2018年03月10日  ”寒風山”


今日は最高の霧氷日和〜♪



昨夜の雨は、雪だったのでしょう

薄っすら雪化粧された笹が、日差しを求めて背伸びをしているようです

3月1日に噴火した新燃岳の噴火活動が益々激しさを増し

凄まじい噴煙を立ち上らせ、降灰被害が広範囲に亘っている

雪のように融けて無くなってくれない火山灰、地元の方々のご苦労を思います


明るい日差しに春を感じながら、「死ぬほど読書」(丹羽宇一郎著 幻冬舎新書)を読み返した

帯に書かれた「本を読む人にしかわからないことがある」の一文に魅かれて

偶然手に取った本ですが、読むたび言葉の一つひとつが心に染み込んで来る。

『本 で出会う言葉と体験は互いにキャッチボールをしながら、

その人の人生をつくっていくのだと思います。


つまり本で読み、心に刻まれた内容は、必ず生き方に表 れる。

そうなるためには、心に響く言葉は反芻してじっくり味わい、

さまざまな体験について、それを洞察する視線を常に持っていないといけません。

(〜中略〜) たくさんの経験を積んで、たくさんの本を読む。

時間をかけてシワをたくさんつくってきた人は、シワの数だけ、より深い人生を生きられる。
 
そうやって 心のシワを増やすことは何物にも代えがたい喜びだと思います』

顏のシワは増えて欲しくは無いけど、深い人生を送るための心のシワは努力して増やさないと。
 
読書と経験を重ね“心のありよう”を見つめることの大切さを思いました。



「竹は竹、松は松と各自その天賦を充分に発揮するように

人間が人間の天性自然を発揮するのが人間の善である」(「善の研究」西田幾多郎)

自然にはそれぞれの自然らしさがあるけど、人間らしさとはいったいどのようなものでしょう?

「困った人がいたら手を差し伸べる」 「思いやりを持って行動する」と、小さい頃から教わりますが

人助けも思いやりも教えられたからではなく、天性の力「生まれつきの優しさ」なのです

世の中がそうした優しさで満たされていけば、平和で幸福な社会になると思います

少なくとも、自分の非を他に転嫁するような人間にはなりたくないものです



「同座対面五百生」

袖を振り合わせてすれ違うだけでも、他生の縁があるのですから

隣り合ったり、同席したりする人とは、

これまで繰り返されてきた前世で500回は一緒に生きた人である、というのです。
 
すると、家族は、どれほど深い縁なのでしょうか。

たまたま同席した人でさえ、五百生という深い縁があるのですから、

この世で親子となり家族となり、また夫婦となるのは、もう500回どころの縁ではありません

それは、ずっとず〜っと長い長〜い魂の旅を共にしている存在なんだなと

身 近な人ほど、些細なことで喧嘩になってしまったり、想いがすれ違ったりしますが
 
前の世、その前の世、もっともっと遥か遠い前世からの深いえにしが有るのだと考えてみると

伴侶や 親、兄弟も、少し違った意味を持った相手として感じられます

私の遠い遠い過去 から遠い遠い未来に続く魂の旅の同伴者なのだと思うと

相手も、また私も、お互いにお互いのために何らかの大切な意味を持っている

そんな風に自分を見つめ直してみると、心が少し柔らかくなると思います



『一秒の言葉』  (小泉吉宏)

〜一度だけ放送された幻のセイコーのCM〜

「はじめまして」
 この1秒ほどの短い言葉に、一生のときめきを感じることがある。

「ありがとう」
 この1秒ほどの短い言葉に、人のやさしさを知ることがある。

「がんばって」
 この1秒ほどの短い言葉に、勇氣がよみがえってくることがある。

「おめでとう」
 この1秒ほどの短い言葉に、幸せにあふれることがある。

「ごめんなさい」
 この1秒ほどの短い言葉に、人の弱さを見ることがある。

「さようなら」
 この1秒ほどの短い言葉が、一生の別れになるときがある。

 1秒に喜び、一秒に泣く。

 一生懸命、1秒。

当時広告マンとして働き、現在は漫画家として活躍されている小泉吉宏さんの詩

1984年にラジオのCMとして制作され週1回1年ほど放送された翌85年にテレビCM化、

そして同年暮れの『ゆく年くる年』で放送された。



ゆったりと構える笹ヶ峰、チチ山

あるTV番組で、昼休みに15分くらい呼吸を整えて瞑想する会社が紹介されていたが

脳の海馬の働きが止まると、ストレスの発生も止まるのだとか

そして、ストレス解消方として、精神を集中させる「茶道」や「華道」を奨めていた

「ある茶会でのこと、露地入りから懐石・点前に至るまで利休の顏ばかり見続けている加藤清正に

連客がその理由を尋ねたところ、清正は『我は茶事のことなど全く知らないが

利休が客を迎えて送り出すまでの間、万事に落ち着いて穏やかな様子はたいした度胸である。

茶の湯に限らず武芸なども心静かに落ち着いて技の修行をすれば必ずや高名を得られるだろう』

と答えた (横井淡所「茶話抄」)



尖がり頭の冠山と雪化粧した平家平、その奥には、矢筈山系、剣山系の山々が勢揃い

〜武士の娘だった祖母の言葉〜 「女子の武士道」(石川真理子著 致知出版)より

何をすれば世の役に立つか、それを考えて行うのが仕事です

『よいかえ、才能というのは誰にでも与えられているものなのですよ。

けれどそれは自分だけが得するために与えられているのではありませぬ。

世のため人のためになるようなことをするために、与えられているのです』

我が家では幼い頃から家の手伝いをする習わしでした。言われたことをするだけでなく

自分から進んで働くように諭されたものです。ぶらぶらと手持ちぶさたにしていると

『何をすれば、家族が助かるか考えてごらん』とよく言われました。

それこそが、仕事の基本姿勢だったのです

まず身近な人の役に立つ、それがいつかは世の役に立つようになるのではないでしょうか



穏やかな春の海を眺めながら、緩み始めた雪道をのんびり下山

禅語に「一華開いて天下春なり」という言葉が有ります

人間の欲や傲慢、自己保身のための嘘八百が蔓延する今

一つの花から大きな春が芽生えてくるように

一人一人がその花になって行かなければ、平和な明日は来ないような気がします

今回の山行記は、徒然なるままに

近々、感銘を受けた文章や事柄を紹介させていただきました

歩いた道  ホーム