「明日はオクサリをかけに行こうか」
そんな風に言われ石鎚山と思ってたら、船に乗って行くという???
竹原市忠海の修験のお山で、山頂に石鎚神社が祀られているとか
「行く、行く」 二つ返事で、決まり〜
GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
承認番号 平18総使 第582号る
忠海港発(7:40)〜(7:50)地蔵院〜(8:00)さくら堂〜(8:40)石鎚山祠〜(8:50)黒滝山(9:00)〜(9:20)龍泉寺駐車場
(9:45)白滝山(10:00)〜(10:10)展望台(10:15)〜(10:30)車道〜(11:00)さくら堂〜(11:20)港 (3時間40分)
大三島盛港を7時に出港、竹原市忠海港に7時25分着
港のカフェで温かいコーヒーを飲み、眠気を覚ましてから歩き始める
港に建つ常夜灯は綿屋清左衛門が寄贈(この綿屋宅に伊能忠敬一行が宿泊したそうだ)
忠海最古の寺、1303年建立の「霊厳山 地蔵院」にお参りして、墓地の間の道を登って行く
時計台の左、第14番三井寺の観音様の傍らの箱には
「忠海と黒滝山の案内」、
「江戸時代の忠海地図」のパンフレットが有り
ミニ西国三十三観音霊場である黒滝山の、観音石仏の配置図や登山道が書かれた地図が有る
登山口より一段高い位置に休憩舎「さくら堂」 春、桜が一斉に咲いたら素敵だろうなぁ
さくら堂から程なく、乃木将軍腰掛岩
解説板に拠れば、明治39年5月、忠海重砲大隊特命検閲に来た将軍が、此処からの眺望を絶賛したとか
乃木将軍に倣って腰掛けてみましたが、今日は生憎の薄曇り
第6番観音横に建つ水盤舎・霊水池、平成8年11月に訪れた平山郁夫画伯がスケッチした場所を見て
(その時の絵は、創立100周年記念に新築された広島県立忠海高校講堂体育館の緞帳)
第9番観音、忠海観世音菩薩、勢至菩薩を過ぎると、「幸福の鳥居くぐり」
この小さな鳥居を潜ると幸福が訪れるそうだ
でも、もうちょっと苦労して潜らんと有難味が湧いてきません
尚も石畳と階段の道を進んで行くと、瑞雲に乗って極楽浄土から来迎されるという十三仏
汗が出て来だしたところで、休憩舎
良い風が吹きあがってきます 看板通り5分間の休憩
段々と黒滝山の岩塔が大きくなって来ました
登山道沿いに、観音第19番とその後ろに「長寿の亀岩」
山頂広場への道を右に分け、岩の間を抜けると観音堂 その奥に、鐘堂
「ゴォ〜ン」 深みのある鐘の音が、瀬戸の海に鳴り響く
観音堂から少し引き返した所に「黒瀧山 石鎚神社」の鳥居
今日は、このオクサリをかけに来ました
2本のオクサリを登り切れば、石鎚神社
石祠には、半分折れたような石板(先達の文字)と三体の小さな石鎚大神が祀られています
切り立った岩塔の先端からは、360度の大展望
左に大きく広がるのは愛媛県大三島、その前に大久野島と右隣に小久野島、右側遠くに大崎上島
青い空に、碧い海だと最高なんですが・・・贅沢は言えません
前方に浮かぶ島が毒ガスの島、かつて地図から消されたとも伝えられる大久野島
良く目立つ鉄塔は、送電線鉄塔では日本一高いそうだ
周囲4.3kmの小さな島、今はウサギの島だとか 帰路、立ち寄る予定です
大峯神社、出雲大社が祀られる一段高いピークから、石鎚神社の岩塔を見る
岩稜を少し進むと、第27番観音が刻まれている黒滝山山頂(270m)
山頂から北を見ると、これから向かう白滝山が手招いている
さぁ、白滝山へ向かいます
階段の丸太が湿っているので、滑らないように注意しながらどんどん下って行く
帰りに歩く予定のトラバース道(なべら道)と出合い、なだらかな稜線を・・・えっ!未だ下るの?
駐車場まで0.6km(白滝山まで1.4km)の分岐(此処からが三原市)
途中、西尾根ルートの案内標識も有ったが、直進 暫くして龍泉寺駐車場の東屋の脇に出た
お腹も空いてきたので、りんご休憩
石像の間を通り、舗装道路を上がって行くと「乾坤第一峰」と刻まれた大岩が有る
山門までの距離を50m毎に記した石仏を見ながら行くと「曹洞宗 白瀧山 龍泉寺」
。
行基が開いたと伝わる
龍泉寺(元禄5年(1692)曹洞宗に改宗)に参拝し
境内左手の鳥居を潜り舗装道を行くと、やがて山道となる
とつぜん巨大な花崗岩が出現し、石像が配された壁面に磨崖仏が刻まれている
南面は、磨釈迦如来座像を中尊とし、両脇侍像に大迦葉尊者と阿難尊者を配した釈迦三尊像
北面には、四天王をはじめとする般若経を守る十六善神像 (いずれも、三原市史跡)
これらの磨崖仏は、豊作と平安を祈って江戸時代初期に制作されたと考えられている(龍泉寺パンフレット)
鐘楼の奥が、白滝山山頂(350m) 御堂には秋葉三尺坊大権現が祀られている
この大権現さんは山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で、火防(ひぶせ)の神
山頂側から見る八畳岩 岩の上は平らで広い
心地良い風に吹かれてのんびり景色を眺めていたら、何処からか蝶々がヒラヒラ飛んで来た
展望台に向かいながら振り返ると、龍泉寺山門、その上に白滝山山頂、八畳岩
小休止後、展望台左(東側)に付けられた階段状の急坂を下って行く
傷んでいる個所も有るけど、概ね歩き易い
展望台から15分で車道に下り立つ 車道を横切り、砂防ダムの池沿いに付けられた山道に入る
緩やかに登って行くと分岐、黒滝山分岐までは往路と同じ道を歩く(此処から竹原市)
黒滝山山頂への道を左に分け、トラバース「なめら道」を進む
「下山路」の道標を見て、第13番・石山寺と第15番・観音寺の観音様を過ぎると、登山口は近い
白滝山展望台から45分で、朝歩いた道に合流(さくら堂の少し上)
黒滝山を振り返りつつ、地蔵院鐘楼まで下りて来た
時間も有るので呉線の忠海駅付近を散策してから忠海港に帰ると、乗船券自販機前に行列
島のウサギさんがお目当てなのかな? 港のカフェで、ウサギの餌を買っている
カフェでコーヒーを飲んで、12時丁度のフェリーで、
大久野島へ
港から反時計回りで、発電場跡〜火薬庫跡〜北部砲台跡〜送電線鉄塔〜中部砲台跡
ひょっこり展望台〜海水浴場〜休暇村〜毒ガス資料館〜キャンプ場と回りました
「北部砲台跡(8門)」の地下壕前で、寛ぐウサギたち
指標に従い、島の最高地点に建つ送電線鉄塔、中部砲台跡へ向かう
階段を登りながら振り返れば、忠海 先ほど登った黒滝山が見える
1900年頃(日露戦争前)、旧陸軍(忠海司令部)により芸予要塞として築かれた「中部砲台跡(4門)」
煉瓦造りの長い建物(中は空洞)や、砲座跡(
円環状ボルト)が残る
因みに、赤煉瓦はロシアから輸入されたものだとか
休暇村手前の大きな穴は、猛毒で皮膚がただれる「びらん性毒ガス イペリット」の貯蔵庫
台座に、10トンもの大きなタンクが置かれ、管を使って工場から直接タンクに毒ガスが送られていたそうです
毒ガス資料館(入館料100円)に立ち寄る
昭和2年、陸軍の管理下に置かれ、ジュネーブ条約で国際的に禁止された毒ガス兵器を製造
戦争中は、周辺の島も含めて地図から抹消されていたという事実は驚きでした
毒ガス工場には、国家総動員法により強制的に徴用された一般人6500人が終戦まで動員されたが
その殆どは勤労学生等の未成年者で、何を製造しているのかも知らされていません
全身を覆う防護服も展示されていましたが、それでも罹災事故は多かったようです
危険を感じても憲兵に責め立てられ、辞める事も、口外する事も出来ないまま終戦を迎えます
戦後40年も経った1984年、初めて事実が明らかにされたそうです
資料館を出て直ぐ、幹部用防空壕跡が有ったので覗いてみた
中は真っ暗だが、説明板に拠ると、高さ2m、幅2m、長さ5mの半地下式かまぼこ型で強固なコンクリート造り
工員用の退避壕が、地面に1mの穴を掘り上に草木を被せたもので「たこつぼ」と呼ばれていたのに比べ
軍部が如何に優遇されていたかが判る
非常事態時、政府は国民の生命と財産を守って来たと言えるのだろうか?
様々な想いを胸に、2時19分発のフェリーで島を後にしたが、行きも帰りも港は大勢の人で賑わっていました
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