2017年01月28日  ”高野山町石道”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る

P(道の駅 柿の郷くどやま)  A(慈尊院)  B(六本杉峠)  C(二ツ鳥居)  D(笠木峠)
 E(矢立)  F(大門)  G(金剛峯寺)  H(不動坂口女人堂)  I(極楽橋駅)  J(九度山駅)


紀伊半島は、広大なパワースポット

2004年7月7日、熊野三山、高野山、吉野・大峯の3霊場とそこに至る参詣道が

「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録された

高野山では、慈尊院、丹生官省符神社、丹生都比売神社、金剛峯寺、高野山町石道が登録されている


今回は、九度山の慈尊院から高野山町石道(ちょういしみち)を登り、壇上伽藍の金堂、金剛峯寺へ参拝後

不動坂口女人堂を経て極楽橋駅まで京大坂道(不動坂)を歩き、南海高野線で九度山駅へ下りて来ます

 
道の駅 柿の郷くどやま(7:40)〜(7:45)慈尊院〜(9:30)六本杉峠〜(10:05)二ツ鳥居
(10:30)神田地蔵堂(10:45)〜(11:25)
笠木峠(12:15)矢立(12:30)〜(14:35)大門
(15:15)
金剛峯寺〜(15:35)不動坂口女人堂〜(16:30)極楽橋駅     (8時間50分)
極楽橋駅(16:43)〜電車〜(17:10)九度山駅〜(17:30)道の駅 柿の郷くどやま (20分)



「道の駅 柿の郷くどやま」に車を停めさせていただき、出発

 聯(れん)に書かれた、世界遺産慈尊院 高野山町石道 祈りの道出発点を見て山門を潜る

弘法大師の母公・玉依御前が晩年留まった事で「女人高野」とも称され、国宝の弥勒仏坐像が本尊

因みに、お大師さんが月に九度も母公に会いに高野山を下ったのが九度山の名の由来との説も伝わる



慈尊院から神社へ向かう石段途中に、鎌倉期に建立されたという五輪塔形の百八十町石

此処から、壇上伽藍まで一町(約109m)ごとに180基、胎蔵界曼荼羅の百八十尊の諸仏を現す町石が迎えてくれる

世界遺産  丹生官省符神社(にうかんしょうぷじんじゃ)に参拝し、拝殿右から町石道を行く



山道の入口に「クマ注意」の看板 この後何ヵ所かに喚起板がある 今は冬眠中でしょう

百六十六町石を過ぎたところにある展望台から、紀ノ川を見下ろす

周りの小高い山を見渡せば、一面に柿の木が植えられている

秋は見事な光景だろうなと思いながら歩いていると、道端にミカンの良心市 勿論、買いました

左前方遥か彼方に高野山の山並みが霞んでいる あそこまで歩くの? ため息が出ます



「榧蒔石(かやまきいし)」 弘法大師が、この石の上から榧(カヤ)の種を蒔いたと伝わる

それまで貧しかった山崎の地は、商材、食用、燃料に使えるカヤノキのおかげで大いに栄えたそうだ

 町石道整備の給金を、この「銭壺石(ぜんつぼいし)」上に置いた壺から掴み取りさせたとか

壺は 上部がくびれていたので、たくさん掴んでも手が抜けず

手の大きさに関わらず、取り出す銭の量に大差なかったといわれている

今日は、銭の入った壺ではなく、石の重しとお賽銭が入ったザルが置かれていた



赤い鳥居と百五十四町石を見て直ぐ、雨引山分岐

雨引山まで400mほどだけど、先が長いのでパスします

百三十七町石から3分で、六本杉峠 此処は、天野の里への分岐

天野の里へ下って登り返せば二ツ鳥居で町石道に合流しますが、此処もパス



緩やかな町石道を歩いて二ツ鳥居へ向かう

二ツ鳥居手前の展望所から見える鄙びた里が

白洲正子著の「かくれ里」で、 標高450mの山上の桃源郷と紹介されている天野の里

 高野御子大神の母神を祀った丹生都比売神社(にうつひめ)が、高野山を護っているそうだ

西行や平家物語ゆかりの地でもある閑かな山村を、のんびりと歩くのも楽しいだろうなと飽かず眺めた



弘仁10年(819)弘法大師によって建立された「二ツ鳥居(国の史跡)」

「白蛇(はくじゃ)の岩」  この岩には白蛇が棲みついており

お参りをして白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられている

幸せになるんなら見たい気もするけれど・・・まぁ、何事も程々 見なくてもいいかな



木喰応其上人が造った溜め池「神田応基池(おうごいけ)」や紀伊高原GCを見ながら下って行く

このティグランドから池向こうのグリーンまで150ヤードくらい飛ばせば、ワンオンでしょう

楽勝コースみたいです

神田地蔵堂(こうだじぞうどう) 掃除の行き届いたトイレもあり、休憩には最適の場所です

此処、神田は神様の田という意味で、古くから丹生都比売神社の御供田だったそうだ

長閑な田園風景を眺めながら、畔に腰掛け暫し日向ぼっこ

オオイヌノフグリのブルーが点々とする畔は、今にも土筆が生え出しそうな雰囲気です

 グランパは心地良さそうに煙を燻らせている



慈尊院から3時間半で九十町石 やっと半分

笠木峠 左上古沢駅3.5kmの道標



三里石を過ぎると、左下に車道が見える

車の音を聞きながら、擬木の柵に守られた道を緩やかに下ってゆくと矢立

町石道唯一の店、矢立茶屋で名物のやきもちを頂きながら小休止



「袈裟掛石(けさかけいし)」 大師が袈裟を掛けられたといわれており、この石から高野山の清浄結界となる

「押上石(おしあげいし)」 大師の母が受難の際この大磐石を押し上げ母を隠まったといわれている



大杉が目立ち始め、古道の雰囲気に浸りながら歩いていく

矢立から40分で車道に当り、横切る



展望台から北方を見る 同じような山並みで何処を歩いて来たのかよく分からない

車道と並走するように町石道が続く



「鏡石」 この石に向かって真言を唱えると心願成就するといわれている

枝沢に架かる木橋を何本か渡りながら、沢沿いの雪道を行く



急な斜面を切り返しながら登り切ると車道に飛び出し、目の前に現れた壮麗な大門に圧倒される

標高848m ここが今日の最高点です

高野山は、10年ほど前、四国八十八ヶ所結願報告に訪れて以来です

大門背後の六町石を確認して、路肩に雪が積まれた車道を歩き壇上伽藍へ向かう

途中、コンビニでコーヒータイム

車道脇の柵の中に一町石を見て中門を潜れば、高野山祈りの道・町石道はゴール やれやれです



中門から石段を上がると、薬師如来を祀る金堂(昭和7年再建)

この辺りが壇上伽藍と呼ばれる一帯で、高野山で最も早く開かれたところです

往時は「四面高嶺にして人蹤蹊絶(じんしょうみちた)えたり」と大師自身の言葉にあるように

深山幽谷の地であった修行地も、1200年もの時が流れ山上の一大宗教都市として賑わっている

金堂右奥に見える鮮やかな朱色の多宝塔は、胎蔵界大日如来と金剛界四仏が祀られている根本大塔

金堂から5分ほどで、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺の主殿

現在の建物は、文久3年(1863)に再建 檜皮葺の屋根に雨水を溜める防火用の天水桶が置かれている

壇上伽藍から奥之院弘法大師御廟へ36基、金剛界37尊(御廟が三十七町石)が導く町石道が続くが

今日は「高野七口」に唯一残る女人堂も訪ねたいので、町石道とは別れ不動坂口へ向かう



徳川家霊台前を通り緩やかに登り返せば、静かな佇まいの不動坂口女人堂

高野山は、明治初期まで1千年余りに亘って女人禁制であったため

高野七口と呼ばれた、大門口、龍神口、相の浦口、大滝口、大峰口、黒河口、不動坂口には

山内に入れない女性の籠り堂として女人堂が設けられていた

女人堂から高野山駅へのバス専用道路を少し下り、ゲート手前右の道(京大坂道)に入る

5分ほどで花折坂の案内板のある分岐 道標は右を指しているが道なりに下る



女人堂から15分ほどで、清不動堂(きよめふどうどう) 花折坂の道は、堂の右奥に下りて来ている

兒瀧(こたき 別名稚児の滝)や萬丈が嶽(まんじょうがたき)を見ながら舗装路を下る

高野山駅からケーブルに乗れば5分で極楽橋駅に下りれたんですが・・・・



歩き難い凍った雪道をテクテクと50分、やっと極楽橋に着きました

南海高野線極楽橋駅から狭隘な谷間を電車に揺られ30分弱 六文銭の幟が旗めく九度山駅着 

此処は、真田昌幸、幸村親子ゆかりの地 昨年は、大河ドラマ「真田丸」で大賑わいだったことでしょう

親子が閑居した真田庵前を通り、夕闇迫る道の駅着 山中約10時間、歩行距離30km 長かった〜

でも、天気に恵まれ、適度に雪も楽しみながら、古道ロマンたっぷりのいい歩きが出来ました

道の駅がまだ開いていたので、お土産をたくさん買い、橋本市の宿へ

明日は万葉ロマンの山を訪ねます


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