2017年06月10日 ”一ノ森・剣山・次郎笈”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


今年90歳になる読友が、10年程前イスラエルの駐日大使だった方に同行して

古代ユダヤにまつわる剣山や神社を尋ねた話をしてくれた

それって「ソロモンの秘宝」じゃない!

剣山に伝わるソロモンの秘宝埋蔵説とは、2500年余り前、縄文時代末期に遡る

イスラエル王国が栄華を極めた第三代ソロモン王(BC971−931)の時代

「十戒を記した石版」「マナの壺」「アロンの杖」を納めた「契約の箱(聖櫃)」が、エルサレム宮殿に祀られていたが

BC720年、アッシリアに滅ぼされた時、莫大な財宝も契約の箱も宮殿から忽然と消えていたのです

それが、国外へ逃れ日本に辿り着いたイスラエル支族によって剣山に埋められたという

2014年9月の徳島新聞に掲載された

「剣山に隠された古代ユダヤと日本創世の秘密」シンポジュームも興味深い

今日は、秘宝にまつわる剣山の「鶴岩亀岩」を見てから、穴吹町の「白人神社」「磐境神明神社」を尋ねます


見ノ越P(7:55)〜(9:10)刀掛〜(10:15)一ノ森(10:40)〜(11:35)剣山(鶴岩亀岩)
〜(12:35)次郎笈(12:55)〜(13:55)大剣神社(14:05)〜(15:00)P (7時間5分)



気象庁が、6月7日、四国から関東甲信まで「梅雨入りしたとみられる」と発表した

最近の入梅宣言は、なんとなくトーンが低い こんな弱気では降るものも降りません

今日も青空 登山口の剱神社から三嶺がくっきり見える

ブナの森の美味しい空気をたっぷり味わおうと、祖谷川源流回りで西島へ

ぴんぼけぎゃらりーさんご夫妻とお会いし、話に華が咲く

枝折神社が鎮座する刀掛ノ松から、一ノ森へのトラバース道(行場への道)に入る

急峻な谷で、シシウドやキレンゲショウマなど大型の夏花が宴の準備中



古剱神社                          三十五社

2015年の夏は、登山道が崩落していて此処まで来られなかったけど

今日は、崩れた個所に梯子段やロープが設置されていて問題無し 有り難いことです



緑に包まれた両剱神社付近の谷は、土石流の爪痕が生々しく残る

「一ノ森 1500m」と書かれた新しい道標に従って、復旧した登山道を進む

穴吹川源流の谷に架かる橋  梅雨時だというのに、水量は少ない



追分分岐 登山道の崩落で全面通行止になってから随分になるけど

追分道に人気がしなかったら、大カツラやブナの長老が退屈するでしょう

復旧されるという噂も聞こえてきたし、今年中くらいには歩けるようになるかな?

分岐から直ぐのオオヤマレンゲ  まだまだ固い蕾でした

 

殉難碑の建つ縦走路に出て、一ノ森をトラバースし先ずはヒユッテに向かう

あまり訪れる人もいないのか、ひっそりと佇む一ノ森神社

淹れたての美味しいコーヒーを頂きながら、ヒュッテの庭で寛ぐ 

ご一緒になったグループの方は、3時起きで姫路から来られたとか それはお疲れ様です

 

絵になるヒユッテの青屋根を見下ろしながら、一ノ森頂上(△1879.6m)へ

刀掛ノ松でお別れしたぴんぼけぎゃらりーさんご夫妻が、一足早く山頂に着かれ

ソロの方と展望を楽しまれていた これから槍戸山へ行かれるそうです

一ノ森からは稜線を辿り、太郎を経て左奥に見える次郎まで足を延ばします

 

稜線上の小さなコブ、二ノ森には、二ノ森神社が鎮座する

辺りの立ち枯れ木が痛々しい経塚森を過ぎると、剣山が近くなった

 

平家の馬場に出て木道を進むと、宝蔵石

この巨大な磐座に、安徳天皇の宝剣が納められているとか、「契約の箱」が納められているとか伝わる

あれが「鶴岩亀岩」だろうと、雲海荘近くの木道から見下ろす
 
歴史をひも解けば、神社の造り、年中行事や儀式、言葉や作法がユダヤと似ているのは

国を追われたイスラエルの支族がこの地に逃げ延びたからと、剣山秘宝埋蔵説を信じた人が居た

さて、この大きな山塊の何処に? 

かつて「鶴亀山(つるぎさん)」と表記されていたは、秘宝の場所を示しているのではないか!!!

同志3人で 亀岩の下を数年間かけて掘り進んだところ、131m地点で巨大な球体型の太陽石が出て来た

さらにはその奥に、大理石で出来たアーチ門や高さ15mほどのピラミッド型の空間までも発見したそうです

ところが、第2次大戦直前の不穏な時期、時の政府に強制的に止めさせられたとか

掘り出された太陽石は「聖なる鏡石」として、現在、剱神社に祀られている

 

剣山山頂(△1955.0m)、右奥に一ノ森

次郎笈が呼んでいる〜 吊尾根を下るにつれ、高く大きくなってくる次郎笈



 山頂付近ではあまり咲いてなかったが、縦走路の足元にツマトリソウ

ジロウキュウ峠手前より、剣山を振り返る


 
ジャンクションピーク   左へ少し進むと次郎笈(△1930.0m)

ジャンクションピークから縦走路を眺めていたら、ソロの方がグングン近付いて来た

後から分かったのですが、岡山のヤマッパー・ブルさんでした

何と、三嶺から剣山まで4時間で縦走し、見ノ越から名頃までも走られたとか

トレラン、恐るべし!です



山頂から南へ進み、南斜面を彩るミツバツツジのピンク色を見ながら、お昼タイムにします

この頃、山友の江崎隊長、biscoさんが剣山を目指して縦走中でした

下山途中、二度見展望所手前から振り返る次郎笈 いつ見ても、良い姿です



ミツバツツジと三嶺  遊歩道沿いには、未だ蕾がたくさん付いた木も有りました

天突くご神体、御塔石に圧倒されながら、大剱神社へ登り返す



大剱神社で寛いでいたら、団体さんが到着されたのでベンチを譲り、大剱道を下山します

そろそろ咲き始めたかな〜?と、期待していたフガクスズムシソウはご覧の通り

でも、花軸、花柄が育っているので間もなくかな 「今年も、可愛い花を咲かせてね〜」


さて、今日もう一つの目的地は古代ユダヤとの関わりが見られるという神社

木屋平回りで穴吹町宮内へ向かいます



白人神社には、第24代・仁賢天皇時代(古墳時代)に白髪の老翁が天降り、神々を祀り鎮め

「この地は聖地なり宮内と改めるべし」と告げたと謂われているが、もともとの縁起は分からない

美馬市HPに拠ると、1600年ごろ阿波藩蜂須賀家の筆頭家老・稲田修理亮によって再興されたとある

神社駐車場から、 白人神社奥宮が祀られている神明山を見ると

参道の鳥居が崩れ、鬱蒼としていたであろう照葉樹林の森も伐採されていた

急な石段を130段ほど登ると広場が有り、見慣れぬ石積みの不思議な空間が広がっている



穴吹町指定文化財、磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)

南向きの正面に入口が三カ所 平たい石を積み重ねた石垣で囲われた聖域に、石殿が5基祀られている

イスラエルの元駐日大使のコーヘン氏は、古代ユダヤの祭祀場と同じ造りに驚かれたそうだ

この地に渡来した古代イスラエル人が日本建国に関わったという「日ユ同祖論」もある

日本語とヘブライ語に似た言葉も有るらしいし、他にも気になることが・・・

例えば、剱山本宮神社例大祭で神輿が剣山へ担ぎ上げられる7月17日は

 旧約聖書に拠れば、ノアの箱舟がアララト山(何処かは不明)に辿り着いたとされる日

そして、阿波には天岩戸伝説を始め、古事記に載る神々を祀った神社も多い

また、天皇即位後に行われる大嘗祭で奉納される、麻の神衣(かむそ)「麁服 (あらたえ)」は

代々、木屋平村の三木家で織られたものを献上しているそうだ


かのモーゼが作り、イスラエル建国の父、ダビデから受け継がれてきた「契約の箱」が見つかったら

日本創生に関わる世紀の大発見ですが・・・謎は謎のままの方がロマンですねぇ

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