や野菜畑を見ながら県境尾根につけられた狭い車道をどんどん下ってゆく



境目→0.8kmの道標に従い右に入る 入口は藪っぽいがすぐ快適な山道になる

野菜畑で農作業中のご夫婦と話をし、再び山道に入り、少し進むと集落に出た



突き当りが境目峠 「従是東徳島県三好郡」と刻まれた大きな石標が立ち

すぐ横に、かろうじて192と読める錆びた標識が石垣にもたれかかっている

国道192境目トンネルが出来る前は、この峠道が愛媛と徳島を繋ぐ動脈でした

相当昔、原付バイクでこの峠を越えて阿波池田まわりで高知へ行ったことを思い出す 

四国の高速道路で特に高知道は革命です 今では4県都で高知が一番近くなった

車道を進み、途中からへんろ道に入り、風情ある道標を見て七田バス停に下りて来た

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