2018年11月17日 ”三角寺奥之院道”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


「三角寺奥之院道」が、昨年10月、国史跡に指定されたと市報11月号に掲載されていた

伊予遍路道では、宇和島市の「仏木寺道」、西条市の「横峰寺道」に続いての指定です

現在、四国4県の官民が一体となり「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会が設立され

四国遍路文化を後世に継いで行く活動が進められているそうです

総奥之院仙龍寺から、三角寺、桜満開の三島公園を経て自宅まで歩いたのは、2011年の春

今日は紅葉を楽しみながら、国の史跡となった遍路道を歩いてきます


三角寺(7:50)〜(9:05)地蔵峠(9:15)〜(9:50)不動堂〜(10:25)奥之院仙龍寺(10:50)
(11:50)
不動堂(12:00)〜(13:00)峰の地蔵(13:15)〜(14:05)三角寺  (6時間15分)



山門を彩るモミジを見上げ、四国霊場六十五番札所 由霊山三角寺の石段を上ってゆく

 「是でこそ 登りかいあり 山桜」と、一茶が詠んだヤマザクラもずいぶん葉を落している



境内南奥に「奥の院 是より五十八丁 参詣して御縁越結び現当二世の利益を受く遍し」

と刻まれた茂兵衛標石が佇む

三角寺集落の棚田を縫うように付けられた遍路道をゆく



奥の山並み一番右に、次の札所四国霊場最高所第六十六番さんがある雲辺寺山

大正2年に建てられた茂兵衛標石 「奥の院へ五十六丁 弐百五十一度目為供養 願主中務茂兵衛義教」



沢を渡った所に、水場  お遍路さんには嬉しいお接待です

舟型の地蔵丁石(四十丁)

市報で紹介されていた遍路道保全ボランティアのSさんやTさんにお会いして暫し談笑

気持良く歩かせていただいて感謝です



丸太のベンチが置かれた檜平を過ぎ、山桜の古木(枯れている?)傍を緩やかに登ってゆく

車道を横切れば、間もなく地蔵峠



標高765mの地蔵峠 此処は市民の森キャンプ場の東端

首無地蔵、二十六丁の地蔵丁石を始め、4体の石仏が並ぶ

(地蔵峠手前までには、三角寺境内の58丁の地蔵をはじめとして
57丁〜55丁、49丁〜47丁、42丁〜35丁、33丁〜29丁、27丁の地蔵丁石群、

及び破損して距離判読不明の地蔵丁石3基が現存している

地蔵峠で大休止の後、10分余り下っていくと「桜の馬場」

愛媛県最古と言われる樹齢200年余のエドヒガン(市指定天然記念物)が、お遍路さんを労ってくれる



地蔵峠までの道とは斜度が違う これぞまさしく「遍路ころがし」です

市仲集落の最奥民家かな? この後車道を横切りながら下りてゆく



茂兵衛標石「箸蔵寺七里 雲邊寺五里」 (市仲から堀切峠に出て、雲辺寺へ向かう道を示している)



奥之院境内地入口に建つ不動堂 この先、急勾配の「八丁坂」が続く



「右清瀧道」分岐標石

奥之院から清瀧を経て、時計回りで周回する「清瀧新四国霊場」が開かれている

清瀧経由は復路に使うことにし、ここは直進  五十一番から八十八番を巡りながら奥之院へ

五十三番円明寺の阿弥陀如来と五十四番延命寺の不動明王に見守られ断崖絶壁をゆく



「大師修行之護摩岩窟→」に従い寄り道

落葉が乗った狭い道を慎重に下り(右写真振り返っています)



石段を少し登り返すと、なにかが潜んでいそうな岩窟 奥に鎮座されるのはお大師さん

弘法大師42歳の時、此の岩窟に籠り、21日間護摩修行をされ、自身の像を刻んだとされる



九十九折りの道「後藤玄哲坂」、は、石畳が敷き詰められ雰囲気が良い

後藤玄哲とは、川之江に住み毎月奥之院参拝をしていたという江戸時代前期の医師で

広く参詣人の便宜を図るため、この坂を切り開いたと伝えられる

蟹淵の清々しい水音を聞きながら、紅に染まる石段を歩いていたら、ふと祖母の笑顔を思い出した

明治25年生まれの祖母が、三島村から奥之院へ新婚旅行に行ったと話してくれたが

この坂道を歩いたのだと思うと、妙に懐かしさが込み上げてくる



「金光山 編照院 仙龍寺」のご本尊は弘法大師で、「四国総奥之院」

境内は紅葉真っ盛り〜♪ 参拝者の車が急坂を上がってくる

樹齢300年以上といわれる大杉(樹高40m 市指定天然記念物)横を通り、国道319まで下りる


 
境内で暫く休んだ後、「清瀧新四国霊場」の標石に導かれて石段を上り、壮大な楼閣を見下ろす

文政2年(1819)、遍路行でここを訪ねた新井頼助は

「寺ハ山岩壁ノことくなる所ニ建て、人界ノ及ぶ所ニあらす。よくも建シものなり」 と書き記している

また、大正元年編の「新立村郷土誌」は次のように称賛する(明治22年、新宮村、新瀬川村、馬立村の合併により新立村)

「仰瞻(ぎょうせん)すれば重畳せる懸岩石壁将に崩れんとし、俯瞰せば清冽たる渓流滔々として脚下に洗ひ、

境内箒痕(そうこん)波の如く地に寸埃(すんあい)なく、寺院は彫琢を施さず朱碧(しゅへき あかとみどり)

粉せずと雖も素雅閑静実に稀有霊地と曰ふべく、四時(春夏秋冬)登嶺の人跡絶ゆることなし」



仙人堂にお参りし、第一番さんから第十一番さんが祀られた狭い山道(清瀧新四国霊場)に入って行く

切り立つ岩壁の足元で、第十二番焼山寺 虚空蔵菩薩が見送ってくれる



急斜面の登りの後は水平道となり、自然林の中に大きなモミの木が現れる

沢を渡ると左上に、清瀧(高さ30m、幅5m) 深山幽谷の厳かな趣きが漂う

大師も、この滝で心身を清めたとの伝説があり、今も修行者の行場となっている

先の郷土誌には「老樹奇幹参差(いりまじる)として昼猶暗処奇嶇(けわしい)羊腸の石径を踏みて

寺院の前面より登れば行くこと五丁あまりにして清滝と称する有名の飛瀑あり

白練直下二十有五間断崖苔老ひて泡沫空を蔽ひ殷々鼕々(いんいんとうとう)として言葉を辧ぜざる程なり」



清瀧道分岐に出て、不動堂まで登り返して大休止

茂兵衛標石が建つ雲辺寺道分岐で、へんろ道保全ボランティアをされていたIさんにお会いする

丁度、帰られるところで嬉々としてご一緒させて頂く

昔、この辺りに茶店を兼ねた遍路宿が有ったそうですが、
よく見ると建物基礎の痕跡がある

奥之院を参拝した遍路は此処まで
打ち戻り、預けておいた荷物を受け取って平山に向かったとか

後に出てくる真念著の『四国邊路道指南』に拠れば

「大久保(大窪)二三軒有、荷物をきてよし。・・おくの院より荷物置たる所へもどり、雲辺寺へ行」とある




I さんが倒木を取り除いてくださったばかりの道を快適に進む

この倒木は、 チェーンソー等が無ければ撤去作業は難しそうです

谷沿いの道が崩落していて(10mほど)、その先に道が続いているのかどうか分からない 

二人だけだと、不安になったでしょう



苔生した地蔵丁石が佇むへんろ道を20分弱歩いて、車道に飛び出す

(不動堂を出て堀切峠に至るまでの間に10丁〜15丁、17丁、18丁、24丁、28丁〜30丁の地蔵丁石
及び破損するなどして刻字が判読できない地蔵丁石も5基あるそうです)


 

CMに出て来そうな、天空の集落を振り返り

今年2月、「遍路道保存協力会」が設置した新しい道標を見て、坂道をゆく

 

上半分が欠けた標石 「真念へんろ石」だと、I さんに教えて頂いた

調べると、有辯真念は、四国遍路中興の祖と言われた江戸時代前半の僧侶

「四國邊路道指南」や「四國偏礼功徳記」を記し、遍路のために真念庵や真念へんろ石を設置したという

佇む十五丁石、十七丁石、十八丁石を見ながら進んでいくと、享和十四年の標石

 

大嶽神社鳥居までは広い道(車は無理かも 傷んでいるしUターンも出来ない)

鳥居からは山道になる

「先に行きよって」と、グランパが鳥居を潜り坂道を登って行ったが・・・

 

やっとグランパが追い付いて来た 10分近く登ったが社が見えないので、引き返したそうだ

二十丁の地蔵丁石  本来の遍路道は直進(藪いてるそう)だけど、此処で右へ分かれ下ってゆく

 

歩き良い道を2分ほど下り、「中山線取付道路」(鉄塔巡視路?)の標石を見て車道に出る

車道を少し進んだ所で、本来の遍路道が下りて来る(取付きに道標等は無い)

 「へんろ道」の道標が付けられた右の法面上部をゆく

 

享和2年建立の「峰の地蔵」  I さんの壮大な計画や夢に感嘆しつつ、四方山話に花を咲かせ

「ありがとうございました また、お会いしましょう」 と、平山へ下る背中を見送り堀切峠へ向かう

 

堀切峠から県道川之江大豊線を下り、最初のヘアピンカーブで枝道に入る

  佐礼集落を過ぎると、三角寺が見えて来た  峰の地蔵から車道歩き50分で、駐車場着

古人の跫音を聴きながらのお遍路さん、気になってた雲辺寺道も歩けたし

嬉しい出会に感謝の山行でした


翌、18日 大嶽神社を尋ねて来ました



市仲集落に車を停め遍路道を進むと、10分弱で大嶽神社の鳥居



急坂を登っていくと、二つ目の鳥居が有り、なおも急登が続く

次第にガスが薄くなり、石段を上ると大岩を背にして社が祀られている(下の鳥居から10分強、標高666mp)

由緒書のようなものは無かったが、「新宮村誌」に拠れば、馬立にある中山神社の末社で、ご祭神は山積神



神社前の大岩から、雲海に浮かぶ四国山地の大展望を楽しむ

白い川が東に、また一部は掘切峠(標高480m位)を越え瀬戸内側へと流れてゆく

真下にある新宮ダム湖が現れるには、まだまだ時間がかかりそう

昨日の宿題も果たせたし、ここらでよかろうかい


参考文献 『伊予遍路道』(愛媛県生涯学習センター発行) 『新宮村誌』(新宮村発行)

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