2017年10月28日 ”たどつの町歩き”

江戸時代より北前船の寄港地として栄えた多度津

こんぴら街道の玄関口としても、たくさんの参詣客で賑わっていたことでしょう

明治に入って、讃岐鉄道開業(1889)、県内初の私立銀行設立(1891)等

四国の近代化をリードし、昔懐かしい建物もたくさん残っています

「まち歩き絵地図」に導かれ、 小雨降る中のんびりと歩いてみました

駐車場(10:10)〜多度津町立資料館(10:20)〜(11:35)桃稜彫工房〜(11:50)多度津駅(12:00)〜(12:10)駐車場
                                                 (2時間)



スタートの多度津町立資料館に駐車場が無かったので

近くのシルバー人材センター奥にある役場の駐車場に車を停めさせていただきます

「多度津陣屋連掘跡碑」から数分で、武家屋敷の面影が残る「多度津町立資料館(旧多度津藩士 浅見邸跡)」

「こんぴら街道 海の玄関 なつかし多度津のまち歩き 絵地図」をいただいて出発します

桜川遊歩道を西へ向かうと、直ぐ「たどつ藩 お舟だまり跡」の石碑

港で物資を下ろした船は、この場所で停泊したそうです



極楽橋の袂で右に折れると、SL動輪のモニュメントが目に飛び込んでくる

「JR四国旅客鉄道株式会社 多度津工場」で、元は陣屋跡だった所です

その直ぐ右隣、大正末期(1926)に建てられた「山本医院」は今も現役

山形破風の飾りの両側に多度津藩家紋・四つ目結が残り、国の登録有形文化財になっている

輝く金の角に子どもが乗ったヘラジカの銅像が、一際目立ちます

写真右は、大正元年(1912)に開業した「楽天堂病院」

歯医者を経て、今は各種贈答品フロンティアの店舗になってました

大正ロマン溢れるレトロな建物が、共に現役で使用されているのにびっくりです



極楽橋まで引き返し、前方に桃稜公園を見ながら桜川に沿って進む

途中、桜川で泳いだという「オリンピック選手の碑」、「空海の碑」、「京極藩の米倉跡」を見て

「金刀比羅神社」にお参りすれば、大通りエリアもいよいよ終わり



多度津町民会館敷地内にある「四国鐵道発祥之地 讃岐鐵道多度津駅跡」の石碑

明治22年、多度津を起点として、丸亀、琴平間に初めて鉄道(讃岐鉄道)が開通した

桜川に架かる金比羅橋を渡り、本通りエリアへ

四つ角にある「宮崎時計店(屋号:天冨堂)」、その向かいの創業元禄年間という「合田酒店(屋号:柳井屋)」

を覗いてから引き返し、大きな蔵が見事だと絵地図に載る「石川金物店」へ向かう

元は多度津七福神(豪商の意味)の蔵だったという立派な「なまこ壁」が存在感をアピールする



「えびす神社」 玉垣には、廻船問屋や商人の名前が刻まれている

「塩田邸(屋号:岡山屋)」 むしろで作った塩や米を入れる袋「叺(かます)}を取り扱う商家

格子窓の部分は江戸時代のままで、柱に刀傷が残っている

 

「金本屋呉服店(屋号:金本屋)」、「小国博義邸・小国隆太郎邸(屋号:備前屋)」

「神原薬局(屋号:茶屋)」、鉄の原料や刀鍛冶を商う傍ら金比羅宮の世話人を勤めてきた「てつや」

大正末から昭和50年代半ばまで町の銭湯として賑わっていた「清水温泉」が並ぶ本通り界隈が賑わっている

お聞きすると、28日、29日と「多度津のにぎわいイベント」が催されているとか

小国ガラス店跡に「町の博物館・よっていってやー」をオープン、町の活性化に取り組んでいるそうです

丁度、披露されていた尽誠太鼓に元気を貰いました



「合田邸(屋号:島屋)」 貴族院議員も務めた施主が

洋風の応接室やステンドグラスの窓を施すなど、多度津七福神の財力を誇る建物です

鶴橋の袂に、「弥谷道・金比羅参詣道分岐の道標」、「金毘羅燈籠」が建つ



多度津銘菓「たどつ太鼓」の菓舗三宅を過ぎると

ちょっと変わった「金毘羅燈籠」、こんぴらさんへの道しるべが建つ



狭い路地を抜け車道に出た所に荒魂神社の鳥居が有り、その隣が「少林寺拳法総本山」の建物

摩尼院の西交差点に、2基の立派な道標が建つ

1つは、金毘羅道・箸蔵道・船場道の道標で

「右はしくら道 すぐ金刀比ら道 すぐふなバ 明治十四年五月吉日」 

調べてみると、「すぐふなバ」は、讃岐新道と呼ばれていた向こう側に延びる道のことです

もう1つは、「きしゃば 大正十年四月三日」と彫られている 駅の事だろうか?



豊津橋を渡れば、多度津町役場

さて、終点の「桃稜彫工房」は何処だろう? 絵地図を頼りに入って行ったのは、多度津町立多度津小学校

同じ敷地内にある中央公民館でお尋ねすると、工房は公民館の裏だと案内してくれました

生憎とお休みでしたが、公民館の方が「遠路来ていただいて、記念にどうぞ」と多度津の民芸品・桃稜彫を下さった

あまりの親切に恐縮でしたが、深謝しつつお別れし、多度津駅に向かいます



JR多度津駅前  駅舎前に「少林寺拳法発祥のまち」と「四国鉄道発祥の地」のモニュメント

土讃線起点の多度津駅は、予讃線との分岐

昨今は、電車に乗ることも無いが

子供の頃、多度津駅で乗り換えて高知へ行ったのも懐かしい思い出です

駅から10分ほどで駐車場に帰って来た

駐車場の奥に、鉄子さんが喜びそうな蒸気機関車C58「貴婦人」が置いてある

 さすが、鉄道発祥の地 煙を吐いて、今にも走り出しそうでした


さて、時間も有ることだし、丸亀で美味しい魚をいただいてから

宇多津秋祭りへ

今日は塩竃神社の祭礼で、明日は宇夫階神社の祭礼だとか



 太鼓台が、「おら〜よいやせ〜、おら北浦じゃ〜(地区の名前)」と掛け声も勇ましく宮入です

「と〜まった さ〜しましょ さ〜しましょ よのなかみごとにせ〜」

「ドスコイ!(そう聞こえたんですが?)」と、太鼓台を地面にたたきつけてから

「エイヤー!」と一気に差し上げます

上品な感じの太鼓台にしては、結構荒っぽいかき比べにビックリ

それに、かき夫に女性も加わっていたので、またまたビックリ



14台の太鼓台が所狭しと並んだ中、神輿が駈け下りて来るのを待ちましたが

雨のため石段を下りられず、本殿前を行き来しただけで終わり

 

残念と思いながら、宇夫階神社と塩竃神社の間にある鬱蒼とした築山を何気なく見てたら

オクサリが目に入り・・・何と、石鎚神社が祀られていました!

築山一体は神社のデパート、町指定天然記念物の巨岩(いわさか)と御膳岩の他に

貴船神社、北之宮神社、山王神社、木之山神社、和霊神社、大天宮社、船玉神社

金刀比羅宮、宇里神社、多倶里社などが、祀られている

ということで、今日の散策の締め括りは「石鎚」になりました

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