2019年01月06日 ”山条山〜爺神山”


GPSトラックログ (カシミールソフト使用)
この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得、同院発行の数値地図50000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
 承認番号 平18総使 第582号る


2日続けて、西讃の山へ

昨日、貴峰山から眺めた山条山〜爺神山を歩き、大展望を楽しんできました〜♪


宗吉かわらの里(10:25)〜(10:55)山条山(11:06)〜(11:20)△山条(高田神社)
(11:43)坂越〜(12:00)大師堂〜(12:17)爺神山(12:36)〜(12:47)大師堂
ミニ八十八ヶ所〜(13:55)大師堂〜(14:15)宗吉かわらの里 (3時間50分)



国指定史跡・宗吉瓦窯跡(むねよしがようあと)史跡公園をスタート

7世紀、持統天皇によって造営された藤原宮に初めて瓦葺の宮殿が建てられ、200万枚もの瓦が必要でした

近隣の瓦窯だけでは賄いきれず、この窯で焼かれたものも供給したそうです

復元された16号窯横の階段を登るとすぐ、「山条山(とんぎり山)の案内図」がある

右に少し進み登山道に入る 入口に「頂上まで650m」の道標



振り返ると昨日歩いた貴峰山、毘沙古山(中央)、竜王山、ハゲ山の山並み

雲は薄く雨の心配はなさそうです ミカン園を過ぎ竹林に入る 「頂上まで500m」



ベンチが置かれた尾根に出て、新池からの道と合流する

 「頂上まで300m」 あと一登りです

確かに可愛い子猿に見えます 整備されている方のお接待の心が伝わってくる



今日もお助けロープにお世話になります

前方が開け、汗をかく間もなく山条山(189m 吉津富士)頂上 

記念の書き込みノートや、デフォルメされた展望図がある



のんびり展望を楽しんだ後、「高田神社へ」の指標に従い急斜面を下る

蟻地獄に滑り落ちるような感覚 最近訪ねた讃岐の山は、こんなんばっかりです



鞍部に下り立ち、ヤマザクラが目立つ尾根道を緩やかに登り返すと、△山条 (154.5m)

三角点下に立派な石祠が祀られている 

軒飾りは、珍しい羽団扇  調べてみると、悪魔や疫病神を追い払うという神紋でした

草茫々の広場に屋根瓦が積み上げられ、石井何某が奉納した明治期の手水鉢が見える

高田神社跡だろう



参道らしき道を左に見て、そのまま尾根を進むと内陣が空っぽの石祠が佇む

土台の石積みに「天保五甲午年 三月八日 石井倍冶光芳」と刻まれている

高瀬町誌に拠れば、光芳は、文政年間、比地中村の庄屋であった光正の弟

引き返して参道を下れば良いのだけど、少し進めば参道に出合うだろうと直進



  5分ほど急な灌木帯を下ると参道に合う ヤレヤレ

壊れた鳥居を過ぎ石段を下り、コンクリート道に出る

 

此処が坂越登山口 道路向かい側に、阿弥陀様とお大師さんが祀られている

読み取り難いが、光背に寛政元 巳酉年七月九日と刻まれているようです



坂越から爺神山の登山口がある大師堂まで車道歩き

合目表示を見ながら、小さく折り返し登る 半分削り取られた山という感じはありません



九合目に、大滝龍王と刻まれた石碑が祀られている

旱魃の多い讃岐では、戦前まで雨乞いが行われていた

近隣の若者が天に近い山の頂上に藁や薪を担ぎ上げ、夕方に大火を焚いたとか

天や雲がこげるので、天の神がこれはいけないと思って雨を降らせると信じていたそうだ

石碑の背後から北を見ると、目の前に山条山と詫間方面 沖は塩飽の島々



登山口から15分ほどで、四周大展望の爺神山山頂(214m)

境界ロープ下を恐々覗き込めば、展望は三次元に広がります

山名の由来は、イザナギノミコトが降臨されたので「トトカミ山」 それが転じて「トカミ山」と呼ばれたと伝えられる

戦国時代、詫間城主の詫間遠江守弾正が築いた山城があったが、長宗我部軍に攻められ落城したそうです

高瀬一の里山として親しまれ『姿きよらな 爺神山 みどりかがやく 岩瀬池〜♬』( 高瀬町歌)

『爺神の山に直さす光 見よ強き』(高瀬高等学校校歌)と唄われているが、今は高瀬富士の姿は無い

感慨に耽っていると、あっ、アンパンマン列車! 昨日、ハゲ山から見たのと同じ列車です

観音寺方面へ過ぎ去るのを眺めてから、下山



さぁ、江戸中期頃に設けられたというミニ四国霊揚をお参りしましょう

 爺神山ミニ八十八ヶ所コースは、中腹を一周するように石仏が安置され、

今では、参拝はもとより健康づくりウォーキングの道として親しまれる方が多いとか

大師道を歩く会の方々が、石仏修理、道路整備、前掛けの掛け替えなどを行っている

スタート地点で会ったご夫婦は、朝は順打ち、昼から逆打ち、1日二度回ると話されていた



3分の2くらい周回した所でお会いした地元の方が、採石場の話をしてくださった

約三千万年前の火山活動で噴出したマグマが冷えて固まった安山岩の山

 昭和35年頃から始まった採石で山がざっくり削られ、今はそのまま放置されているそうです

荒涼とした原っぱに剥き出しの柱状節理が迫って来て、おどろおどろしい



採石跡地が池となり、火曜サスペンス劇場のロケにでも使えそうな不気味な景色です

先程、あの天辺に立っていたんだと思うと背筋が凍る

  強固な城壁と深い濠に護られ、これぞ難攻不落の山城です(?)
 
切り通しの向こうに菩提山や雲辺寺山



ミニ四国周回道を少し下り、金刀比羅宮へ寄り道すると、こんな所に三角点

境内隅に、砕石会社名を刻んだ「爺神山三角点71.53m」の立派な石柱と標石

採石で山が削られるので、頂上周辺にあった標石をここに移し、測量し直したのでしょう

 

新池の向こうに痛々しい姿の汐木山 

採石を免れた裾野の等高線が、この山がえも言われぬ美形だったことを想像させます

天霧山、爺神山などとともに、高度経済成長を支えた産業遺産とでもいうべきなんでしょうか?

周りの風景を楽しみながら、宗吉かわらの里に帰って来た


以前、歩いた山条山の山行記を見ると、「先週の貴峰山に続いて、西讃の里の山へ」

アララ、今回と同じ山行スタイルじゃ、ありませんか!

8年前と同じことを繰り返しているなんて、ちっとも進歩してないんですねぇ


歩いた道  ホーム