2017年08月26日 「吉田の火祭り」


毎年8月26日、27日は、北口本宮富士浅間神社と諏訪神社、両神社の秋祭り「鎮火大祭」が行われる

日本三大奇祭の一つ、「吉田の火祭り」と呼ばれるこの祭りは

富士登山の安全に感謝し、霊山の短い夏の終わりを告げるお山じまいの祭りです

霊峰富士を焦がす炎の祭り、見てみた〜い!



霊峰富士に抱かれた富士吉田市上吉田

テレビ局もクレーン車に乗ってスタンバイです



参拝者で賑わう北口本宮富士浅間神社(境内の西隅に富士登山門がある)

本殿にお参りし塗の杯でお神酒をいただけば、祭り気分も高揚してきます

4時45分 「ドーン、ドーン」と、大太鼓の音が鳴り響き歓声が上がる

浅間神社と境内社・諏訪神社の御神霊が遷御された明神神輿

続いて、”お山さん”と呼ばれる御山神輿 (御影 みかげ )が、勢いよく境内に繰り出す

世話人の氏子さんが「触っても良いよ」と言ってくれたので、”お山さん”にタッチ!

神社を発輿した2台の神輿は、ヨッセ、ヨッセの掛け声とともに街中を練り歩き

夕やみ迫る頃、御旅所(上吉田コミュニティセンター)に到着 太々神楽が奉納される



6時40分 大松明に一斉点火

金鳥居から浅間神社まで、およそ2km  燃え盛る大松明、ミニ松明、合わせて94本が夜空を焦がす

パチパチと火の粉が弾ける中、大勢の見物人(17万5千人)が行き交い、祭りも最高潮に達します

(五合目から八合目までの山小屋でも、同時に松明が灯されるそうです)

富士山火焔太鼓の演奏を聴きながら「ふじやまビール」も味わい、ホテルに帰って熟睡でした


27日 ”富士古道(吉田口馬返〜六合目)

今日は、御神霊が神社に還る還幸祭「すすき祭り」が行われます

折角、富士吉田まで来たのだから、 お天気は思わしくないけれど富士古道を歩いて来よう

霧雨の中、吉田口馬返へ向かいます

大松明が燃え盛った道路は一夜のうちに掃除され、すっかり綺麗になっていた

登山口の駐車場に30台ほど停められている(下山時は、道路に溢れていました)

先着の若いお二人は、剣ヶ峰まで登りお鉢を巡って3時頃に下山する予定だと

素敵な笑顔を残して走って行った 恐るべし、トレラン!

我々は旧跡を尋ねながら、歳相応にのんびり歩いて行きます


吉田口馬返(7:20)〜(8:20)三合目〜(9:35)五合目佐藤小屋(10:45)〜(10:15)六合目(10:35)
(10:50)里見平・景観荘(11:00)〜(11:55)三合目(12:05)〜(12:55)馬返     (5時間35分)



ゲートをすり抜け、馬返登山口(1430m)を出発

程なくして霧雨は止んだけど、辺りはガスで真っ白です

展望もあまり無い古道歩きなので「まぁいいか」と思いながらも、気が萎えます

昔、馬も登れない急坂のため「馬返」といったらしいが、緩やかな参道が続く

暫く進むと狛犬ならぬ狛猿に迎えられ、鈴原天照大神社の立派な鳥居を潜る

鳥居奥の禊所を過ぎれば、登山道らしくなって来た



一合目(1520m) 鈴原天照大神社

2012年、それまで荒廃していた登山道が整備されたそうで

各所に浸透枡や排水溝を設け、雪解け水で登山道が洗掘されるのを防いでいる

休憩中の団体さんと、暫し談笑 今日は七合目泊まりだとか

明朝、素敵なご来光が拝めると良いですね〜



苔生した石塔が古道らしい雰囲気を醸し出す

二合目(1700m) 「富士之本社」とされる最古の神社、富士御室(小室)浅間神社

文武3年(699年)に奉斎され、1970年代に本殿は富士河口湖町勝山の里宮に遷祀されている

「建造物倒壊の危険が有るため立入禁止」と、ロープが張り巡らされていて入れないが

奥宮が祀られていて、毎年6月には例祭が行われているらしい

女人禁制が布かれていた江戸時代は、吉田村の御師が登山役所の勤番を務めていた



石が敷かれていない浸透枡は、ぬかるんでいる

それにしても登山者が少ない 先ほどの団体さんに会ったきり、殆ど貸切の古道

三合目(1840m) 三権茶屋(中食堂)

その昔、富士講の人達は早朝上吉田を発ち、此処で昼食をとったそうです

折角の見晴らし場なのに、湧き上がるガスで何も見えません

傍らに、道了尊、秋葉、飯綱の三社を合祀した三社宮の石碑が残る



「細尾根橋」の袂で数人の方が休憩中

四合目 大黒小屋

此処は、上吉田の御師・大国屋所有の小屋で大黒天像が祀られていた茶屋跡



古道の雰囲気たっぷりの石畳が続く

四合5勺(1970m)  休憩、宿泊所だった井上小屋 

戦国時代は、此処からが女人禁制 女人禅定の追立の場とされていた

左手の岩壁が神の依り付く石・御座石で、かつては浅間明神と日本武尊の祠が祀られていたとか

御座石を、よく見ると「日本橋」と字が彫られている 何だろう?



此処辺り一帯は「中宮」「天地の境」  昔は見晴らしが良く、ご来光も拝めたそうだ

富士守稲荷が祀られた山小屋「たばこ屋」 不動を祀った山小屋「富士山雲切不動神社」が残る

江戸時代には中宮役場と呼ばれ、登山者から122文の山役銭(入山料)を徴収していた

 

五合目標柱が立つ滝沢林道に出合う(標柱には2305mとあるが、2210mほどか?)

林道を3,4分進んで、稲荷小祠の所から指標に従い登山道に入る

再び林道を横切り、花畑に迎えられて、五合目(2230m) 佐藤小屋

景色も見えないし、もう此処から引き返そうか・・・・

 

小屋のベンチでぐずぐずしていたら、ガスが流れ霊峰富士が姿を見せている!

富士スバルライン五合目から歩いてくる人の列もよく見える

「六合目まで、頑張ろう!」 六合目と書かれた「里見平、景観荘」前を通過

 

日蓮上人が法華経を埋納したとされる経ヶ岳を過ぎると、 六角堂 大きな日蓮上人の像が見下ろす

日蓮が百日間参籠したとされる洞窟への道を示す「姥ヶ懐」の石碑を左に見て、直進する

ハクサンシャクナゲの群生 一斉に咲いたら見事だろうなぁ

足下に、ヤマオダマキ、シオガマ等々の花を見ながら進む

 
 
高度が上がると、富士スバルライン五合目越しに白根三山が姿を現した

樹林が途切れ、砂礫の道となる

 

 富士スバルライン吉田口登山道と合わさる、 六合目(2390m)

頂上へ続く人の列を見ていると、深田久弥のいう「大通俗」を思い出す

太古から、聖なる山とし畏敬の念をもって仰ぎ称えられてきた富士山

富士の嶺を 高みかしこみ 天雲も い行きはばかり たなびくものを

と人麻呂も詠っているように


やっぱり、霊山は遠くから眺める方がいいかな?



景観荘まで下りて来てコーヒータイム後、下山です

登りの方とすれ違いながら三合目まで下りて来ると、食事休憩中の団体さんでいっぱい

トレランの方が軽快に走り抜けて行きます

 

登山口近くにある大文司屋(明大山荘) 夏の間は毎日「お休み処」が開店

「お疲れさん、休みませんか〜」 冷たくて美味しいお茶をいただきながら、四方山話に華が咲く

これから四国に帰ると言うと、「運転気を付けて〜」と、見送ってくださった


駐車場を後にして10分の所に、昔ながらの「中ノ茶屋」がある

この辺りは聖と俗との境界ということで「遊境」と謂われていたそうだ


さて、鳴沢村「道の駅なるさわ」でのんびりしてから、青木ヶ原樹海、朝霧高原を走り、ちょっと観光



富士山の伏流水が流れ落ちる「白糸ノ滝」

昔は、富士講の行者が安全を祈願して禊をしたという

マイナスイオンで心身爽快 疲れも吹き飛びました

4時半、新富士ICから新東名に乗り、渋滞も無く11時半に帰宅

火祭り、古道歩き、観光と、充実の2日間でした

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