「南北統一」「微笑外交」と言われながら、9日に平昌オリンピックが開幕
今日、明日は縦縞模様の強い冬型の気圧配置だけど
2月の平均気温が−4℃という平昌で、夜半に行う競技は大丈夫なのかしら?
お隣の国の事も気になりますが、今日歩く阿讃の峠道は強風が吹き荒れているだろうなぁ
しっかり寒さ対策して出かけよう
P発
(8:10)〜(10:05)阿讃縦走路
〜(10:20)若狭峰
〜(11:00)中蓮寺峰
(11:15)
(11:30)阿讃縦走路外す〜(12:25)廃林道
〜(12:50)車道
〜(13:20)P着
(5時間10分)
国道32号から県道6号に入る 路面に雪が薄っすらあるが、走行に支障無し
下野呂内集落を少し過ぎた路肩に車を停め、歩き始める
西谷への分岐にある道標 「右こんぴら道」と彫られている
「空堂→」の道標に従い、急な車道を上がる
路面はツルツル 左に山道らしきが見えるが、車道を進む
此処は、
空堂集落 空が随分近くなった気がする
二輪車の轍が、昨夜降った雪に線を引いている 新聞配達さんかな?
林道を右に分け谷を横切ると間もなく、右に山道が延びている
たぶん若狭峰南側の実線に出会う破線と思うけど、藪っぽいので車道を進む
畜舎のような建物が見え、小休止していると左から軽トラが上がって来た
道を尋ねると、「若狭さんかえ、そこ(左写真の右の山道)を上がって左に行ったら広い道が有るよ」
山道を進み鳥居を潜ると、三所大権現が祀られた社や趣きのある五輪塔が有る
後から「三好の古道(三好郷土史研究会発行)」を見て判ったが
この辺り一帯が中蓮寺跡で、鐘楼跡と思われる磁石や泉跡があるらしい
中蓮寺は、弘法大師が建立し、鎌倉時代は七堂伽藍のある大寺であったと伝わる
また、この跡地から弥生後期のものと思われる土器の破片も出土しており
平安期には建立、その周辺に人々が住んでいたことも推察される
口碑に拠れば、長宗我部元親が西阿に侵攻した天正五年(1577)兵火により焼失したそうです
神社手前で左へ、植林帯の中(ちょっと分かり難い)を抜けると広場に出て、実線の道を進む
稜線が近付いた所でショートカットし、阿讃縦走路に出る
先ず若狭峰へ 少し進むと、右から道が合わさる
車道途中の藪っぽかった道(3つ上の右写真)を上がれば、ここに出てくるんでしょう
野鳥説明板が立つ広場 複数有った足跡は此処で引き返している
説明板の後のコブが若狭峰(786.8m)
引き返し、両峰の中間地点 (先ほど、ショートカットしなければ、此処に出てくる)
「中蓮寺越えの道」説明板に
「阿波と讃岐を結ぶ交易の道として栄えたようです」と記され、博打打の絵が描かれている
そして、山名の由来である中蓮寺が、「ここから下野呂内側に少し下がったところにあった」と
「少し下がったところ」って、どの辺りなんだろうと気になっていたが、スッキリです
中蓮寺跡から此処まで、登りで20分強 道も良いし、下りだと15分もかからないだろうなぁ
ハンググライダーテイクオフ地点から北の展望 金毘羅さんの山・象頭山が一際大きい
少し上り返すと前方が開け、中蓮寺峰展望所
展望所の裏が中蓮寺峰(755.9m) 強風が吹き抜けて寒い
少し引き返し、コーヒータイム 温ったかくて生き返る〜
お昼は六地蔵越(猿ヶ額)でと、阿讃縦走コースに入る
ここからは六地蔵峠に向け尾根をどんどん下ってゆけば良いので、楽勝、々
1時間ぐらいで着けるかな?(と、この時は思ってました)
下り始めて15分、道標の無い棒杭を見て直進
(後からログを見ると、左写真の所で縦走路を外したようです)
道は概ね確りしてるし、この辺り(右写真)は、疑いも無くルンルンです
(右のピークは、△662.2mと後から分かりました)
あれ、左に若狭峰が見える?
おかしいなぁ、縦走路からは見えないと思うんだけど・・・何処かで縦走路を外したようだ
グランパは「深い山でも無いし、どこかで林道に当たるやろ」と呑気なもの
下り始めて1時間10分
棘を気にしつつ酷い藪を掻き分け、廃林道に下り立つ
勾配の少ない廃林道をどんどん下ってゆく(25分)と舗装路に出た
県道から分かれていた、下野呂内谷を遡る車道でしょう
雪降る中、
川沿いの舗装路を下り、「こんぴら道」や「小谷入口→」の道標が立つ県道に出た
県道を5分歩いて駐車地点、予定時間を1時間余り残して下山でした
縦走路を外したのは悔やまれるけど、天空の集落「空堂」を歩けたし
以前から気になっていた中蓮寺跡へも行けたし
何より、雪が本降りになる前に車に帰れてホッとしました
翌日、縦走路を外した所まで歩こうと六地蔵越へ
が、峠を吹き抜ける寒風に気力を削がれ、そそくさと車の人に
6体の地蔵(一つの石碑に6体が彫られている)と不動明王が見守る阿讃の峠
また、来なくっちゃ!
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